夢美瑠瑠


          掌編小説・『旅』




  「玄奘三蔵法師の一行の取経の旅がコラージュされた中国四大奇書のひとつが「西遊記」なわけですが、実際の玄奘の旅の成果として、玄奘のライフワークとなった「般若心経」が成立して、一種不滅の金科玉条みたいになったという、経緯があって、これは有名かもしれない。厖大な大般若経を天竺から持ち帰って翻訳して、そのエッセンスを、ごく短いお経に凝縮した、その玄奘の伝説的な偉業への一種のオマージュ?が「西遊記」なのかもしれない。これほどに偉大で、困難で、有益で、人類に裨益するところ大の「旅」というのは凡そ唯一無二であるという、そうした事実への讃嘆やら尊崇の感情が、あまりにも貴重で奇特なその旅を寧ろ面白おかしいような奇想天外な物語にパロディとして仕立て上げたいという衝動となって、なんだろう、なんらかの記念碑的な一大叙事詩のような?、玄奘の偉大さに比肩するべく、自由奔放すぎるようなイマジネーションを縦横無尽に展開するストーリーの表現として、綺想に満ちた屈折した趣向で謳いあげられたユニークな文学として成功している傑作、それが天下の奇書の「西遊記」なのかもしれない。そうして見方を変えれば、それは旅のプロセスを通じて、孫悟空という荒れ狂う野性の体現的存在が、三蔵法師という高徳の僧に人格的な薫陶をなされていくという、ビルドウンクスロマン的な教訓的な説話にもなっているのである。「水滸伝」、や「三国志」も史実に材を求めた奇書なのだが、西遊記ほどには幻想的な飛躍と脚色をした異色さはない。英雄の闘争という物語になりやすいテーマが存在しない分、西遊記には独自の怪物的なキャラクターがたくさん創造されて、その「怪力乱神」たちの生き生きした活躍の痛快さゆえに、今では本家の「大唐西域記」をしのぐほどに人口に膾炙して、誰もが魅了される普遍的な定番のエンターテインメント噺として定着している。玄奘の「旅」の大きすぎたインパクトを物語っている、いかにも中国的な文化遺産、現代の冒険RPGの「ドラクエ」とかの原型ともいえるかもしれない西遊記はもう、「旅」という行為の元型的なイメージとして不滅のものとなっている。孫悟空というキャラクターは、もしひとつだけ文学や小説にあらわれる有名な主人公を選ぶ人気投票をしたら、圧倒的なトップを獲得するかもしれない。「西遊記」の旅の物語にはそれほどの人々の心をつかむ魅力があるといえる。」


評論家の戯言角造ざれごと・かくぞう氏は、「『旅』文学としての『西遊記』という現象」という題の、頼まれた原稿をどうにか脱稿して、「ちょっとでっちあげっぽいかな」と呟いた。彼は実は「西遊記」をちゃんと原作で読んだことはなくて、孫悟空というと「ドラゴンボール」の主人公としてのほうがなじみ深いのだった。


ビールの缶を開けてから、「ドラクエ」を始めた彼は、「何が西遊記だよ。こっちの「旅」のほうがよっぽど面白いやな」とひとりほくそ笑むのだった。


<終>



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