5-5 たまには飲んでみたくなっただけさ

 事件がとりあえずの解決を見せてからだいたい十日くらいが経って、だ。


「――つまるところ、トライセン上席研究員から他国への情報流出は無かったということでいいのか?」


 私が上げた報告書を読みながら、マティアスが顔を上げてそう尋ねた。

 マティアスの方をチラと見ながら棚から酒――もちろんマティアスの物だ――を取り出し、術式で作り出した球形の氷を二つのグラスに放り込んでいく。


「ああ。あくまでラインラントやランカスターの人間からは研究用の金をもらっていただけらしい。もっとも、ミーミルの泉が完成した後の成果についてはその対価として譲り渡すつもりだったみたいだがな」

「彼の魂を喰ったお前が言うのなら本当だろうが……ひとまずは安心か」


 先日のアスペルマイヤーの件もあるからな。マティアスが気にするのも分からんじゃない。

 まあトライセンはまだあの豚よりはマシだったということだろう。目くそ鼻くそレベルかもしれんが。

 一息をつき、もう一度書類へ視線を落としながら「なら」と再び質問をした。


「書類じゃ不明、となっているが、その二国の資金提供者についてトライセン上席研究員は何も知らなかったということか?」

「一応私でもそこらは当たったさ。だがトライセンが会って聞いたのはまったくの偽名。容姿も変装もしてたみたいだからな。記憶だけじゃさすがに追跡は困難だな」

「そうか……ならば情報流出が無かった、ということで良しとするか」


 ドボドボとグラスにウイスキーを注ぎ、ふかふかのソファに尻からダイブした。さすがは私の年収くらいしそうな高級ソファだ。衝撃を吸収しながらも弾力は失わない見事な座り心地だ。なあマティアス、そろそろソファを買い替えたりしないか?


「生憎だがそいつは今年に入って新調したばかりでな。それに、私もそれを気に入ってるんだ」


 残念だな。まあ、いい。どうせ高級な物なんぞ、酒以外私には似合わない。

 ぼやきながら同じく高級そうなテーブルに軍靴を履いた脚を投げ出してウイスキーを傾けていると、今度はマティアスからぼやきが聞こえてきた。


「トライセン主任は優秀だと聞いていたし、期待していたんだが……マンシュタイン主席も含め、優秀な人材を一気に失うのは非常に残念だよ」

「……そうだな」


 香り漂うグラスを傾け、喉を流れる冷たい熱を飲み干す。

 確かにトライセンは優秀だったんだろう。魂を喰らった今となってはどれだけ奴の頭脳が優れていたかも知識豊かだったかもよく分かるし、努力も惜しまない性格というのも、それだけなら好感が持てる。

 だが――それを台無しにしたのが行き過ぎた野心、羞恥心、そして自尊心だ。

 王国一の研究者として名を馳せたいという野心。だが壁にぶち当たっても「過去の自分ならば」と若かりし自分に固執し、周囲に弱みを見せることを良しとしない羞恥心。それを隠すために周りの連中を見下した態度を取る自尊心。そんな事をしても問題は解決しないというのにな。はて、臆病な自尊心と尊大な羞恥心と言ったのは誰だっただろうか。

 そんな精神状態の奴の傍に不幸にもやってきたのがマンシュタイン殿だった。見下していた彼にあっさり課題を解決されて、そこから本格的な転落が始まっていった。

 同じ様な状態にはマンシュタイン殿も陥っていたんだが、彼は誰かに頼ることを知り、そしてトライセンは禁忌に手を出した。


「誰かに頼るのは決して悪ではないのだがな」

「しょせん人間。できることなんて限られてる……まあ、言ったところでももう後の祭りだがな」


 マンシュタイン殿とトライセン。驚くほど二人の歩んできた道は似ていたんだが、側にいた相手が運の尽きというやつかね。マンシュタイン殿はマリエンヌ殿という家族がいて、一方のトライセンは神に選ばれてジ・エンド。まったく――


