第九話 《アカシアの記憶書》

「どうぞ、椅子に座ってください」


 ルナエールに机の前の椅子を進められた。

 ……しかし、当然の様に椅子は一つしかない。

 さっきこっそり隠れ見た際の様子を思うに、こちらから変に気を遣わない方がいいような気もするのだが、さすがに宿主を放置して椅子を取る気にはなれない。


「い、いえ、自分は大丈夫ですよ」


「私はこの宝石箱に座りますので」


 ルナエールは宝箱を抱え、机の前へと持ってくる。

 い、椅子代わりにするのか……あの宝箱、生きているみたいだったけど、ちょっと可哀想なんじゃ……。


 ちらりと宝箱を見ると、嬉しそうにヘラヘラと口許を緩めていた。

 あ、あいつ……! そういう感じの奴だったのか!


「俺が宝箱に座ります! 座らせてください! 座ってみたいんです!」


「……? 別にそれは構いませんけど……」


 ルナエールの許可を得て、俺が宝箱の方へと座ることになった。

 座る前に、宝箱が不満気に口許を歪めているのが見えた。

 俺は小さく振り返り、宝箱に対して舌を出してから座った。


「どうかしましたか?」


「い、いえ、何でもありません!」


 俺はルナエールに対してブンブンと首を振った。

 ルナエールが魔法で異次元から水の入ったコップを取り出し、俺の前へと浮かべてくれた。

 俺は頭を下げてから水をいただいた。


「修行をつけるという話でしたね。前にも説明した通り、レベル100程度まで上げれば、私の付き添いがあれば安全にここを抜けることはできるはずです。そこまでも、私があなたの魔物狩りを補佐すれば、そう時間の掛かるものではないでしょう」


 やはり、強者が弱者の狩りを手伝うパワーレベリングは不可能ではないのだ。

 上手く嵌れば、簡単にこの《地獄の穴コキュートス》を出ることもできるかもしれない。


「ただ、その前にある程度基礎的な能力を身に着けておく必要があります。戦闘に貢献しなければ、レベルを上げることはできませんからね。軽い武器は用意しますが、扱いは覚える必要があります。魔法も、すぐに習得できそうな簡単なものだけ教えましょう」


「な、なるほど……ありがとうございます、助かります」


 ……ゲームや小説をベースにナイアロトプ達が創った世界だという話だったが、さすがに横で待っているだけでレベルが上がる様な、そんなゲーム的な緩い仕様にはされていないか。


 戦闘の貢献という曖昧な基準には粗が生じていそうだが、これはゲームではなく、実際に一万年の歴史を持つ世界なのだ。

 恐らく神達は、そういった世界の根幹をひっくり返すような粗、ゲームでいうところのバグの様なものは残していないだろう。

 少なくとも、俺が簡単に気付ける範囲に存在しているとは思えない。


 低レベル状態から脱するのに、かなり苦労する……いや、それで済めばいい方だ。

 そのまま命を落としてしまいかねない。

 この《地獄の穴コキュートス》に、低レベルの丁度いい魔物がいるとは思えない。

 ナイアロトプはここを裏ダンジョンと、そう称していた。


 如何に安全に、それなりに戦いのできるレベルになれるかが鍵になりそうだ。

 それまでルナエールが辛抱強く俺に付き合ってくれるかも疑問だ。

 今のルナエールは協力的な姿勢を見せてくれているが、修行はかなり長引くだろうし、彼女にとっては何のメリットもないことなのだ。


「レベルが低い間は、ここの魔物相手ではまともに貢献は入らないでしょう。私がレベル上げ用に、手頃な戦闘用ゴーレムを用意します」


「あ……ありがとうございます」


 いきなり悩みの一つが解決してしまった。

 そ、そういうこともできるのか……。

 そういえばさっき覗き見したときに、土人形の様なものが部屋の中にあったのを覚えている。

 ルナエールの調整次第で強さを弄ることができるのであれば、確かにこの上なくレベリング相手として丁度いいだろう。


「それから……少し、宝石箱から降りてください。前に渡した魔法袋は、しっかり持っていますね」


 ルナエールが言いながら椅子から降りる。

 俺が言われるがままに退くと、ルナエールが宝箱を開け、中身から分厚い本やら装飾品やらを幾つも取り出し始めた。


「これは?」


「この《地獄の穴コキュートス》で拾ったものや、ここで私が造ったものです。私には不要なので上げますよ。魔法袋に仕舞っておいてください」


 なるほど、確かこの《地獄の穴コキュートス》には高価なアイテムが沢山眠っているという話だった。

 ここのアイテムがあれば、俺のレベル上げにも役立つはずだ。


「そうですね……まず最初に、この魔導書を渡しておきましょう」


 藍色の、古そうな分厚い本を渡された。

 表紙には怪しげな魔法陣が描かれている。

 恐る恐ると受け取った。


 仕草で開いて大丈夫なのかを簡単に確認し、ルナエールが頷くのを確認してから開く。

 ……ナイアロトプよりこの世界の言語は植え付けられているはずなのだが、どこのページも全く読むことができなかった。

 パラパラ捲っていると、唯一読めるページに行き着いた。


‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐

【アカシアの記憶書】《価値:神話級》

 あらゆる種族の魔物、あらゆるアイテムについて詳細に記された書物。

 持つ者の知りたい情報を的確に教える力がある。

‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐‐


 驚かされた。

 どうやら《アカシアの記憶書》というのは、この魔導書のことを示しているらしい。

 俺がこのページを開いたのも、この魔導書の力のようだ。

 俺がこの本について知りたいと考えながらページを捲ったのでここに行き着いたようだ。


 俺の驚いた顔を、ルナエールがじっと見つめていた。

 説明なしに渡したあたり、俺がこの魔導書の力について察して驚くのを期待していたらしい。

 どことなく満足気な顔に見える。案外お茶目なのかもしれない。


「いいんですか? この魔導書、師匠にとっても役立つものなんじゃ……」


 神話級の位置づけはわからないが、低くはない……というか、恐らく最上級だろう。

 持っている能力も、明らかにこの世界のバランスを崩しかねないものだ。

 この魔導書が希少ならば、これ一つ売れば生涯生活に困らないような値がつくはずだと、容易に想像がつく。


「丸腰で何もわからないままにこんなところに投げ出されてしまったあなたの方が、きっとこの魔導書が必要になるはずです」


 俺はその言葉に目を見開いた。

 これまでもそういう感じはしていたが……この人は本当に、興味本位や自分の損得に関係なく、俺を助けようとしてくれているのだ。

 自分に大きな損にならない範囲で人に施しの出来る人は少なくないが、大事なものを人に簡単に渡せる人はきっとそう多くはいない。


「べ、別に私はこんなものがなくとも、大抵の魔物やアイテムのことはわかりますから。《アカシアの記憶書》に大した価値は感じていませんがね」


 ルナエールが俺の顔を見て自分の言ったことに気が付いたらしく、慌ててそう付け足して誤魔化していた。

 ど、どうしてこうも善意を隠したがるのだろうか……?

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