母へ
AW
第1話
届かない吊り輪と不安定な足元
遅延を取り戻そうと必死に走る鉄の塊
満員電車は嫌いだ
大きく揺れるたびに凄惨な記憶
脳裏を過よぎるのは泣き叫ぶ悲鳴
百余名が亡くなった例の脱線事故だ
あの日の辛く悲しい教訓は
バッグを持つ手に自ずと力がこもる
そのとき私の手に振動が伝わった
金属が奏でる摩擦音に
バイブレーションの響きが調和する
異質な音域が周囲の視線を引き付ける
ガラケーとスマホの二台持ちは珍しくない
仕事とプライベートを仕分けるためではなく
単に月額合計二千円という魅力に
吸い寄せられた結果に過ぎない
その一つの選択が私のデジタルディバイドを
加速させているという自覚はあるのだが
着信が止んで留守電に切り替わる
音漏れしていないことに安堵する
帰り道に聴けばいいよね
そして再び己の身の安全確保に努めた
二月八日(金)
駅から徒歩四分の距離にある自宅
足早に三分を過ごす歩き慣れた帰途
そのはずが今日は五分も歩いている
途中に聴いた留守電のせいだ
実家から十五キロほど離れた
他市にある警察署からの電話だった
「WAさんの携帯電話でしょうか
お母さんが亡くなられて
こちらで遺体を預かっております
遅い時間で申し訳ありませんが
今から来てもらえませんか」
これは何の冗談かな
いたずら電話だよね
震える手で何度も確認する
途切れ途切れの選ばれた言葉
緊張した雰囲気の中に
メッセージの裏に
冗談の気配を必死に探す
感じ取ろうと必死に求める
あんなに元気だった母が
そんな簡単に死ぬわけがない
私の甘過ぎる確信は
再生を重ねるたびに
打ち消されていった
懐疑心は波しぶきを上げて流れ去り
暗闇を独り彷徨うような不安が攻め寄る
どうしようどうすればよいのか
震えて力が全く入らない右手
そこに弱々しい左手を添える
どうにかこうにか自宅の玄関を開け
家の光の中へと潜り込む
足にも全く力が入らない
靴を必死に脱ぎ捨てて
真っ直ぐリビングへと向かう
自宅にも電話が入ったらしく
不安そうに私の顔を見つめる
六歳の娘と三歳の息子
「おばあちゃんの家に行くから
黒っぽい服を探して早く着替えて」
既に二十時を回り空腹もピークだろう
二人は文句を言わずに着替え始める
幼いながらに理解した風な顔をして
明日と明後日は土日のため仕事はない
私は覚悟を決めた
石油ファンヒーターを動かす
灯油を一杯入れて車に積み込む
冷蔵庫とパントリーを開ける
保存食を含めた二日分の食料
三日分以上の着替えと毛布
思いつくまま車へと詰め込んでいく
行き先はここより南にある南房総市
暖冷房がない田舎町の木造一戸建て
トランクから座席にはみ出す荷物は
まるで夜逃げをするかのような勢い
九時間に及ぶつまらないデスクワーク
一時間半立ちっぱなしの満員電車
普段なら夕食の片付けを終えて
ソファーでまどろむ時刻
なのに不思議と疲労も睡魔も感じない
警察署の住所をスマホで調べた
震える心臓を鼓舞しナビに設定する
高速道路を使って約二時間半
片道百二十キロの道筋をナビが提示する
急激に寒さを増していく夜
小さな白い車は一家を乗せて走り出した
運転中に普段流しているアニソンは
何の気晴らしにもならなかった
心配して話し掛けてくる子どもの声も
今は邪魔で仕方なかった
「静かに寝てなさい!」
怒鳴り声と一緒に思わず手が出てしまう
震える手が子どもを押し倒してしまう
結局そんなことをしたって泣くのは私
どうして八つ当たりをしているんだろう
感覚を完全に失った両手は
既にハンドルと一体化している
流れる涙を拭うことなく
車は南へと向かって走り続けた
三分の一ほど走っただろうか
ナビがおかしい
今まで一度もこんなことはなかった
中古なりの矜恃でもあるのか
私の期待を裏切ったことはなかった
