第31話 別れ

 鎮守の森から現れた清は、呆然とする神に歩み寄った。その手を伸ばし、神の手に触れる。愛しげに神の顔を仰ぎ見て、優しく微笑んだ。

「ようやく、会えた。あなたに……」

玉依姫たまよりひめ……』

 玉依姫とは、神をその身に寄り付かせる女性のことを指す。日本神話にも登場するこの名を持つ女性だが、まさか現実に姿を見ることになろうとは思いもよらない。

「え……清ちゃん?」

「ええ。清、はわたしの現世の名です」

 玉依姫は優月に微笑みかけると、自分は先程全てを思い出したのだと語った。

「ここに彼が降りた直後だったと思います。それが、わたしにも伝わりましたから。伝わって来た時、『ああ、わたしはあの人を探していたんだ』と理解したんです」

「……ということは、あなたも共有者?」

「いえ。わたしは、言うなれば過去世に玉依姫だった記憶を持つ、生まれ変わりのような者です」

 この世に生を受ける理由は人それぞれだ、と玉依姫は言った。全てを忘れて新たな人生を歩む人もいれば、全てを覚えて人生を始める人もいる。そして、魂を共有して生まれてくる晴や優月のような事例もあるのだと。

「全ての生は、つながっていますから」

『……その通り。しかし、わたしはお前が生まれ変わってこの世に生まれるとは思わなんだ。記憶を失ったお前と再会することを覚悟していたのだ。そうであっても、わたしはお前を見守るつもりでいたのだが』

「でも、会えたから良しとしましょう?」

『……そうだな。よく、来てくれたな』

 神は玉依姫の背に手をまわし、柔らかく抱き締めた。玉依姫もそれに応え、神の胸に顔をうずめた。千年以上、もしかしたら何千年も昔に別れて離れ離れになった二人の再会だ。晴と優月は、互いに目を見合わせて苦笑した。

「何か、戦う気が失せたわ」

「そうだね……。でも、大怪我しなくてよかったよ」

 優月は晴の傷だらけの体を見て、「怪我だらけだけどね」と笑った。

「火傷もしてる。早く冷やせよ」

「痛っ。あかがね、そこはたくな」

「ははっ」

 バシバシと晴の背中を叩き、あかがねも笑っていた。隣では獅子が猫くらいの大きさになって座っている。

 夏至の夜、空には彼らを見守るように月と星が瞬いていた。


 夏至とはいえ真夜中は肌寒い。場所を社務所に移して、晴と優月、あかがね。そして神と玉依姫がいた。場所を提供したのは珠樹だが、彼は神話の人物を目の当たりにして満足したらしく、自室に引き上げた。対して前大君と大納言は、いつの間にか姿を消していた。

「……さて、あなたたち二人を元の世界に戻さなければいけないわね」

「戻れる、んですか?」

「ええ」

 あなたたちの役割は終わったから。玉依姫はそう言って微笑んだ。

「二人は、共有者と彼に呼ばれてこの世界にやって来た。優月は巫女として天に上る可能性を、晴は大君の陰として生ながらそれを止められない可能性を持ちながら。……でも、二人ともそれを覆した」

「それは……あなたが来てくれたからですよ、玉依姫」

「違うわ、晴。わたしは、本来ならば目覚めることはなかった。清として生を全うして、彼と再び会える運命になんてなかった」

 国の始まりを創った巫女は、神話上、天に上って二度と地上に戻らなかったとされているという。巫女としての一生を終えた後、玉依姫の魂は国と一体となり、その記憶を失ったまま転生を繰り返していた。

『何度も、生まれ変わっていたのか……』

「ええ。わたしが気付きもしなかったのだから、天にいたあなたが気付かなくても仕方がないわ」

 神の落胆を一笑し、玉依姫は言った。

「今世は清という孤児。優月に出会って珠樹に拾われ、国父神宮に世話になり、今ここに記憶を持っている。礼を言わなければならないのはわたしの方」

 感謝の印に、と玉依姫は戦いで傷ついた晴の怪我を神通力で治してくれた。

「明日、もう一度ここに来て。儀式を行い、あなたたちを日本に帰します」

「……なら、みんなにお別れを言わないとな」

「そうだね、晴……」

「……」

 獅子の背に乗って宮へ帰る道すがら、三人は一言も発しなかった。





 宮中に戻ると、寝ずに待っていた大君と中宮、照、正治そして影頼に迎えられた。

「無事、帰って来たようだな」

「おかえりなさい、三人とも」

「もう。心配で眠れやしなかったわ!」

「無事で何よりだ」

「ええ。疲れただろう、休みなさい。話は明日、じっくりと聞くから」

「……いや、ダメだ」

 影頼の言葉に首を激しく振り、あかがねは目に涙をためて訴えた。

「二人は、明日帰っちゃうから」

「あかがね……」

「泣かないでよ」

「泣くもんかよ……」

 全く説得力のない顔で、あかがねは中宮に抱きついた。いつもはそんなことは絶対にしないが、泣き顔をさらしておきたくなかったのだ。

 そんなあかがねの様子を見て、大君は静かに言った。

「……ならば、急がねばなるまい。疲れているだろうが、聞かせてくれるかい?」

「はい」

「勿論です」

 晴と優月は首肯し、結神祭であったことを全て語った。舞台で無意識に舞う優月と、それを辞めさせるために動いた晴とあかがね。次いで神と対峙し、戦ったこと。巫女見習いの清が玉依姫という、初代の巫女にして、神の想い人だったこと。

