2-1 元気が戻って良かったと思いまして
さて、諸君。
Q.街中に昼を告げる鐘が鳴り響いたのを聞いて、私はどうしたか?
A.仕事を放り出した。
書きかけの書類の上にペンを放り捨て、椅子から立ち上がる。これで午前中の仕事にグッバイ。ストレスからの解放である。さて、昼飯昼飯、と。
……なんだ貴様ら、文句でもあるのか?
「何も言ってませんけど……」
睨みつけてやるとノアも苦笑しながら立ち上がった。どうやらコイツも仕事を切り上げたらしい。そうだぞ、何事もメリハリが大事だ。
さて、今日はそうだな……天気も良いしたまには外に食いにでも行くかね。
「外に行くんですか?」
詰所の玄関に向かっていると、ちょうどニーナが整備室から出てきた。
「そのつもりだが……お前も一緒に行くか?」
「行きます行きますっ!」
「あ、僕もご一緒したいです」
ノアもか。まあ、いいか。しかしそうか、若いの二人か。ならおごってやるとしよう。私もたまには上司らしい太っ腹なところを見せてやらねばな。
「隊長は外に行くんですかい?」
三人で出かけようとすると、カミルが机に脚を乗っけて雑誌を開くという見事な昼休みスタイルで声を掛けてきた。
「なら俺の飯も買ってきてくださいよ。当番で残んなきゃいけないんでね」
パシリか。まあ別にいいだろう。承った。
「……隊長って心広いですよね」
詰所から出るとノアが感心してるのか呆れてるのかわからんことを口にした。
そこは人に寄るだろうよ。上官をパシリに使うなんざ銃殺刑ものであるかのように怒り狂う奴もいるし、軍であるならそれが正しいんだろう。
が、私は有事の際にキチンと規律が取れるなら平時にそこまで厳しくする必要はないというスタンスだし、むしろこれくらいなら手が空いてる人間がやって当然だと思う。もっとも、戦時でも規律を無視するクソなら敵のど真ん中に放り捨ててやるがね。
そんなことを話しながら朝市広場の方へ歩いていく。
朝は露店でごった返す朝市広場だが、昼は昼でそれなりに人が多い。近くにレストランもあるし、昼飯用の露店が並ぶからな。む、あのサンド……美味そうだな。いや、確実に美味いはずだ。そうだと私の鼻が言っている。今度買ってみるか。いや、むしろカミルに買っていってやって味見させてみるかな、せっかくだし。
「最近平和で良いですよね。事件もないし」
あちこちの露店に目移りしながら話しかけてきたノアに、私も同意する。
巡回は当然毎日やってるが、せいぜいが素手でのケンカの仲裁ぐらいしか仕事らしい仕事をしてないしな。窃盗犯も出てないし、まして刃傷沙汰もゼロ。うん、素晴らしい。主に面倒が無いという点で。
空を見上げれば雲ひとつない快晴。夏真っ盛りも近くなってきているが、標高が高いおかげで夏でも快適なのはこの国の魅力の一つだな。ああ、なんでこんな日に仕事なんかしてるんだ私は。教会で酒かっくらって寝転んでしまいたい……
「なあ、ニーナ。一つ提案があるんだが」
「ダメです」
「……まだ何も言ってないんだが」
「言わなくても分かります。どうせ『酒飲みたいから帰る』とか言うんでしょ?」
バレバレだった。むぅ、おかしいな、そんなに私は分かりやすい人間ではないと自負しているんだが。
「アーシェさんって結構分かりやすいですよ?」
「そうか?」
「そうですね。最初はそうでも無かったですけど、毎日会ってるとなんとなく隊長の考えてることが分かってきますね」
ニーナがストーカー気質だからだろうと思ったのだが、ノアにまで同意されてしまった。いかんな、戦場から離れて久しいからかどうやら気づかないうちに気が緩みがちになってるのかもな。
一人で頬をムニムニ解して、最後に気合入れの意味で一発パァンッと叩くとニーナに笑われた。何がおかしい。
「いえ、確かにアーシェさん可愛いなぁとか悶えはしましたけど、そういう意味で笑ったわけじゃなくてですね」
色々ツッコみたいが、まあいい。じゃあ何故笑った?
「元気が戻ってきたみたいで良かった、と思いまして」
「私はずっと元気だぞ?」
「気づいてませんか? ――あの事件から、ずっと顔色良くなかったですよ?」
む……自分ではそんなつもりは無かったんだが。
でも、そうか……そうかもしれないな。
あの事件――マンシュタイン殿の事件からはや一ヶ月。表向きはトライセン研究員が犯人ということで一応の決着は見たし、以来誘拐事件は起きていないものの、実際のところ何一つ解決していない。
それはそれとしてモヤモヤとしているがそれとは別に……ああ、認めたくはないが認めざるを得ないだろう。マンシュタイン殿たちを守れなかったという事実は、未だ私の中で尾を引いている。
忘れようと思っても忘れられない。少なくとも彼らはああした最期を迎えるべきでは無かったし、いずれ来る別れの時も穏やかな暮らしの中で迎えるべきだっただろう。
だがそうはならなかった。それが事実だ。
私がもっと有能だったら……などと傲慢な考えは持っていない。しょせん私は私でしか無いのだし、私が私であった結果彼らを助けるには手遅れだった。それだけだ。
ただ……ただ、なまじ彼らの生活を、日々の温もりを垣間見てしまっただけに、彼らに生きて会えないことが辛くないといえば嘘になる。彼らの魂が私の中で眠っているとしても、だ。
そんな感傷を抱いてるくせに、魂喰いの私という存在は薄情なもので、一月が過ぎようとしているこの頃になると、過去の出来事として早くも消化されようとしている。
ああ、まったく。実に薄情極まりない。
「……そんなことないですよ。だって……私だって似たようなものですもん」
そうなのか? ニーナはもっと「ウェット」な人間だと思ったが、思ったよりドライなのかもな。いや、そもそもニーナはマンシュタイン殿とはあの日しか会ってないんだったな。なのに私と同程度引きずっているということは、やはりコイツは情に厚い人間の部類だろう。
「そういうことを言いたい訳じゃないんですけど……」
「まあ、なんだ。心配掛けたのなら感謝する。だがもう大丈夫だし、軍人であれば多かれ少なかれ誰しもが昨日の友を翌日に亡くすというものを経験している。気持ちを切り替える術は心得ているさ」
そう言って笑ってやると、多少は安心したのかニーナも小さく笑い返してきた。
ったく、部下に心配されるとは恥ずかしい話だ。私も精進が足りんな。
しかし……この分だと隊の他の連中にも気を遣われてそうだな。ううむ……ま、いずれ折を見て礼をするとしようか。
そんなことを考えながら、朝市広場を抜けて馴染みのレストランの近くまで来た時だ。
「きゃああぁぁぁぁぁっっっっ!!」
女の悲鳴がそこら中に響き渡った。
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