「――神に関わるとろくなことがない」


 マンシュタイン殿たちもトライセンも、そして――私もだ。

 そんな思いをもう一度アルコールで胃に流し込んでついついため息を漏らしていると、珍しく気でも遣ったのかマティアスが「そういえば」と話題を変えてきた。


「念の為の確認なんだが……本当にあの白装束については何も分からないのか? 報告書に書けない、お前の魂喰いとしての力で以てしても」

「ああ、さっぱりだよ。残念ながらな」


 なにせ喰ったところで一切の情報が出てこないからな。記憶も知識も。

 しかし。だ。


「そこまで空っぽとなれば逆に推測はできる」

「ふむ、興味深そうな話だな。ぜひ聞かせてくれ」

「ならまず……最初にニーナにちょっかいを出したりトライセンに従ってたりしてた白装束だが、連中は神の使いじゃあない」

「何故そう思う?」

「神の使いにしちゃ弱すぎる。それに奴らには意思というものが無かった」


 自立して動いちゃいるが、まるで目的のためだけに動く操り人形だ、あれは。痛みをもろともせずに戦えるっていうのは、駒として動く兵士としては十分だろうが、状況に応じて考える頭がなけりゃやがて使えなくなる。

 それに。


「人間をああいった人形にする、似たような術式があった」

「それはお前の『魂』の記憶に、か?」

「ああ。忌々しいがあの『ドクター』はそっち方面の術式にも精通してたらしい」


 私を買い取り、「人工の魂喰い」に仕立てあげた挙げ句に私に魂を喰らわせた狂人。古今東西多くの術式を修めた天才にしてマッドサイエンティストであり、悠久を生きた魔女に近い魔術師。その魂の記憶に死体、或いは死にかけの肉体を蘇らせて自我のない人形を作り変えるという古の術式があった。当然、禁忌の類だが。


「まあそういうわけであれは恐らく、クソ、もしくは神の使いがこしらえた、手広く動くための手足だろうよ」

「なら神の使いはお前と互角に戦った、あの女一人ということか」

「今のところはな」


 とはいえ、アレッサンドロたち聖教会のネットワークに大量に白装束が引っかかっている。その内の何人かはあの女みたいに神の使いなのかもしれんな。


「しかしそうか、神が動いているのか……私たちのことが気取られたと思うか?」

「いや、それはないだろうよ。あくまで連中が進めたい歴史の針を進めようとしてるだけだろうな。アイツらは私たちのことなんぞ、微塵も気にしちゃいないさ」


 あのクソどもは自分たちが何かを「する」方であり、何かを「される」側だとはこれっぽっちも思っちゃいないからな。

 そう言ってやるとマティアスは安心したようにため息をついて、そして報告書を手に握ったまま私の正面に座ってウイスキーの入ったグラスを手に取った。


「神の使い、か……思ったんだが、ずいぶんと神様ってのは悠長なんだな。直接手を下せばいいものを使者なんか立てて……まどろっこしいことが好きなのか?」

「世界の理だよ」グラスの氷を揺らせば、カランと澄んだ音がした。「奴らが直接人類に手を出すのは不可能なんだ。だから奴らは代理人を作って人の前に降り立って神の業を授ける」


 それは知識だったり、或いは魔法だったり、或いは技術だったり。時には胎児に干渉して奇跡の子を生み出させる。もちろんそれら授けたものはあくまで人間が人間として扱える範疇なんだが、歴史を大きく前進させるものだ。


「面倒な話だな……しかし何のために人類に介入するんだ?」

「さっきも言ったろ? 奴らは歴史の針を進めたいのさ。歴史が滞っていると考えたらそれを強引に進めなければ気が済まないんだよ」

「そのためにトライセンに……なんだったか、ミーミルの泉とやらの作成方法を教えたということか?」


 私に聞かれたって答えなど知るか。だがまあそうなんだろうよ。

 と、そこまで考えて、報告書に書かなかった重要事項を話してなかったことを思い出した。


「ミーミルの泉だがな、調べたみた」

「ほう、どんな代物だ?」

「本物なら、という但し書きが付くが……中々な代物だぞ」


 残っていたウイスキーを飲み干し、もう一杯おかわりしながら調べた結果をマティアスに教えてやる。

 ミーミルの泉。それ本来の意味は北欧神話に出てくる巨人ミーミルが所有する、知識と知恵が隠されているとされる泉のことだ。そしてその神話にあやかっているのか、あの宝石が完成した暁には、膨大な叡智がもたらされることになりそうだった。

