Uターン就職したのは失敗だったのかもしれない。

鈴木怜

Uターン就職したのは失敗だったのかもしれない

 東京の大学を出てから地元に就職して、もう五年が経つころだろう。桜が咲いているのを見るのはたしか六度目だから間違いないはずだ。

 地方都市にありがちな家族経営とかでもないその会社は、なんとか僕がやっていけるくらいにはしっかりしていたし、就職は成功だったのだろう。

 でも、僕の心にはなぜか、いつも釈然としないものが横たわっているような気がしていた。

 確かにパワハラだってゼロではない。給料だって決して多くはない。不満に思う点はまだまだある。でも、そういったことが原因には思えなかった。

 言うなれば、そう、もっと根本的なところで何かが噛み合わなくなっているような――。

 だったら、それは何か? どうしてそのように思ってしまうのか?

 そこまで考えると僕はいつもやりきれなくなる。じっとしていられなくなる。今日だって土曜日だというのに公園まで歩いてベンチで一人缶コーヒーを飲んでいる。


 近くでは小さなTシャツの群れがはしゃぎ回っている。親御さんもきっとその辺にいるのだろう。

 自分にはとうぶん関係のない話だ。

 天を仰ぐ。


「おお! 久しぶり。戻ってきてたんだ」


 かつてのクラスのマドンナの声だった。


 会話をするのもいつぶりかわからない。クラスのマドンナだったのは十五年くらい前の話だ。学年が上がってからは別のクラスになったこともありあいさつくらいしかしなくなったし、高校に至っては同じところにいたのかどうかすらわからない。話を聞かなかったことを考えると、おそらくは別のところに行ったはずだ。

 戻ってきてたんだというのは、きっと僕が成人式に出なかったことが影響しているのだろう。忘れられていないことがなぜだか少し嬉しかった。


「というかさ、なんでスーツなのさ。おかげですぐにわかったけど」

「外行きの服がわからんくなったから今は全部スーツにしてる」


 みっともないと言われても仕方ないだろうが、それが真実だった。

 自らの胸元を見ると名札がある。彼女は、これで話しかける決心がついたのかもしれない。


「最近どうなの?」

「土曜にスーツしか着るものがない時点で察してよ」

「それもそっかー」


 こんなさばさばしたところが皆に受けてたのだろう。終わったものは終わったもの、切り替えていこう! みたいなところは僕も話していて心地よかった記憶がある。


 本当はいろいろなことを話したかった。東京の大学に通ったこととか、成人式に帰れなかった弁明とか、それでもこっちで就職したかった理由とか。――今になって気がついた、あのときに僕が好きだったのは誰か、とか。

 でもそんなのを彼女にぶつけても困るだけだろう。だからこっちから全く同じ質問を返すことにした。


「君はどうなの?」

「わたし? わたしは、ほら」


 元マドンナが目線を下に落とす。僕もつられてそうしてしまう。


 ベビーカーがそこにあった。

 そうか。そうだったのかという笑いがこみ上げてきた。


 片や家庭があって、もう片方は外出着がスーツしかない。情けないったらありゃしないだろう。


「……おめでとう」

「いくらなんでも泣くことないじゃん。それともなに? 行き遅れるとか思ってたの?」

「……まさか」


 泣いているのはきっと、そこに自分がいないからだ。

 もし同じ学舎まなびやにいた頃に告白していたら。もし大学に行かずに就職していたら。もし二十歳の同窓会に出ていたら。もし東京で就職していたら。――もし、君に今日出会うことがなかったら。

 胸にたちこめる泡のようなものが浮かんでは消えていく。

 ああ、これが失恋というやつか。僕はさっき作った笑顔が崩れていないか猛烈に気になってきた。

 そんな僕の顔を見て、心中察したのか察してないのか、彼女はある提案をしてきた。


「よし、仕方ない。わたしが今度直々に服を見繕ってやろう」

「いや、いいよ。悪いし」

「えー、だってもったいないよ? 素材は悪くないんだし」


 そこまで話してると、ママ友らしき女性が元マドンナに手を振ってきた。

 やば、と声を出した彼女は、今度またみんなで会おうね。それまでに私服を一着なんとかしておくように、と僕に命令して、公園から出ていった。

 残ったのは僕一人だけだ。


「……Uターン就職したのは間違いだったのかもしれないなぁ」


 残りを一気に飲み干したコーヒーは心なしかちょっぴり苦いような気がした。

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Uターン就職したのは失敗だったのかもしれない。 鈴木怜 @Day_of_Pleasure

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