 それら全ての話を終える頃には、朝日が昇りかけていた。

「……よく、頑張ったな。二人とも。いや、あかがねを含め三人とも、か」

 全てを聞き終えた大君の最初の一言は、それだった。

「神の望みも叶えられ、行斗と壱花という二人の共有者の願いも叶えられたと思う。……晴、優月。きみたちが客人まれびとでよかった」

「わたくしからも礼を申します。友となってくれたこと」

 中宮は目を赤くして微笑み、優月と晴を抱き締めた。

 正治と影頼は、無言で二人の頭をくしゃくしゃに撫でまわした。やめてくれと訴えたが、二人の気が済むまではやめてもらえなかった。その合間に、何度か雫が落ちてきたが、晴も優月も知らぬふりをした。

 始終涙が止まらなかったのは、晴と優月も同じだ。

「さあ、ひと眠りしたらもう一度国父神宮へ行くんだ。また、きみたちの世界に戻らなくては」

 大君の言葉で解散となり、晴は清涼殿、優月は香耀殿で休むこととなった。それぞれが床についても話は尽きず、全員がきちんと眠ったかどうかはわからない。


 日が白く輝く頃、晴と優月はあかがねと獅子と共に宮を飛び出した。

 別れの時、陽臣は晴に帰って来た時返された蒼い珠を再び手渡した。

「これを再び誰かに預けることは、もうないから」

 そう言って。今は守り袋に入って晴の制服の胸ポケットに入っている。

 二人は今、この世界に来た当時に服に身を包んでいた。およそ一年ぶりの制服は、何か着慣れない印象があった。

 あかがねは、獅子に乗っている時も、口を開かなかった。何かを我慢しているように見えたが、晴も優月も言葉をかけられなかった。

 国父神宮に降り立つと、神と玉依姫が三人を出迎えた。

『来たか』

「こちらへ」

 ついて行くと、境内の真ん中に大きな陣が描かれていた。太陽と月が紋章としてデザインされ、竜がそれらを抱えている。

「晴、優月。その真ん中に立って手をつないで。……別々の場所に落ちないように」

「……ほら」

「うん……」

 晴に差し出された手を優月がつかみ、二人は陣の中心に立った。

 そこへ、ひょっこり現れたのは珠樹である。罰の悪そうな顔をして、深く頭を下げた。

「お二人に、謝らなければと思いまして……」

「確かに、あんたがしたことは許されることじゃない。……だけど、もういいよ」

「うん。結果的に、なるべくしてなったのだと思う。それに、あなたを必要としてる人もたくさんいるから」

 優月の視線の先には、巫女として神宮に仕える少女たちの姿があった。彼女らを見出だし育てているのも珠樹だ。

「……でも、もうしないでください。神のためと言っても、それは人を傷付ける」

 おれは、優月を傷付けたことだけは許しません。そう言って晴は微笑んだ。珠樹は首肯し、神にも促されて再び頭を垂れたあと、社務所に戻っていった。

「さあ、お別れね」

『世話になったな。晴、優月』

 玉依姫が神言しんごんを唱え始めると、陣が淡く発光した。それは大きな光の柱となり、天を突き抜ける。

「……最後に。あなた方は、元の世界に戻った後、この世界を忘れます」

 玉依姫は、衝撃的なことを言った。言葉を失う二人に、「でも」と彼女は微笑んだ。

「全てを永遠に忘れるわけではありません。きっかけがあれば、すぐに思い出すでしょう」

「……はい」

 光が強まる。感覚として、もう旅立つのだと二人にはわかった。

 その感覚は、陣の外にいた者にも伝わる。

「───ッ。晴、優月!」

「あかがね?」

「どうし……」

「おれは、忘れない。みんなも、絶対。……必ずまた、何処かで会おう!」

 あかがねの目から、大粒の涙が落ちる。けれどその表情は、晴れやかだった。

 だから、二人も笑顔で返す。涙はもう、気にならなかった。

「うん。また、必ず!」

「またな、あかがね!」

 それを最後に、光の柱は天へと消えた。




 二人を見送った後、大君は一人で共も連れずに父のもとを訪ねた。

 仁成は独り、邸の庭を見つめていた。

「……父上」

「……陽臣、何をしに来た」

 背中で拒絶される。それはわかっていた。それでも陽臣は、父の隣に腰を下ろした。

 しばらく、二人とも言葉を発しなかった。聞こえるのは、本格的な真夏を前に鳴く、蝉の声。そしてさわさわと木の葉を揺らす風の音だけだ。

「晴と優月は、元の世界に戻っていきました」

「……」

「父上」

「……」

 仁成は何の反応も示さない。それでもいい。ただ、聞いて欲しかった。

「わたしはいつか、父上に認められる大君になって見せます。そして……いつか、輝臣の自慢の兄となれるように」

 父の返答も聞かず、陽臣は席を立った。無言で頭を下げ、邸を出る。

 一人残された仁成は、何も言わなかった。

 ただ、流れ落ちるものを拭うことなく、静かに微笑んでいた。

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