表示されるのは千葉の高速道路
ではなく新潟の田舎町
運転しながら何度か改善策を試みる
DVDを抜いたり電源を入れ直す
案の定新潟を抜けた車は日本海を進む
来なくて良いからね
母がそう言っているとしか思えない
死に顔を子や孫に見られたくない
そんな気持ちを感じ取ってしまった
実家までならナビなしでも行ける
問題は高速を下りてからの道のり
青看板を見つけながら走るしかない
そう割り切ってナビから目を離す
そして無言で運転に集中した
道に迷うことは覚悟していた
しかし実際そうはならなかった
残り二キロくらいかと思ったとき
突然ナビが急に息を吹き返した
母もさすがに諦めたのかな
正直そう思わざるをえなかった
警察署の薄暗い照明に導かれる
パトカーが占める駐車場に車を休める
二十三時少し前だった
こんな時刻に警察署に来る人はいない
慌てた様子で走り寄る人影がある
警棒を持った警察官だった
「電話をいただいたWAです」
「ご苦労様ですこちらへ」
短いやり取りを交わした後
子どもたちを起こして車を降りる
署内には私の双子の兄が先に来ていた
憔悴しきった顔で俯いていた
「顔を確認してもらえますか」
担当官から言われた私は間を置いて頷いた
「おばあちゃんの所に一緒に行こう」
子どもたちは眠さに耐えながら小さく頷く
「やめた方がいい」
「そうですね」
兄と担当官の声が重なる
おばあちゃんは孫に会いたがっていた
子どもたちも会いたがっているはずだ
それなのになぜ
答えはすぐに分かった
警察署の外に連れて行かれた私は
ブルーシートが包む屋外で母に会った
青くくすんだ土気色の身体
赤く腫れたて大きく膨らんだ顔
目は光を失ったまま小さく開いていて
口は何かを訴えかけるように
何かを叫ぶように大きく開いていた
母は間違いなく死んでいた
遺体の近くには警察の方が三人いた
まだコートが必要な寒い夜なのに
震えながら静かに立っていた
「お風呂に浸かっている状態でした
死後三日から五日経っています」
言いにくそうに囁く警察官
私は静かに頷き母に近づく
「寒かったでしょ!
かわいそうに!
ごめんね!
早く見つけてあげられなくて
本当にごめんね!」
人目を憚らず声を上げて泣いた
警察官たちも離れた所で泣いていた
担当官に連れられて署内に戻るとき
見ず知らずの男性に夢中で話し掛けた
ひたすら母への後悔を叫んでいた
同時に泣き腫らした顔を両手で叩き
再び強い母親の顔に戻ろうとした
兄と初めて視線を交わす
兄が子どもに何を話したかは分からない
ただこの人は泣いていない
辛い気持ちに耐えられる強さがあるのか
それとも母への愛情が私よりも低いのか
どうでも良いことが
ずっと私の頭の中を占めていた
十年前に自殺未遂をした兄のことだ
公務員の兄からは愚痴は聴いていた
希望する職場に行けないと
兄は生活保護受給者を救いたい
貧しい子たちのために手を差し伸べたい
兄はそんな理由から公務員を目指した
合格を聴くまで私は全く知らなかった
自分のことで精一杯で気づけなかった
三年おきに職場が変わる公務員の世界
本当にしたい仕事から遠ざかっていく
兄は突然冬の山に身を預けた
仕事中に兄嫁からの電話を受けた
自殺するから捜さないでと言われたらしい
GPSの電波は実家付近で途絶えていた
親戚と警察で夜を徹して捜索した
母は自宅でずっと泣いていたらしい
結局兄を見つけることは叶わなかった
南房総市でも夜の気温は零度に迫る
二次災害を心配して捜索は打ち切られた
誰もが諦めかけていた
翌朝警察署に泊まっていた私は初めて見た
警察官に抱き抱えらて連れてこらた兄
その兄が声を上げて泣く姿を
翌日兄は坊主頭になっていた
中学生以来の姿に戸惑う私に兄は言った
もう一度頑張ってみようと思ったと
その後で兄と一緒に担当の警察官から
