第二十七話 竜王リドラ(side:リドラ)

 桃竜郷の最奥地、竜王城。

 竜王の居城であると同時に、世界の魔力の集まる箇所、竜穴を守護するための場所でもある。

 竜王城の地下には竜穴と直結している《竜穴の間》があり、竜穴の魔力を用いた結界が展開され、厳重に守護されている。


 その竜王城の最上階層である《竜王の間》にて、一人の竜人が竜王への面会に訪れていた。

 聖竜の称号を持つ老いた竜人、オディオである。


「顔を上げよ、オディオ。何用で余の許を訪れたのだ? 世間話に余を訪れる程、貴殿も暇ではあるまい」


 竜王……リドラ・ラドン・ドラフィクが、オディオへと問う。


 リドラは薄い緑色の、長い美しい髪をした美青年の外見をしていた。

 頭部には大きな枝分かれした角があり、背には金の翼があった。


 リドラは豪奢な椅子に肘を置いて頭部を傾け、その蛇のような切れ長の目でオディオを見る。


「竜王様や……お伝えしたいことが。この桃竜郷に、四人のニンゲンが訪れております。そしてなんと……内の三人が、皆、第一の試練で五百点を出したのです」


「ほう、興味深い」


 リドラは顎に手を当て、クク、と笑った。


「表で有名な者共なのか? 《人魔竜》ではあるまいな? 人の身にして魔の道を行き、ドラゴンの強さを得た咎人共。ここ桃竜郷に招くべきではないのは無論のこと、余程のことがない限り、連中との接触自体が御法度だ」


「儂らは、ニンゲン界には明るくない……。ただ、人里好きの娘、ヨルナの話では、どの者も《人魔竜》ではない、と。内一人は《極振りダブル》と呼ばれ、英雄視されておるS級冒険者のニンゲンであるそうです」


「他の二人は、無名だと? 面白い……そのような者らが、第一の試練で五百点を取るとは。並外れた力を持ったニンゲンが、道を踏み外さぬように導くのも我ら竜人の使命の一つ。オディオよ、見極めておけ」


「はっ、無論、そのつもりですじゃ」


「また、動く時期なのかもしれんな。ニンゲンの世の、歴史が。古来より、闇の軍勢が栄えたときは、稀代の英雄が集まって打ち倒すもの……。そうやってニンゲンの歴史が、今にちまで紡がれてきたのだ。だが、逆もまた然り。百年に一度の勇者が揃うとき……それは、大いなる闇の到来の予兆なのだ」


「いかにも。仰る通りにございます」


 オディオが深く頷いた。


「我らはニンゲンの危機に、直接は手を貸さぬ。ただ、見守り、記すのみ。それが、ドラゴンとの盟約だ。奴らは奴らで、世界の意思の試練を乗り越えねばならん。非力なニンゲン共には残酷なことではあるがな」


 リドラは少し顔を伏せ、寂しげにそう零した。

 だが、それからすぐにリドラは大きな口を開いて牙を露にし、笑みを浮かべた。


「それはそれとして、クク、楽しみであるな。第一の試練で、五百点が三人か。一人くらい、余の二千二百点を超えぬとも限らん。久方振りに、余へと挑む者が現れるかもしれんな。まさかそれが、ドラゴンでも竜人でもない、ただのニンゲンに過ぎぬとは! ああ、これだから、ニンゲンは面白いのだ。久々に、余の力を示すときが来たのかもしれん。余の牙が鈍ってはおらぬところを見せてやろう」


「リドラ様……まだ、肝心なところを伝えてはおりません」


「む……? どうしたというのだオディオ、申せ」


 リドラが額に皴を寄せる。


「第一の試練で、三人が五百点を……そして、一人が千点を取ったのです! 必ずや、リドラ様の望みは叶うでしょうや! お楽しみください。儂も竜王様と、その御方との戦いを楽しみにしております」


