第52話 近衛兵見習いの世界

王国との戦いに近衛兵見習いとして従軍が決まったとき、私の夢見る未来は希望に満ちていた。


努力をしなければ下級貴族の三女なんて碌な嫁ぎ先も無いのだ。

せいぜい自分と歳の近い子供がいる中年太りの腹の出た貴族の妾になるか、金持ちの平民に血筋を目当てに嫁に貰われるのが関の山だ。


それに比べれば近衛兵見習いとして従軍して手柄を立てて正規の近衛兵になる。

それこそが希望に満ちた未来という物だ。


その為に王国との戦争で軍功を立てる。

強くそう思って戦場へ向かったのだ。


でも、実際の戦争には御伽噺のような華々さなど少しも無かった。

戦場には名誉など無く、人と人とが殺しあうだけの世界だった。


王国騎兵が軍馬の恐ろしい足音と共に迫ってきたとき英雄的な振る舞いなど少しも出来なかった。

ただただ、恐怖に支配されパニックになる自分がいた。


そして、自分の横を駆け抜ける軍馬に共に手柄を立てようと誓った友が踏み潰されるのをただ震えて見つめていた。


馬に踏み潰されて、愛らしかった友の顔はグチャグチャになっていた。

何かにつけては笑い転げて快活でエクボが印象的だったあの子の顔は永遠に失われたのだ。


そしてスカートから覗く美しかった彼女の脚はちぎれ飛んで転がっていた。

お腹を踏み潰されてぶちまけられた臓物は只々おぞましかった。


そこにあるのは血と肉が混ざり合った何かで、さっきまで憧れの先輩を思っては頬を染めていた友とは別の物に成り果てていたのだ。


その時気付いたのだ。

戦場での生死を分けるのは偶然だ。

多少の剣の技など何の役にも立たないのだと。


騎馬の走る位置が1メートル横にずれていたら死んでいたのは友では無く私だったろう。

敵との邂逅の度に死神に見出された誰かが死んでいくのだ。


明日は自分がぐちゃぐちゃな肉の塊に変わるのかもしれない!