 世界に蓄えられた数々の知識の泉。或いは根源とも言うべきか。神、ミスティック、人間……種族問わず歴史の中で積み上げられ、今後も積み上げられていくだろう知が眠る場所が世界にはあって、ミーミルの泉はそこにアクセスするための鍵の様なものだ。そしてそこにアクセスできるようになれば古今東西あらゆる知識・知恵を引き出すことができる。まさにトライセンのような人間にしてみれば喉から手が出るほどに欲しい代物だろう。

 ざっくりとそんな説明をしてやると、マティアスは何処か腑に落ちないような表情を浮かべた。


「話を聞くに、膨大な百科事典のようなもの、なのか……?」

「単純化すればそうとも言えるな」

「これまでの莫大な知識が手に入れば、確かに非常に有益ではあるだろうが……しかし、神が造らせようとするほどの物か? それほどの価値があるとは思えんな」

「言っただろう? 今後も・・・積み上げられていく知も眠ると」


 ウイスキーをまた傾けながらそう言ってやると、マティアスの顔色が変わった。


「まさか……今の、現時点での知識に限定されないのか?」

「そうだ――未来の知識だって得られるのさ。そのミーミルの泉が完成すれば」


 そう伝えるとマティアスの表情がひどく厳しいものになった。

 確かに完成したミーミルの泉が他国に渡って未来の技術を入手し、王国の技術的優位が揺らいでしまえば王国はその国力を著しく損なう。王族であるマティアスがうろたえるのは、まあ道理だろう。

 とはいえ、私はあまり心配していない。結局のところ、技術というのは積み重ねだ。土台となるものを理解しなければブレークスルーだって起きまい。一を知らない阿呆に十を知ることはできないのだから。


「ふむ……王国としてもぜひ欲しいものだが、そう焦る必要もないか」

「ああ。それよりもマティアス。こいつにはもっと重要なことがあるぞ」

「なんだ?」

「思い出してみろ。ミーミルの泉……こいつを作るためにトライセンは何をしていた?」

「なにって……」マティアスが徐ろに目を大きくした。「おい、まさか……」

「そうだ。ミーミルの泉の材料は人間の魂。人間から魂を吸い上げ、純度を高めて宝石に閉じ込めたものだ――私のようにな」

「なら……ならもし、私たちがそれを手に入れられれば」

「そうだ。計画を大きく前に押し進められる」


 マティアスの顔色が、さっきとは違った方向へと変わった。


「焦るなよ? 下手に動くと面倒なことになりかねんからな」

「分かってるよ。下手は打たないさ。そんな事をすれば全てが水泡に帰しかねんからな」


 念の為と釘を刺してみたが、平静さは失ってないようだな。ま、ここで下手を打つような人間ならそれまでということだ。

 空になったグラスをコトリ、と音を立てて置き立ち上がる。そして、胸ポケットから取り出したメモをテーブルに落とした。


「ツテがあったらその酒を仕入れてくれないか? 二本あれば十分だ」

「ふむ……中々希少な酒だがたぶん大丈夫だ。その代わりちゃんと代金は払えよ?」

「分かってるさ。言われなくってもそこまで面の皮は厚くない」

「どうだか。しかしなんでまた?」

「……なに、たまにはちょっと飲んでみたくなっただけさ」


 ククッと喉を鳴らして、制帽を被り直すと部屋を出る。軍本部の無骨な作りの廊下に出ると、大きな窓から茜に染まった曇り空が見えた。


「マティアスには焦るな、とは言ったが――」


 焦ってるのは私の方かもしれんな。そんな事を思い、最近感傷ばかりだなとつい苦笑いが出た。

 ともかくも。

 マティアスが酒を手に入れたら、それを持ってマンシュタイン殿たちのところに行こう。

 そして、彼らとはそれっきりだ。じゃなきゃ、余計に辛くなる。

 そう心に決めると制帽の鍔を深く下げて、私は暗くなってきた廊下を歩いていったのだった。







File4. 「王立研究所の人間」 完

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