「……一番シンプルで、誤魔化しの利かない第一の試練で千点を?」


 リドラの顔がやや引き攣った。


「ええ、ええ、はい! これはリドラ様の九百点を上回る成績でございます!」


「そ、そうか……随分と力が強いのだな、そのニンゲンは」


「ええ! 小さな幼子もいたのですが、その子も軽々と五百点の竜頭岩を! あの様子であれば、あの子も千点の竜頭岩を持ち上げられたのやもしれません!」


「……な、何かのまやかしであろう。謀られたのだ、オディオ。余らの試練を穢すのは重罪であるというのに、ニンゲンはいつの時代もそれを理解せん。余はそれが嘆かわしい」


 リドラは服の袖で額の汗を拭う。


「いえ、儂も見ておりました! そのようなことは絶対にあり得ません! 我が師は、そのようなことをする御方ではありません!」


「我が師……? 詐術に掛けられた者は、最初は皆そう口にするのだ」


「竜王様、顔が何やら青いですが、ご体調が優れぬのでは……?」


 リドラは首を振り、顔を上げた。


「第二の試練で明らかになるであろう。極端な力持ちなのか、真の実力者か……はたまた、ただの詐術師であるのかな」


 そのとき、《竜王の間》の扉が開かれた。

 入ってきたのは、背の高い竜人であった。

 紫の髪をしており、やや長めの顎が特徴的な男であった。

 彼もまた聖竜の一角であり、名をズールという。


「竜王様ァ! ご報告が! ご報告があります!」


 ズールは甲高い声でそう訴える。


「ズール殿、控えぬか! なんと乱暴なのじゃ! 竜王様の御前であるぞ!」


 オディオが一喝する。

 ズールは卑屈に、リドラへとぺこぺこと頭を下げ、上目遣いでリドラを見上げる。


「三人で第二の試練へ挑んだニンゲン共が……最下層の《赤の暴力エティン》を討ち、《巨竜の顎》を踏破したのですよ! また、その余波で《巨竜の顎》は壊滅状態となっております! これにより、第二試練の段階で二千点の者が一人、千五百点の者が二人ニンゲンから現れたのです! 彼らは、竜王様の記録さえ大きく上回りかねません! ここ、これは、我ら竜人の尊厳を穢す、大事件! 私は、私は、これを許容できません!」


 ズールが顔を真っ赤にし、腕を振り上げる。

 リドラの顔が大きく引き攣った。


「もう一人おったであろう? ほれ、第一試練で五百点取っておった、ミツル殿は?」


「崩落に巻き込まれて引き返し、第二試練は二十点になったと。いえ、そんな輩はどうでもいいのです! 竜王様や、竜人を代表して言わせていただきます! やはりニンゲンなど下賤な存在、どのような理由があれどこの桃竜郷にいれるべきではないのです! 今からでも試練の権利を剥奪し、この桃竜郷から追い出せとご命令ください! そして今後、もうニンゲンは決して入れるなとご厳命を!」


 ズールはヒステリックに叫ぶと、リドラへと頭を下げる。


「何を言っておるのじゃズール殿! 儂ら竜人が、ニンゲンに実力で及ばぬからと恥を恐れて追い出すなど、それこそ最大の恥であろう! 種族に拘わらず、実力者は歓待する! それが儂ら竜人の矜持である!」


 ズールの言葉に、オディオが怒りを露にした。


「老害は黙っているのですよ! ニンゲンなど、たかが百年と生きられぬ、地を這うばかりの、欲に塗れた下賤な獣! 実力者を称えるというのは、あくまでも名誉竜人として、その強さが竜人に匹敵することを称えるということなのです! 少なくとも、貴方以外の竜人はそう考えている! それが、我らの竜王の点数を大きく上回りでもしてみてください! 我ら竜人の尊厳にかかわる問題なのですよ!」


 売り言葉に買い言葉。

 ズールもまたオディオの言い草に激昂し、腕を大仰に振るってそう抗弁した。


「黙るのは貴殿であるぞ! そのような軽薄な自己の思想を、桃竜郷全体のものと置き換えるでない!」


「現実として、奴らをこのまま残せば、竜王様への信仰は薄れ、桃竜郷の秩序は乱れることでしょうが! あんなニンゲンのガキ共をのさばらせていれば、ニンゲンより遥かに強いという前提の基に成り立っている我らの使命が、何の意味もなさないものになってしまう! 理想論は結構! だが、押し付けないでいただきたい!」