そんな事さえ当たり前に感じるようになっていく自分いる。


でも、私は幸運にも自分が人であるうちに帝国へと帰還が叶ったのだ。

私は生きて帝国の土を踏むことが出来た。

その代償として人として大切な何かを王国の地に置いて来る事になったが。


そして近衛兵見習いから近衛兵へと昇格した。

王国へ戦に向かう際に栄達として望んでいたそれは、なってみればなんの感慨も湧き上がらない物へと変わっていた。


多くの近衛兵が死んだ穴埋めとしてはめられる。

ただ、それだけのものだった。

そんな物で心に空いた穴は少しも塞がらない。


そして、帰還兵の心の傷が癒えるよりも早く、帝国では静かな内戦と呼ばれるおぞましい戦いが始まってしまった。


そこでは兵士は一度も戦う事なく、どの派閥に属していたかだけで勝ち負けが決まってしまう。

そんな戦いだった。


そう、ある日急に知るのだ。

自分の派閥が落ちぶれたことを。

そして、一族の命脈が途切れたことを。


戦いでの名誉の戦死はそこにはない。

ある日、逆賊の集団と言われ、出来レースの裁判で死刑が決まる。

その結果として町中に吊るされる死体の一つになる。


そんな戦いが、粛清の嵐が、帝国に吹き荒れていた。

そして私達の一族も権力争いに敗れて逆賊となり粛清の対象となった。


父や兄は逆賊の汚名を注ぐ為に未来の無い戦いへと赴いていった。

そして、敗れて帝都の城壁に晒される死体となった。


母や姉は帝都の屋敷に居たために逆賊として囚われて男の慰みとして生きるだけの存在に落とされた。


風の噂では最後は貧民街に落とされて一切れのパンを対価に身体を売る生活を強いられらしい。

しかも死ぬ直前には家畜と変わらない扱いにまで落ちていたと聞かされた。


そして幼い弟妹は領地が攻め落とされる時、毒を飲んで黄泉へと旅立った。


そんな一族の滅びを私達は密かに落ち延びた王国で聞くこととなった。


王国への落ち延びる。

それは苦しい選択だった。

私は父に懇願したのだ。

共に戦い、共に散りたいと。


でも父は私に別の事を願ったのだ。

生き延びて子をなして一族の血を残せと。

それが子を産める女の役目だと。


だから、私達は王国へと落ち延びたのだ。

でも、私は父の望む生き方を手に入れる事は出来なかった。


女を捨てて王国で生きる為に冒険者になったの。

女だけの5人のパーティーとして。


そんな私達でも粗野な冒険者の男には魅力的に見えたのだろう。

自分のパティーに入れと言い寄ってくる男の冒険者が途切れる事はなかった。


でも、粗野で力だけに頼りまともな教養も無く、ろくに剣技も身に付けていない冒険者の男には私達はなんの魅力も感じなかった。

だから、私達は男に頼らずに冒険者として自立して戦う道を選んだのだ。


自分が冒険者になるなどと思ってもいなかったが、なってみると自分の力だけで生きる冒険者という生き方はとても新鮮だった。


剣を振るい獣や魔物を狩る生活は女には特に厳したった。

森の中では浮浪者のように汗や垢に塗れるのは当たり前で経血を拭う余裕もない時もあった。


昼は獣や魔物と命のやり取りをし、夜は獣や魔物の襲撃に怯えながら寝る生活に女の尊厳など入り込む余地はないのだ。

でもそんな生活でもやり甲斐をかんじていた。

自分の力だけで生きてゆく冒険者の生活は一族の為に生きる貴族の女の在り方よりも余程人間らしい生き方だと思っていたからだ。


……ゴブリンの大規模な群れと遭遇するまでは。


それは悪夢だった。

ゴブリンは1匹であれば弱い魔物で問題なく討伐出来る。


3匹の群れでも、いや5匹の群れでも私達5人であれば脅威では無い。

でも20匹の群れに囲まれて、連携を阻まれ一人で集団と戦うことになれば話は別だ。


同時に4本の棍棒で前後左右から攻撃されて、私は意識を刈り取られた。


気がついた時には薄暗い小屋に私は転がされていた。

焦って起き上がろうとしたが手にも足にも力は入らず激痛が襲ってきた。

私の手足は全て折られていたからだ。


激痛の中、首を動かして周りを見渡せば私と同じように手足を折られ全裸で転がる仲間が見えた。


そしてそこには仲間以外の女もいたが、ある女にはゴブリンがのし掛かっていた。

別の女は膨らんだ腹をしていて大きな呻き声をあげており、股間からゴブリンの子供の頭がのぞいていた。


ぐちゃぐちゃという音がする先では、ゴブリンが生の臓物を咀嚼していてその臓物はもはや声もあげられない女の腹から引き出されていた。


恐怖に身を竦めているといつの間にか目の前にゴブリンの顔があった。

私の顔を見下ろすゴブリンの口からは血を含んだよだれが滴っていて、そのゴブリンがさっきまで息絶えた女の内臓を咀嚼していたゴブリンだと気づかされた。


恐怖の限り叫び声をあげたがそんな事でゴブリンは少しも怯まない。

逃げることの出来ない私の顔を押さえ込みゴブリンの顔が近づいてくる。


蛇のように長い舌が私の口内に入り込もうとする。

私は口を強く閉じその舌を拒むが折れた手を掴まれて悲鳴を上げさせられて開いた口にゴブリンの舌が入り込んだ。


血の味を感じさせる唾液、その血は人の血だ。

ゾワゾワっと悪寒が走る。


そんな私を嘲笑うかのようにゴブリンの手が私の乳房を握りしめる。

すると獣のような鋭い爪が容赦なく私の乳房の皮膚を切り裂いた。


その痛みに飛び跳ねる私をゴブリンが押さえ込み、私にのし掛かってくる。

割り開かれた脚の間にゴブリンの身体が入り込み、私の純情は踏みにじられた。


だが、そんな感傷に浸るまもなく次々とゴブリンが私の体にのし掛かるのだ。


次第に私は感情を放棄して、押し寄せるゴブリンを受け入れるだけのおもちゃになってゆく。


そして気がつけば私のお腹が膨らんでいた。

私はゴブリンの子を孕んだのだ。


それに気付いて私の心は恐怖に鷲掴みにされる。

胃の中が空になるまで吐き続け、胃が空になってからは胃液を吐き続けた。


自分の反吐に塗れてからの私の記憶は混濁している。

私は自分がゴブリンの子供を孕んだ事を認めたくなかった。

だから心を閉ざしたのだ。


そんな閉ざした心はある日こじ開けられた。

私を助けたという男の声で。


私を助けた?


この男は何を言っているのだろう?

私のお腹は臨月を迎えていていつ陣痛が来てもおかしくない。

それで私の何を助けたと言うのだ。


隣からはゴブリンの子供を産みたく無いと言う怨嗟の声が聞こえる。

あれは、アンナの声だろう。


私だって一緒だ。

ゴブリンの子供など産みたく無い。

ゴブリンの子を産んでまで生恥を晒したく無い。


そう叫びたいけど口がまともに動かない。

そして私は不思議な夢の中にいる。

私が近衛兵の見習いだった時に私を可愛がってくれたリン様が私の身体を拭いているのだ。

そして私を抱きしめて泣いている。


リン様に会えるはずなどないのに。

でもリン様は言うのだ。

私に生きろと。

リン様も同じ苦しみに遭い乗り越えたと。


神子様の救い手を取るのだと。

私は分からない?

こんな私に生きる意味などあるのだろうか?









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