詳しい事情と今後のことを聴いた
母を発見したのは近所のおばさんらしい
余った食べ物を分けてくれる優しい人だ
警察官が彼女の話をまとめた調書を読む
今朝九時に何度も呼びかけたが返事がなく
玄関の鍵が開いていたから家の中に入った
家中を捜し回り最後に浴槽で母を見つけた
実は明日の二月九日は帰省予定だった
お正月は風邪で子どもを連れて行けなかった
その代償が明日の帰省だった
もし母を見つけたのが私だったら
そんな状況を無理矢理に想像する
いやそれは正確ではない
考えないようにしても考えてしまう
ただその思考は途中で必ず途切れてしまう
だから無理矢理に想像するのだ
生を諦めず
必死に心臓マッサージを繰り返すのか
死を受け入れて
呆然と佇むかもしくは泣き叫ぶのか
冷静に現場を保存して
警察に連絡することができるだろうか
正直に言うとどれも自分には無理だ
怖くなってその場から逃げ出してしまう
そんな弱々しい自分しか想像できなかった
その人に感謝を伝えたいのだけれど
個人情報は言うことができないと
警察官は名前すら教えてくれなかった
きっとその人も辛い想いをしている
きっとそうに違いない
想像するだけで嘔吐しそうになる出来事
その現場に一人で立ち会ったのだから
その後の警察の話は単純ではなかった
ヒートショックによる心臓麻痺が濃厚だが
母の身体に刻まれた傷痕や浴槽の吐瀉物
玄関の開錠状況から事件性の疑いが残ること
しかし家を荒らされた形跡は見つからないこと
「確認してください」
そう言って警察官から見せられたのは
初めて目にする母の鞄だった
革製のがっちりした茶色い鞄を開ける
兄と一緒に中を覗き込む
通帳や貴金属類と共に
なぜか初めて見る量の現金があった
詳しく話を聴くと
警察官が家中を探し回って集めてきたんだとか
警察を信用しないわけではないが
その行動に違和感を抱かざるを得なかった
「大変お伝えしにくいのですが」
そう話し始めた彼の口から出たのは三つ
数日は近所の聞き込みをさせてほしい
傷が死因の可能性もあり解剖が必要だ
全てが判明するまでは遺体を返せない
既に進みつつあった母の身体の崩壊
それを直視した私には耐えられなかった
このまま屋外に晒すことは
到底認められないと強く主張した
身体の傷は癌の手術を繰り返した跡
身体を酷使して女手一つで子を育てた勲章だ
汚すことは到底許されないと強く主張した
結果として一日か二日は欲しいと言われた
県警本部からの調査は日数が掛かると言われ
兄と私は妥協せざるを得なかった
私たちと兄はその後
母のいない家へと帰宅した
二月九日(土)
本当なら今頃は食卓で母と一緒のはず
他愛のない話をしながらの朝食を想像した
朝早くから私は布団の中で再び泣いていた
実のところ私の帰省予定は今日ではない
本当は一週間ずらしたものだった
先週に帰る予定だったところを
子どものインフルで延期した結果だった
もしその日に帰省できていたら
母は死なずに済んだのではないか
もしかしたら私たちの帰省に合わせて
寒い日の朝にお風呂に入ったのではないか
そんな想いが頭の中で動き出す
どす黒い蛇のように不気味にとぐろを巻く
感じたこともないような罪悪感が
ぎりぎりと私の胸を締め付け続ける
布団の中に篭って泣く私とは違い
兄は四時前に起きて全てを片付けていった
親戚への連絡
母の友人への連絡
葬儀屋の手配
警察への状況確認
市への火葬手続きの確認
寺院への連絡
通帳の確認と各種手続き
全部やらせるなと愚痴を言われたけど
私には返す言葉が見当たらなかった
母との別れを急ぐ理由なんてなかったから
仕事の都合で早く終わらせたいのは分かる
早く葬儀をして母を燃やし墓に入れよう
兄がそう考えているとしか思えなかった
結局警察からは思ったより早く連絡が入り