「そのような思考こそ弱者のものじゃ! 事実を前に大半の竜人が打ち倒されるというのであれば、精神を一から鍛える必要があるわい! ズール殿は強敵が現れれば、尾を撒いて逃げ出すというのか? おお、愉快、愉快! こんな男がよく聖竜になれたものである! 同列であることが恥ずかしいわい! みみっちい自尊心に囚われておるから、そのような考えに至るのじゃ! 竜王様は、貴殿のような小物ではないわ! 下がれい!」


「ななな、なんと言いましたか!? この頭の固い爺め……ぶっ殺してさしあげましょうか!」


「いつでも掛かって来るがよいわ! 実戦が少なくて鈍っていたところ! 貴殿の血は、爪牙を研ぐのに丁度いいわい! その腐った腑抜け精神が移らなければよいがのぉ!」


 オディオとズールは、顔を合わせて睨み合う。

 元々意見の合わない二人であったが、今この場は特にそれが顕著であった。


 二人が言い争っている間、リドラは端正な顔を歪め、汗をだらだらと垂らしていた。


「第二試練までで、二千点……二千点かあ……。これ、レベル千じゃ済まないんじゃ……。どうしよう、挑戦してくるのかなあ、できれば面会せずに帰ってくんないかなあ」


 俯いたまま、小声でぶつぶつとそう呟いていた。

 リドラとしては、ニンゲンの実力者を無碍に扱うのはポリシーに反するところであった。

 オディオほど極端でもないが、どちらかといえば彼と同じ意見であった。


 ただ、今回は明らかに何か異常なことが起きようとしていた。

 リドラも立場がある。

 ニンゲン相手にボコボコにされ、それを下手に吹聴されようものなら、桃竜郷での権威が地に落ちてしまう。

 ズールの言うことにも理があった。

 竜王の権威が落ちれば、それはリドラだけの問題ではないのだ。

 そもそも竜人に竜穴を守護する力がない、ということになってしまう。


 誇りを失った竜人達の一部が何か事件を引き起こしてもおかしくはない。

 また、使命を果たせないとなれば、ドラゴンから何らかの圧力を受けることも考えられる。


 追い返して済むのなら正直それでもよかった。

 ただ、万が一抵抗されれば余計に事態が悪化しかねない。

 また、一度でもニンゲンを追い出した前例を作れば、桃竜郷に大きな影を落とすことになる。


「竜王様や! ズール殿に言ってやってくだされ! 我らはそのような、恥知らずで軽薄な生き方をしていてはならんのだと!」


 オディオがリドラへとそう訴える。

 リドラは唇を噛んで、嫌そうにオディオへと目を向けた。


 リドラはしばし逡巡していたが、カッと目を見開いたかと思うと、大袈裟に腹部を押さえ、大きく身体を捩った。


「痛い痛い、痛い痛い痛い痛い! 痛い痛い痛い痛い!」


 リドラは突然、大声でそう喚き始めた。

 言い争いしていたオディオとズールは、呆気にとられた顔でリドラを見つめていた。


「痛い痛い痛い! 痛い、腹が痛いぞ! 余は病魔に侵された! 即刻この《竜王の間》を立ち去るのだ!」


 オディオとズールは、事態が把握できず、ただ沈黙して口を開いたまま、痛がるリドラを眺めていた。


「ニンゲン共が帰るまで……いや、余の腹の痛みが治まるまで、決して使用人以外この竜王城に入れるでないぞ! さあ、お前達も早くこの《竜王の間》から立ち去るのだ! これは竜王の命令であるぞ!」


 桃竜郷に影を落とさず、竜人達の尊厳を守る方法。

 竜王リドラ・ラドン・ドラフィクが思い至った解決策は――仮病であった。

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