Uターン☆ラリアット

らび

第1話 着地点


    わたしは幼い頃より

    手が先に出るたちで、

    散々母に注意されて育った。



『人を傷つける恐れがある拳は、決して出してはいけない』


 わたしはそれに激しく賛同。人を痛めつける拳は危険だ。その結果、私は拳より幾分やわらかいが先に出る女となった。

 


 それから十数年後。派遣先のオフィスで地味な制服に身をまとい、わたしは役員にラリアットをかましていた。

 所詮は女の細腕。相手に怪我をさせない練習は散々してある。その結果が奏して幸い負傷者は1人も出なかった。――が、わたしにラリアットをかまされた役員のニセの御髪おぐしが飛んでいった。


 それはわたしのラリアットをくらった役員の、大事な、大事な秘密だった。


 ニセの御髪は人々の視線を一身に集め、オフィスの宙を舞い、その日たまたま訪れていた取引先の人の頭上に着地した。わたしはその日のうちに契約を切られた。

 

 まだ日の高いうちに私物を放り込んだ段ボール箱を抱え会社を去るわたしに、正社員の人たちは様々な言葉をかけてくれた。


「よくやった!」

「ありがとう!」

「せいせいしたよ!」


 どの言葉もわたしの心に届かない。わたしは彼らの為にしたわけではないし、わたしを称賛する彼らもまた、わたしの為に次の仕事を紹介等してくれるわけではない。


「相手が悪かった!」


 そういう声も聞かれたが、わたしは一度もそうとは思わなかった。飛んでったニセの御髪の〈着地点〉が悪かったのだ。



 故郷の山々や青い空、ぼつぼつ浮かぶ雲を眺めながら、わたしは

(あの人が倒れるほどのラリアットにならなくて良かった)とか、

(あの人がよろけた先にデスクなど無くて良かった)とか、

(あの人が尻餅ついて、腰の骨を折ったりしなくて良かった)などという事ばかり考えて毎日を過ごしていた。


藍子あおこー! お客さんー!」


 突然の来客だったので近所の人が野菜をおすそ分けに来てくれたか、見合いの話を持ってきてくれたか、そのどちらかだろうと思った。しかし、実家にまで足を運んでくれたのはクビになった会社で一緒に働いていた男性社員だった。

 歳もわたしとそんなに離れておらず、社内で顔を合わせては挨拶プラス一言話す間柄だった人。

 彼は母がわたしの分のお茶を出し終わるより早く用件を口走った。


「キミに再びラリアットをかまして欲しい!」


 母の鋭い視線が痛い……。

 わたしは母を意識して「余興のお誘いですね」と、にこやかに返答した。

 母はそれでどうにか下がってくれ、わたしはやっと本音が出せるようになった。


「……どういうお話ですか?! 言っておきますが、わたしは私怨でラリアットをかましたわけではないのです……!」


 わたしがラリアットをかましてしまった役員・伊藤さんは、窮屈きゅうくつな物の言い方と不機嫌な表情が威圧的で社員の中には彼を苦手に思う人も少なくない。わたしが退社した際に声をかけてくれた人たちが、まさにそれだ。


「もちろん、もちろん! だからこそ、こうして君にお願いに来たんだ!」


 彼はわたしの押さえた声の調子に気づいてくれず、興奮しており、やや声が大きい。大きいだけで言っていることの意味は全く分からない。

 息巻く男性社員はどうにか、わたしが事態を把握できていないことには気づいてくれ、もう少し分かり易く話してくれた。


「伊藤さんは、君に感謝している。同じようになりたいという人が、君を呼び戻せと命じたんだ!」


 わたしは恐る恐る、しかし慎重に確認した。


「つまり、……飛ばせと?」

「いかにも!」


 わたしは役員のカツラを飛ばそうと思ったことは一度もない。つまりあれは、やろうとしてやったことではないのだ。


「できません」

「なぜだ!」

「あれは偶発的に起きただけのことなので、二度、同じことが出来るとはお約束できません」

「そうだったのか……!」


 彼の声はやっと少しだけしぼんだ。


「では、キミはなぜ、あんなことを?」


 わたしは少し迷ってから、事実を打ち明けた。


「……伊藤さんは、いつも、とても苦しそうにお話しされるのです。お話しされている内容は、至って普通の事なのです。仕事についてや、雑談……。でも、わたしには、とても苦しそうに見えていたのです」

「……あの日も、そうだったのか?」


 わたしはコクンとうなずいた。


「あの日は特に苦しそうで……。わたしは口より先に腕が出る女なのです。あまりにも苦しそうな声だったので、もう、聞いていられず……。苦しみを止めて差し上げたい気持ちでいっぱいになり、気づいたら、あのような事態に……」


 わたしはうつむいたまま膝の上で握りしめた己の拳を見詰めていた。

 男性社員は、さっきよりもずっと落ち着いたトーンの声で言った。


「やっぱり、そうだった。キミのしたことはそれで良かったんだよ。伊藤さんの苦しみの原因は、あのウィッグだったんだから」

「え?」

「伊藤さんはね、あれが地毛でないことはみんな分かっているだろうと。そう思いながら、社員と接することをとてもストレスに感じていたそうだ。外すタイミングも接し方の方向性も見失って、とても苦しんでいたところに――」

「わたしがラリアットをかましたんですね……?」


 彼はにっこりとうなずいた。


「伊藤さんは、今はありのままの姿で、とてもリラックスして社員と接しているよ」

「そうだったのですか……」


 わたしは信じられない思いで右腕の内側を見ながら、あの時の感触を思い返した。


「一緒に、来てくれるね?」

「はい」



 こうして、わたしは派遣先の会社に〈ウィッグ飛ばし要員〉として引き返すことになった。

 リングはオフィスか宴会場。

 要請のあった場合にのみ、わたしの右腕は振われる。間違っても〈被っていたい人〉の分まで飛ばしたりはしない。

 わたしのデスクは社員のメンタルケアルームにある。


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