午後三時には遺体を回収できることになった
タイミングよく連絡が入る
親戚が勤めている葬儀屋からの連絡だった
すぐに訪問したいとのことだった
真面目そうな四十代の男性が家に来た
黒いスーツが嫌味なほど高級に見えた
手狭な台所を片付けて葬儀の確認をする
ABCと並べられたプラン
多くのオプションを流れるように確認する
兄は考えるのが疲れたのか
任せます任せますの一点張り
「セットで三十五万円
その他オプションを含めて
お見積額は50万円ほどです」
相場を知らない私でも正直高いと思った
いやそれ以前に
こんな大事なことを全て任せて良いのかと
初めて会う人に見送られる母は
味気ない別れに悲しむのではないかと
そんな気持ちが湧いてきた私は
大声を出してしまった
「全て自分たちでやります
できないものだけ教えてください
本当に最低限の葬儀で構いません」
プランを白紙に戻された葬儀屋もだが
最低限という言葉に
母のプライドを傷つけられたと思ったのか
兄も不機嫌になった
二人を説得するために
私は必死で訴えかけた
花は依頼しないで庭で母が育てた花を摘む
会葬礼状は私が文面から全て作成できる
返礼品も私が全部用意する
場所だって葬儀屋ではなく自宅でやるべきだ
「お金のこともだけど
母だってその方が嬉しいだろうし
死んだらそうしてくれって
ずっと言ってたでしょ!」
私と母が一緒に行った韓国旅行
その思い出の写真を使うことも含めて
結局私の希望が全て通ることになった
それだけではなく
葬儀屋さんはかなりの無理をしてくれた
座布団やお茶の準備と飾り付けなど
有料オプションを無料で手配してくれた
兄も私が全部責任を持ってやるならと
私に任せる決断をしてくれた
そして最愛の母の葬儀は
二十万円足らずの質素なものとなった
そして親戚との日程調整と
母の遺体の状況を鑑みた結果
以下のスケジュールが組まれた
二月十一日(月)十四時に火葬
二月十二日(火)仏滅
二月十三日(水)九時から葬儀
実はこのとき既に異常は始まっていた
昨晩からの強行軍が祟ったのか
大好きな祖母の死にショックを受けたのか
娘が嘔吐を繰り返し
高熱で寝込んでしまっていたのだ
十日前にもインフルエンザで倒れたばかり
四十度を超える高熱がこう何度も続くのか
急性胃腸炎の可能性もあった
母の居室を借りて一日中様子を見た
熱は下がる気配を見せず
うなされて吐くこと十数回
来週一杯の休暇を会社に申請していたため
一週間は実家に籠る決意をしていた私に
兄が自宅に帰宅するよう促した
病気がうつるから帰れと
そんな本心が聴こえた気がした
二月十日(日)
市販の風邪薬は全く効かず
朝になっても娘の高熱は続いていた
朝イチで通いつけの小児科に連れて行った
診察結果はただの風邪
心労が重なっただけとのこと
医師がそう言うのだから疑う余地はない
インフルや急性胃腸炎ではなかった
その小さな証明が私を安心させてくれた
しかし処方された薬も効果なく
嘔吐は翌日も続いた
あちこちの店を走り回り
会葬礼状用の葉書を探す
往復はがきサイズで二つ折りにできる物
しかも文章がたくさん入る無地がいい
しかし欲しい物は全く見つからない
やはり葬儀屋に頼むべきだったと後悔する
画用紙を切るしかないかと諦めかけたとき
百均で手頃な葉書を見つけた
五千円は覚悟していた六十通の会葬礼状は
トータル三百円ほどで済んでしまった
母には叱られるというか笑われると思う
その日の深夜自宅で奇妙なことが起きた
まず弄っているとスマホの電源が切れた
その後に突然部屋の電気が消えた
そして閉めていたはずのドアが開いたのだ
当然子どもたちはベッドで寝込んでいた
消えていたのはほんの三秒ほどだったが
明かりが戻ったときにはドアは閉じていた
昨秋建てたばかりの新居なのに!
