第二十六話 盃の頭領(side:コトネ)
カナタが王国騎士ベネット達と別行動を始めた同時刻、都市マナラークの屋根の上で、二人の人物が顔を合わせていた。
片方は黒い艶やかなショートボブの、色白の華奢な少女であった。
軽装のローブに、両手には手の甲を守る簡素な籠手が付けられている。
感情の窺えない目で、対面している人物を睨む。
マナラークのS級冒険者、《
視線の先に立つのは《血の盃》の頭領、ボスギンであった。
禿げ上がった頭の、コトネの倍近い人外の体格を持つ巨漢であった。
《巨腕のボスギン》の二つ名を有していた。
「ロヴィスは……他の相手に手間取っているのか。まあ、好都合だ。そっちの方がシンプルで済む」
ボスギンはちらりと、離れた場所にある冒険者ギルドへと目を向けた。
「戦力を少しでも増やすために招いたが、《
「貴方が、頭領のボスギン……」
コトネは籠手のついた腕を構え、ボスギンを睨み付ける。
それを見てボスギンは、硝子玉のような不気味な目をそのままに、口許だけで無感情に笑ってみせる。
「その返り血、オレの部下が随分と世話になったみたいだな?」
「……貴方、何が狙い?」
「おいおい惚けるなよ。お前は、ギルドであの雑魚共から、受け取るアイテムがあったんだろう?」
ボスギンが含み笑いを浮かべる。
王国騎士の持ってきた《赤き権杖》は、元々コトネに渡されるはずだったアイテムである。
「それなら、王国騎士だけを襲撃すればよかった。移動経路を絞れなかったのなら、都市で攻撃することにしたのはわかる。でも、これだけ大規模な騒ぎにする理由がない。貴方達はまるで、そもそもここで騒ぎを引き起こすのが目的だったようにさえ思える」
「ほう? なんだ、《
ボスギンの物言いに、コトネは目を細め、眉間に皴を浮かべた。
ボスギンは不気味な男だった。
人外の域の巨漢であることや、独特の目つきもそうだが、何よりもそれ以上に、何か大きな違和感を纏っているようにコトネには感じた。
「そうだなぁ……ついでにこの魔法都市に恐怖を刻み、《血の盃》の名を知らしめるため……とでも言っておけば、この《巨腕のボスギン》らしいか?」
「ふざけているの?」
「いや、気に入ったぞ、《
ボスギンは口から太い舌を伸ばし、口の周りを這わせる。
それから屋根を蹴り、コトネへと突進してきた。
彼が踏み抜いた箇所の屋根が砕けていた。
ボスギンはコトネの目前で、足場の屋根へとその巨大な拳を振り下ろした。
ボスギンの周囲に罅が走り、崩れていく。
コトネの立っている場所もその崩落に巻き込まれ、彼女は足を取られた。
「こんなもんで驚いてもらってちゃ困るぜぇ!」
ボスギンが前に出たとき、コトネも迷わず、崩れる屋根の上を跳んで前に出ていた。
「ほう? やはり場慣れしている。だが、素手で来たって、《
「私には、これがある」
コトネは手に付けた籠手を見せた後、腕を引いて構え直す。
「このオレと殴り合いなど、舐めてくれたものだ!」
ボスギンはそう言い、コトネへとその巨大な腕を振り下ろした。
「巨大犯罪組織、《血の盃》の頭領ボスギン、最悪の犯罪者である生きる災害の証、《人魔竜》候補……」
コトネはボスギンの懐に潜り込むように腕を躱し、胸部へと突きを放った。
「うぶっ……!」
「悪いけれど、貴方程度の相手には、私は今更負けない」
ボスギンの身体が容易く宙に浮く。
続けてコトネは、無防備な空中のボスギンに対し、腹部へと足技を放った。
だが、これは寸前でボスギンの腕に止められた。
「油断したな……小娘」
ボスギンはそのまま、コトネを力一杯に空へと跳ね上げた。
コトネの体躯が一直線に跳ね上げられる。
ボスギンが左腕を掲げた。
左腕の筋肉が膨張し、体積が増していく。
「フ、フフ……お前の言う貴方程度とやらが、どの程度のものなのか教えてやろう! オレはこの純粋な暴力によって、アウトロー共を纏めて《血の盃》の頭領となったのだ!」
「
コトネは空中で時空魔法を発動した。
コトネの手に、彼女の背丈の五倍以上の全長を持つ、青い輝きを放つ大斧が握られた。
ボスギンが目を見張る。
「《
不自然なほどに巨大な斧が、小柄なコトネの一振りで綺麗に半円を描いた。
ボスギンの立つ屋根を穿つ。
建物全体に罅が入り、一瞬で崩壊し、ボスギンの身体は屋内を落ちていく。
建物は二階建てだったが、床を貫いて一階まで叩き落とされた。
明らかに、ボスギンの初撃を遥かに超える威力を秘めた一撃であった。
ボスギンは血塗れで、一階の床に背を打ち付ける。
コトネはボスギンのすぐ近くに立ち、彼に足を掛けて見下ろしていた。
巨大な斧は、既に消えていた。
「う、うぶっ……」
ボスギンは口から多量の血を噴き出した。
明らかにボスギンは、既に瀕死の重傷であった。
左腕と右脚は、落下の際の衝撃で折れているようだった。
「私だって、人を殺める覚悟くらいはとっくにしてきた。貴方達の目的を吐きなさい。《赤き権杖》のことを、どこから知ったの? あのアイテムは今どこにあるの?」
「や……や……」
ボスギンが弱々しく口を開く。
コトネは声を拾おうと、少し顔を近づけた。
「やっぱり貴女は、私好みだわ」
ボスギンは以前と変わらない低い声で、そう口にした。
だが、口調と声音が、これまでとは明らかに違っている。
コトネは表情を歪める。
ボスギンはかっと閉じかけていた目を見開き、コトネ目掛けて巨大な腕を振るった。
さっきまで瀕死だったと思えない膂力だった。
コトネは弾き飛ばされたが、すぐに床に足を付け、その場で踏み止まった。
「まだそんな力があったなんて……」
ボスギンは折れたはずの腕を伸ばし、自身の首をガクガクと揺らす。
「ふう……こんなものでいいかしらね。脆い人形ちゃんは、これだから困るわ」
耳障りなオカマ口調でそう言って、それから周囲へと目をやる。
「ここなら、外から見られもしないわね。
ボスギンの周囲にドス黒い魔法陣が浮かび上がる。
魔法陣の黒が宙に浮かび、実態を持った三つの棺へと変化した。
「第、十一階位!?」
コトネは目を丸くした。
コトネはそれなりに戦闘経験がある。
《
争いごとに巻き込まれ続ける運命にある。
それが嫌になったからこそ、少しでも戦いを遠ざけるために冒険者を半ば引退したのだ。
だが、《人魔竜》格の敵であっても、せいぜい第十階位が限度で、第十一階位、第十二階位を使ってくるものは稀であった。
それを、組織力と合わせてようやく《人魔竜》相当かもしれないとされているボスギンが、準備もなく易々発動できるなどと、あまりに不自然であった。
そもそもボスギンが上位魔法を駆使するなど、聞いたこともなかった。
「貴方、体術だけで頭領になったんじゃなかったの」
三つの黒い棺が、ガタガタと激しく揺れる。
「さて……行くわよ、コトネちゃん」
ボスギンは焦点の合わない目で、べろりと太い舌を出した。
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