6-1 諸君らに命令する
「あ…、あぁ……」
リンベルグの側に残っていた兵士は恐る恐る顔を上げた。そして彼の口から出てきたのは、悲鳴にもならないうめき声だった。
彼が見たのは惨状だった。そうとしか表現のしようがなかった。
ランカスター共和国へと続く、戦車が一台通れる程度だった荒れた山道は今や広大な平原と化していた。両脇にあったはずの木々は全てが吹き飛ばされ、地面には巨大なクレーターが形成されている。
そしてその中では無数の屍
焼け焦げた臭いが満ち、あちこちにトラックや戦車の破片が散らばっている。どうしようもなくひしゃげた戦車の本体からは燃料に引火したのか、真っ赤な炎が雨にも負けずに立ち上っていた。
そしてほとんどの遺体は原型を留めていなかった。手や足など体の一部だけが残り、もはや個人を判別するのさえ不可能だった。血の匂いさえ、すでにしていなかった。
リンベルグ側の兵士たちの誰もが言葉を失っていた。自失していた。生きる者がいなくなった、ついさっきまで仲間だった者たちがたくさんいたはずの場所をただただ、呆然と眺めるしかできなかった。
「――くは」
頭上から声がした。誰かが見上げれば、アーシェが――笑っていた。
「くっ……くくっ……あは、アハハハハハハハハハハハハハッッッッ!」
腹を抱え、左手で目元を押さえて体をくの字に折り曲げて哄笑を響かせていく。
「はっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはっはッッッ!! あーはっはっはっはっはっはっはっはっはッッ!!」
雨の降りしきる黒い空を仰ぎ、彼女の声はどこまでも響いていく。何も無くなった眼下の光景がさぞ愉快だと言わんばかりに笑い声をこだまさせていった。
やがてアーシェは手をどけると、雨を浴びながら目元を拭った。
何度も何度も。拭っては雨に打たれ、拭っては雨に打たれと繰り返す。そうして最後に袖でグイッと拭うと、リンベルグ側に残っていた兵士たちを金色の瞳で見下ろし、告げた。
「さあ、今度は貴様らだ」
アーシェの周りに再び大量の魔法陣が現れ、全身に青白い光をみなぎらせていく。
それは兵士たちにとって絶望的な光景だった。到底敵うはずがない相手が、望みのない死が迫ってきていた。脚が震え、これまでどんな戦場だって果敢に戦い抜いてきた彼らだったが、初めて膝をついて命乞いをしたくなった。
けれどもそれはできない。それはこれまでの自分たちの生き方に泥を塗る行動でしかないと全員が理解していた。そもそも、逃げ出してしまうくらいならばここに立ってはいない。
だから彼らは銃を握りしめた。誰よりも、神よりも頼れるモノ。それを頼りにアーシェを撃ち続けて――そして死んでいった。
差は圧倒的だった。雨よりも多くの貫通術式を降らせ、爆裂術式が着弾すれば次々と兵士を吹き飛ばしていく。爆炎術式が体を燃やし尽くし、集束術式が光線となって地上を薙ぎ払う。
立ち上る煙と埃。そこに紛れてアーシェは地上へと急降下していった。薄くなった弾幕をかいくぐり、地上スレスレで急旋回するとそのまま地を這うように飛行して兵士たちの一団へと一気に近づいていく。
「ひっ……!」
高速で迫るアーシェが兵士へと腕を伸ばす。鋭く突き出された腕が彼の腹を突き破ろうとし――その直前で彼女は反転した。
「……生きていましたか」
振り返ったアーシェの目の前。そこには、血と雨に塗れたリンベルグがいた。
肩からは未だ血を流し、それでもしっかりと愛用の剣を握りしめてアーシェの腕と鍔迫り合いを続ける。
アーシェの目に、細かくひび割れた老眼鏡が映る。その奥にある瞳は見えず、リンベルグの感情は読めない。だがそれでもきっと瞳に湛えているのは――彼女が知るリンベルグなのだろうとなんとなく思った。
「……諸君らに命令する」リンベルグは同志たちに告げた。「総員――撤退せよ」
「なっ!?」
上がる戸惑い。だがリンベルグは動じること無く愛剣を振るい、アーシェと接近戦を繰り広げていく。感情を見せずケガをする前と変わらぬ動き。鋭い剣戟と義手から放たれる術式を駆使して戦いながら、立ち尽くしている同志たちへもう一度語りかけた。
「繰り返す。総員撤退しろ。これは命令である」
「ひ、非礼を承知の上で申し上げます! 大佐のご命令でもそれは聞けませんッ!」
「そうですっ! 我々も最後までリンベルグ大佐にお供致します!!」
「私どもは死地を求めてここまで来たのですッ!!」
兵士たちが口々に拒絶し、聞いたリンベルグの口元が嬉しそうにわずかに笑った。そんな風にアーシェには見えた。
リンベルグの鋭い踏み込み、そして剣の一閃。しかしアーシェはそれを軽く跳躍して避けると、蹴りを彼の腹部に放った。
それをリンベルグは剣の腹で巧みに受け流し、だがそれでもなお有り余る膂力が彼を後方に大きく弾き飛ばしていった。
「ぐっ……!」
「大佐ッ!」
リンベルグが劣勢なのは明らか。兵士たちがアーシェに向かって銃を構えるが、リンベルグが制止すると口から流れ落ちる血を拭いながら落ち着いた口調で再度告げた。
「加勢は無用。撤退しろ」
「しかしっ……!」
「諸君らはこの戦地を生き延びたのである」剣を構え直しながら彼は語りかけた。「この絶望的な死地を、ここまで生き延びた。であれば諸君らはまだ――ここで死すべき存在ではないということだ」
リンベルグは再び地面を蹴ってアーシェに斬りかかる。だがそれもアーシェの術式に阻まれ、元の位置へと弾き飛ばされ戻ってくる。
「我らは死を覚悟してここまでやってきた。だがそれは死ぬ場所を探すためではない。我らが戦いを、戦場を求めたのはあくまで生きるためである。勘違いするな」
「大佐っ……」
「行け。『紅』は、シェヴェロウスキーは私が押さえる。撤退し、そして我らが生きる場所が再び現れるその時を待つのだ。いいな?」
リンベルグが諭す様に比較的若い兵士に語りかけると、彼らは涙を流しながらそれでも歯を食いしばってうなずいた。
アーシェとの間に立ち塞がってくれたリンベルグの背に向かって、敬礼。嗚咽を漏らしながら踵を返し、銘々に異なる方向へと駆け出していった。
「逃がすものか……!」
離れていく兵士たちを見てアーシェは顔をしかめて舌打ちした。
別段、戦う気の無い者を殺したりするつもりはない。だがこれだけのことをしでかしたのだ。その落とし前はきっちりとってもらわねばならない。
再び空へ舞い上がり、逃げ出した連中のうち、二人組に目をつけ追いかけ始める。だがその行く手をリンベルグが遮った。
「どいていただこうッ!!」
「ぐぁっ……!」
だがもう彼にアーシェを止める力はない。術式を放っても微塵も彼女の防御術式に影響を与えることはできず、小柄な体の体当たりでさえ大きく弾き飛ばされていく。
力の差は歴然。このままでは止めることなど到底できようもない。だが、彼はなんとしてもアーシェを止めなければならないのだ。
「やむを、得んか……!」
追撃のため近づいてくるアーシェの姿を、割れた眼鏡越しに見つめながら彼はポケットに手を突っ込んだ。
そこから取り出したのは――親指の先程度の大きさの、緑色の宝石だった。
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