背筋に悪寒が走った私は布団に逃げ込んだ
余談だが私は霊的なものを全否定する
霊魂や天国地獄等の存在を認めていない
恐怖の感情は脳に大きな作用をもたらす
視神経や聴神経は脳と密接に連携を取る
それが無意識に幻覚幻聴を生じさせている
故に人知は超えても人体は越えないのだ
人によって見えたり見えなかったりするのは
脊髄を介さない神経特有の作用だと考える
もっと言えば弱い心を持つが故に現れる現象
つまり自分の心の弱さが起因しているのだと
そんな私でさえも霊的な何かを感じさせるほど
これは不思議な体験だった
二月十一日(月)
娘の熱は下がらず三日連続で40度に至る
食べれば吐くの繰り返しで快復も望めない
うなされては何かを叫んでいる
怖い夢を見るからと全く寝ようともしない
そんな娘を置いていくわけにもいかず
兄には熱が下がったと嘘をついて連れ出した
朝十時には再び実家に戻る
一日居なかっただけとは思えない感覚
時間の経過がものすごく遅く感じる
花を買い足すように催促されていた
ネットの画像でカーネーションが目に入る
カーネーションは母が好きな花の一つだ
誕生日が母の日に近いからだろうか
亡き母への愛を示すという白いカーネーション
その花言葉はまさに母へ贈るに相応しく思えた
しかし甘くはなかった
五件十件二十件と電話が虚しく切られていく
当日すぐに手に入る花ではないらしい
取り扱っておりません
入荷の予定はありません
二日前に予約を入れてください
私は諦めざるをえなかった
通り道の花屋さんで白い花を探すか
私は焦りを感じながら昼過ぎに家を出た
娘の熱は高いままだが連れて行くしかなかった
母とよく立ち寄ったお店を思い出した
野菜がメインだが少しなら花も売られている
運良くお店は開いていた
白い菊や百合を夢中で手に取る
枯れかかっている花でも構わなかった
とにかく白い花を買い占めた
葬儀場に着くと冷蔵庫から母が出てきた
親戚の計らいで綺麗にお化粧をしていた
棺一杯に庭に咲いていた花を並べていく
庭から摘んだ花は場違いな赤や黄色だった
枯れかかっているのもあればつぼみもあった
精一杯咲き誇っていた花
これから咲こうと頑張っていた花
力を使い果たして余命を待つばかりの花
積み採ることに罪悪感はあった
ただ母がいない以上は枯れ行く運命だし
母と一緒にいてほしいという私の願いもあった
「おばあちゃんいつ起きるの?」
下の息子の呟きに返す言葉が見つからなかった
いたずらで花の茎を鼻の穴に差そうとする
いつもそうやって遊んでもらっていたよね
上の娘も目に涙を浮かべてお別れを言っていた
いつ書いたのか分からない手紙を渡していた
娘は母と風船で遊ぶのが大好きだった
一緒に公園に行ったり海に行ったり
鴨川シーワールドに行ったり
たくさん遊んでもらったよね
花をたくさん詰められた棺は
釘を打たれることなく
親戚一同に抱えられて霊柩車に吸い込まれた
車を連ねて向かったのは他市の火葬場
高齢化が進む中で火葬場が減っているらしい
そのせいか火葬料は五万円もしたそうだ
棺は下ろされて火葬場へと運ばれた
最期のお別れをした後に一時間ほど待機した
案の定そこで壮絶な兄との喧嘩が始まる
奥さんも子どもも連れてこない兄に腹が立ったから
火葬はもうその人の顔を見れないことを意味する
「孫が祖母に会いたがっている気持ちを踏みにじるな」
それに対して兄は一言だけ呟く
「子どもが会いたくないって言っていたから」
兄には九歳の娘と六歳の息子がいる
確かに三年ほど会っていないのは知っているが
まさか本人たちの口からそんな言葉が出るとは
