第三十三話 本物の《人魔竜》

「《呪霊結晶アグニラズ》の爆風に乗じて不意打ちしてやるつもりだったけれど、まさか、その隙さえ晒さないなんてね」


 金髪の童女は、神経質そうに己の指を噛みながら俺を睨む。


 喋り方や動きのクセ、雰囲気は、人格が塗り替えられたガランのものと似ていた。

 どうやらこの童女が《人形箱パペットコフィン》の発動者のようであった。


 ベネットが童女を見て、信じられないと表情を歪める。


「あの外観に、高位の死霊魔法……まさか、《屍人形のアリス》!?」


 俺はちらりとベネットへ目をやった。

 どうやらロークロアの有名人らしいが、例によって俺にはその知識がない。

 二つ名を口にされても今一つピンとこない。


「……知らないのか?」


 ベネットの言葉に、俺はこくりと頷く。


「《屍人形のアリス》は、リッチになった魔術師だ。本物のアリスだったら、その気になれば国一つ相手取ることさえできるといわれている、《人魔竜》の中でもかなり上位に入る、本当に危険な存在だ」


「リッチ……」


 やはりそうだったか。

 纏う雰囲気が、ルナエールに近しいものがあった。

 それに、あんなに幼い少女が、何の理由もなく高いレベルを有しているとは思えない。


「だが……こいつは、八十年も前に死んだとされている。以来、全く目撃情報がなかったんだ! どうしてこんな、急に……!」


 ベネットはそう言うが、恐らく正確ではない。

 きっと《人形箱パペットコフィン》があったために、表に出てくる必要がなかったのだ。

 一国を相手取れるほどに強いのであれば、こそこそ隠れて活動する意味はないと思うが、アリスは姿を晒すことを好まなかったらしい。


 リッチとなると、人間とは違い時間に縛られない。

 ルナエールがそうであったように、極端に高いレベルを得ることは難しくないはずだ。


 ……となると、今回ばかりは厳しいかもしれない。

 リッチであるルナエールのレベルは推定五千以上だ。

 俺より遥かに高い。


「《ステータスチェック》!」

 

 まず、相手が動く前にレベルを確認するべきだ。

 コトネを見捨てるわけにはいかないが、相手が自分より上だったら、動き方をかなり考えなければいけない。

 どうにかフィリアを呼び戻す必要がある。


‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

アリス・アズキャロル

種族:リッチ

Lv :666

HP :2997/2997

MP :2687/3396

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐ 


 ……蜘蛛の魔王マザーのレベル1000は超えているかと思っていた。

 《人魔竜》の上位で、こんなものなのか……?

 ルナエールは、リッチだから強いわけではなく、単に彼女が強いのだなと、今更ながらにそう再認識した。

 今となって振り返ると、マザーは本当に、この世界ではかなり強かったのかもしれない。


「に、逃げるぞカナタ! アリスは本当に格が違う。あの魔人が生きていたことだけは、何としてでも王家に報告しないと……! もはや《赤き権杖》どころじゃない! この魔法都市はもう終わりだ!」


 ベネットが目を白黒させ、俺の腕を必死に掴みながらそう叫んだ。

 俺は腕を軽く振って、ベネットを払った。


「どうにかしますから、ベネットさんは離れておいてください。あれくらいなら俺だけでも対処できますから」


「そっ、そんな軽々しく言うな! 確かにお前は、僕なんかよりずっと強い! だが、アリスはほとんど伝説の人物だ! 《百魔騎》だとか《ダンジョンマスター》だとか、もうそういう次元じゃない!」


 ベネットはそう言って、剣を構えた。


「悔しいが、逃げられる目があるのは、僕じゃなくてお前だ! 僕だって、騎士だ。や、やってやるぞ! ちょっとでも気を引いてやる。いいか? 三つ数えたら、後方へ全力で跳べ。なに、こうなった以上、王家だって《赤き権杖》のことで僕を咎めたりしないさ。……父様には、僕が騎士として死んだと伝えてくれ」


「いえ、本当に大丈夫なんで……」


 ベネットのその気持ちは応援してあげたいが、レベル600台程度ならどうとでもなる。


「信用できないのか? フ、フン、僕だってやるときはやるさ。こう見えても……剣術には、それなりに自信がある」


「……そう、最近の転移者は、レベルを見れるんだったわ。カナタ、ね。確かに、さっきまでの貴方を見る限り、私くらいならどうとでもできるでしょう」


 俺を疑うベネットとは裏腹に、アリスは険しい顔であっさりと俺の言葉を肯定した。

 ベネットはショックを受けた表情でアリスを見て、その後俺を振り返った。


「なんでこんな化け物が、脈絡もなく突然現れて、わざわざ穏便に行動してる私なんかの前に出てきたのかわからなかったけれど……貴方、そう、バグね」


「バグ……?」


「フフ、自分だけが特別だと、思い上がらないことね。貴方みたいな例が、全くないってワケじゃないのよ。この世界には極稀に、上位存在の調整不足で、とんでもないレベルの持ち主が現れる。固有の《神の祝福ギフトスキル》が災いすることが主ね。そういう存在は過去には、バグと、転移者の言葉でそう呼ばれていたわ」


「それが、なんだと……」


「貴方、上位存在に、この上なく嫌われているのでしょう?」


 これまで無表情だったアリスの口許が、大きく裂けた。

 ギザギザの凶悪な歯が露になり、赤紫の長い舌が口許から伸びた。

 可愛らしい顔が、一気に怪相へ変貌する。


 レベルで大幅に勝っているため、この戦いで負けることはないと、そう思っていた。

 だが、背筋にぞっと冷たい感覚が走った。

 アリスは、明らかにナイアロトプ達に対する深い知識があった。

 アリスは俺が遥かにレベル上であることを認めながら、それでもなお、自分が有利であるという何らかの確信があるようであった。


「フフ、可哀想な貴方に教えてあげるわ、カナタ。上位存在はバグを、なるべく最小限の干渉でなかったことにしようとするのよ。いつの時代だって、それは同じこと……。そして、上位存在に打ち勝ったバグなんて、ただの一人だっていないわ。だって、本気で干渉すれば、極端な話、連中はこの世界ごとバグを殺すことだってできるんだもの」


 俺はごくりと息を呑んだ。


 確かに、ナイアロトプは間違いなく俺のことが嫌いだろう。

 最初から殺すつもりで《地獄の穴コキュートス》に捨てたのだ。


 元々ナイアロトプは、この歪な世界を管理するに当たって、高レベルの人間の数を制御してバランスを保とうとしているのかもしれない。

 個人の戦力差が簡単に開くこの世界では、そういう干渉があってもおかしくない。

 だとすれば、自分の手許を完全に離れてレベル4000になった俺を、どうにか処理したいと考えていてもおかしくない。

 それは好き嫌いの感情を考えた、明確な障害の排除だ。


 アリスは瓦礫の上に乗り、傍らのコトネの頬をべろりと舐めた。

 コトネはそれに気が付いていないかのように、表情一つ変えはしない。


「なんでこんなにあっさり《赤き権杖》と《軍神の手アレスハンド》が揃って手に入ったのか、これで全て合点が行ったわ。最初から仕組まれていたのね。上位存在は、私に貴方を殺させようとしているのよ。でも、私に《赤き権杖》を制御させた方がマシだと連中に考えさせるなんて……貴方、随分ととんでもないことをしでかしたのね」

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