第三十九話 《空界の支配者》

「リドラさん、指輪を外すべきです!」


 俺はリドラへとそう言った。

 リドラは苦悶の表情を浮かべ、必死に自身の腕を掴んで苦痛に耐えていた。


「外すわけにはいかんのだ! この指輪で我々竜人は代々竜穴を制御している。指輪がおかしいということは、竜穴に異常が起きているということ。こんな状態であるからこそ、余の指が焼き切れようと、この指輪を外すわけにはいかん!」


 そのとき、広大な地下全体を包み込むように、虹色の光の壁が浮かび上がってきた。

 リドラが目を見開いて光の壁を睨みつける。


「こ、これは、非常事態に備えて先代竜王が準備していた、竜穴の魔力を用いた結界だ! 普段から結界自体は展開しているが、ここまで出力が高いものは余は使ったことがない! 何故このタイミングで……!」


 指輪が何かしらの暴走を引き起こしているようであるし、誤発動したのかもしれない。

 ただ、それにしても、何か意図的なものを感じる。


「もしかして誰かが、竜穴をコントロールしているんじゃ……」


「そんなはずはない! 竜穴を自在に制御することができるのは、この指輪の他に存在はしない!」


 続けて竜穴より轟音が鳴った。

 黒い巨大なドラゴンが、翼を広げながら竜穴より姿を現した。

 二つに裂けた巨大な尾が宙を舞う。


 黒竜は、身体の表面は、この場の岩々と同様に虹色の光を帯びている。

 竜穴の魔力に間違いなかった。


「く、《空界の支配者》……! 奴が何故ここへ!?」


 リドラが唇を噛み締めてドラゴンを睨む。

 あのドラゴンが《空界の支配者》に間違いないらしい。


 状況整理に頭が追いつかない。

 何故この場に先回りすることができたのか、そして何のために先回りしていたのか。

 そして、ラムエルの目的がなんだったのか。

 

 ただ、間違いなくわかることがある。

 今が非常事態だということである。


 黒いドラゴンが大きく息を吸う。


「フィリアちゃん! ポメラさんをお願い!」


「うんっ! フィリアに任せて!」


 俺はリドラの腰に手を回し、地面を蹴ってその場から離れた。

 フィリアもまたポメラの手を引き、遠くへと飛んでいた。

 俺達の背後に、黒い炎柱の列が巻き上がった。

 奴が口から黒炎を吐き出したのだ。


 安全な場所へと移動してから、俺はリドラを下ろした。


「や、奴め……! この場が荒れると、世界に何が起こるかわからんというのに!」


 リドラが歯噛みしながら《空界の支配者》を睨みつける。


「 《空界の支配者》に、竜穴を乗っ取られた……? すいませんリドラさん、俺が騙されて、アイツがこの地へと入り込む隙を作ってしまったのかもしれません」


 疑いたくはないが、ラムエルは暫定でほぼ黒だ。

 元々俺に竜王へと会うように依頼したのはラムエルだ。

 アイテムのことも仄めかしていた。


 恐らくラムエルは、俺がリドラと戦い、竜穴の管理に隙ができるのを狙っていたのだ。

 竜王は基本的に竜王城から出ず、常に竜穴の守護と制御を行なっている。

 管理が甘くなるのは、王竜の称号を得た者が挑戦に訪れたときだけなのだ。


『キヒヒ……それは少しばかり違うね。確かに竜王は常に竜王城周辺の魔力の動きを感知している上に、危機を感じれば結界を強めて竜穴に誰も近づけなくすることもできる。それは多少厄介だが、ボクならそんなもの、少しばかり準備をして策を弄せば、いくらでも掻い潜る術はある。ボクがそれをしなかったのは、単にやる意味がなかっただけなのさ。ボクの全身は、とっくの昔に竜穴の魔力で満たされているからね。今更ここの魔力を追加で吸い上げたくらいじゃ、レベルもステータスも大して伸びないんだよ』


 《空界の支配者》から思念波が送られてくる。

 その巨躯が強い光に覆われたかと思えば、輪郭がどんどんと小さくなっていく。


『ボクが狙っていたのはキミの方だよ。ここに誘き寄せて結界で閉じ込めてしまえば、竜穴の無限の魔力を使って、一方的に攻撃することができる』


 ドラゴンの姿が、少女の姿へと変わった。


 見覚えのある藍色のウェーブの掛かった髪に、丸っこい金色の瞳。

 大きな水晶のついた、真っ赤な首飾りをしている。

 記憶に違うのは、大きな角と、身体以上の長さを誇る二又の尾と、大きな翼。

 そして何より、腕は黒い鱗に厚く覆われたままであり、その先端には禍々しい凶爪がついていた。


「お人好しの馬鹿は利用しやすいので嫌いじゃありませんけれどぉ、キヒヒ、馬鹿にも限度ってものがありますよ。悪いけどこっちも大事な使命があるんですよねぇ、カナタさん」


 わざと作ったような白々しい猫撫で声で、そいつは俺へとそう言った。


「ラムエル!?」


 確かに《空界の支配者》が竜人であることは聞いていた。

 しかし、ラムエルが《空界の支配者》であるはずがない。

 彼女はそもそも【レベル10】であったはずなのだ。


「ヴェランタに押し付けられたときには、こんなものボクには要らないと思っていたけれど、確かに役に立ったみたいでよかったよ。いや、双獄竜を偵察に送っておいてよかった」


 ラムエルは巨大な鉤爪で首飾りの水晶を握り潰した。

 その瞬間、ラムエルの纏う気配が変化した。


‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

『ラムエル』

種族:竜人

Lv :1780

HP :9078/9078

MP :9256/9256

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐


 レベルの、偽装……?

 完全に転移者対策だ。

 《神の見えざる手》は、そんな技術まで持っていたのか。


 今となっては、引っ掛かっていたことがポロポロと見えていた。

 双獄竜が《空界の支配者》の手で始末されたときにはあまりに残忍な奴だと思っていたが、理由があったのだ。

 双獄竜を通して俺の実力を知ったラムエルは、早々に正攻法では敵わないと判断し、俺と接触して行動を誘導することにしたのだろう。

 そのために、何としてでも自身の情報を双獄竜に落とされるわけにはいかなかったのだ。


「いや、さすがにキミのステータスが想定していたより数倍は高くて驚いたよ。だが、ボクの魔力は元々竜穴から奪ってきたものでね。竜穴も、ボクを自身の一部であると判断しているのさ。そんな安っぽい指輪がなくったって、ボクはここにさえ入り込めば、いくらでも竜穴を操ることができる」


 

 ……確か、オディオも《空界の支配者》は、竜の規則を破って竜穴の魔力に手をつけた罪人だと言っていた。

 道理で竜穴の結界の出力を引き上げることができたはずだ。

 結界が維持されていたのに中に入り込んでいたのも、リドラが気を失っている間に入って内側から結界を張り直して、誰も侵入していなかったかのように偽装していたのだ。


「わかるかい? 竜穴にいる限り、ボクの命も魔力も無限なのさ。多少レベルの差があろうと、そんなことは些事でしかない」


 ラムエルがそう言って笑い声を上げた。

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