「祖母が孫に会いたがっている気持ちはどうなの」
兄は黙って視線を外した
確かに喋れぬ死者にできることは一つもない
でも最期くらいは心を汲んであげようよ
火葬場の職員に呼ばれて行くと
骨になった母が出てきた
お化粧の色だろうか
頭蓋骨がピンク色に変色していた
小さかった身体は一層小さくなり
細くて脆い骨だけが残されていた
最近ずっと涙が止まらなかった私は
その姿にまた声を上げて泣いた
胸に仕舞い込んだはずの罪悪感が
再び鎌首をもたげる
二人一組になって骨を骨壷に収めていく
親戚から私に温かい言葉が投げかけられる
「元気出してね」
「お母さんは頑張ったんだから貴方も頑張って」
「何かあったら連絡してね」
返す言葉なんて見つからないよ
涙は枯れるって聴くけど
私がこの数日間で流した涙は何リットルだろう
全く枯れる気配も見せず滝のように流れ出た
骨壷をずっと抱き締めながら助手席でまた泣いた
骨になった母は久しぶりに帰宅した
二月十二日(火)
娘の熱は少し下がってきた
何度計っても三十八度を下回ることはないが
少しずつ食欲も戻ってきたようだ
思い起こせば母の死亡推定時刻の夜に
とても不思議な出来事があった
二段ベッドで寝ていた娘が突然起きて叫んだ
「家が揺れてる!
助けて助けて助けて!」
地震の夢でも見たのかと思い
抱き締めて安心させてあげる
しばらく泣き叫び悲鳴を上げていた娘は
やがて疲れ果てて寝てしまった
翌朝聴いても全く覚えていないと言う
悪夢にうなされることは珍しくはないが
この日は朝から近所や知人に挨拶回り
と言っても精力的に動いていたのは兄だけど
私は家の清掃や冷蔵庫の整理をしていた
二月十三日(水)
朝五時に起きて着替える
返礼品がぎりぎりで届き慌しく準備をする
八時に葬儀屋さんが来て最後の打ち合わせ
九時にお寺の住職さんが来て葬儀が始まる
もう泣かないだろうと思った私は馬鹿だった
いくら我慢しても涙が止まることはなかった
いくら笑おうとしても出るのは嗚咽だけだった
この葬儀にどれだけ意味があるだろう
遺体の状態が悪すぎるからと先に火葬をした
ちっぽけな骨の姿に
いくら母の面影を重ねようとしても
そんなことは無意味なはずだった
でも実際はそうではなかった
骨になっても母は母だった
海や花が大好きで
病気を根性で乗り切って生きて
口が悪いけど元修道女らしく非常に真面目で
私が話を聴いていなくても二十四時間喋り続ける
そんなおかしな母だった
葬儀が終わると兄が私に無茶振りしてきた
喪主である兄を差し置いて私が最後の挨拶をする
予期せぬ事態に頭が真っ白になってしまう
でもそこで何を喋ったかは今でも覚えている
「母はもっと生きたかった
私は親孝行ができなかった
人はいつか必ず死を迎える
早いか遅いかの違いでしかない
人生を振り返ってみたとき
幸せだったかなんて本人にしか分からない
母の人生について私に語る資格なんてない
でも頑張って生きてくれたことは知っている
すごく強い人だったということは理解している
私だけ馬鹿みたいにたくさん泣いちゃったけど
今からもう泣くのはやめます
笑顔でよく頑張ったねと送ってあげてください
頑張って生きた母を皆さん拍手で送ってください」
そう言って一人空しく拍手をしたんだっけ
やらかした感はたっぷりあったけど
素で出てきた言葉だったのだから
これが私の心の声だったのだと思う
「笑顔で送ってください」と言いつつ
泣き崩れていた私に説得力は全くないけどね
三月十六日(土)
この日は四十九日法要の日
この日に至るまでにいろいろなことがあった
まずは娘のこと
葬儀が終わった後からケロッと体調が良くなった
霊的なというより精神的な原因だと思う
しかしそれでは説明ができないことが一つ
突然紙に漢字をいくつか書き始めたかと思うと
その中になぜか母の名前を見つけた
母の名前を知る機会は全くなかったし
そもそも小学四年生で習う漢字なので
小学一年生の平凡な子どもが書ける字ではない
他は「友」と東京の地名「町田」が書かれていた
偶然の一致だと思い何も考えないようにした
次は遺産のこと
私が幼少の頃から両親は共に癌を患っていた
入退院を交互に繰り返しながらの生活だった
言葉通り血反吐を吐きながら働いた父は
私たちが中学生のときに亡くなった
死ぬ三日前まで働き続けた結果の報いだ
母も身体が悪いなりに精一杯働いてくれた
夏は海で海女として命を張った
他の季節は友人と共に朝から工場に勤めた
当然ながらお金なんてほとんどない
瓶や缶を拾って売るような極貧生活だった
食卓に肉が出るのは一ヶ月に一度あるかだし
中三で初めて買った缶ジュースは忘れない
参考書や問題集すら買えない環境で育った
高校は町の補助金で通わせてもらい
大学は学費と生活費を自弁し実家に仕送りをした
親孝行代わりに勉強を頑張り
貸与だけでなく給付奨学金を貰い続けた
そんな大学生の頃は特に貧乏だった
新聞紙を食べたこともある
雑草を食べたこともある
お風呂は一月と二月を除きずっと水風呂だった
それほど貧しかった我が家だけど
父も母も実はお金を残してくれていた
母の名義でJAに預けられていたお金と
自宅から見つかったお金を合わせて数千万
入院代手術代に使わずに残されたお金だった
命と引き換えに稼いだお金
そんな重みがした
しかしJAは口座を凍結してしまった
遺族が身分証を持って行けば下ろせるはずなのに
JAの言い分はこうだった
「母に隠し子がいた場合問題に巻き込まれるから」
戸籍には長女長男しか書かれていないし
母には再婚の事実はない
隠し子云々を死者に疑うのは失礼の極みだろう
男性とは違い女性の出産の事実はそうそう隠せない
それでもなおJAは頑なに断り続けた
JAの担当者は偶然にも中学の頃の同級生だった
嫌がらせの予感がした
対応は全て兄が行っていたが
戸籍謄本や印鑑証明書と誓約書(二度)
ことあるごとに小出しに要求された
結局請求から引き出すまでに一ヶ月半を要した
他にも親戚の子の夢に母が二度出てきて
何やら二つほどお願いをしたとか
そんな怪しげな話は尽きないのだけれども
とうとう四十九日法要の日を迎えた
実家のある千葉県ではなく
兄が住んでいる神奈川県にお墓を用意してあった
母が生きているうちに兄が準備してあった墓だ
街中にある狭いお寺だけど
住職さん一家はとても親切だった
社屋もとても綺麗で母もきっと気にいると思う
小さなお墓に母が納まるのを見届けたとき
私の人生における一つの転機を迎えた気がした
母の分まで生きようなんて仰々しい想いはない
とても月並みだけど
母の人生に恥じないよう一つひとつできることを
全力でやっていきたいと思った
後記
本文が大変読みにくくて失礼しました。
内容の性質上、冠婚葬祭に関する文章全般のマナーに則り、「、」「。」は用いずに書きました。
これは、式や行事の進行を滞りなく流すことと、「区切れ」を表す句読点の性質が相容れないためだとする説によるものです。
ご了承頂ければ幸いです。
母へ AW @roko
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