第三話 不死者ルナエール

 首のない人型の魔物……プレデターが、俺へと向かって来る。

 俺の近くまで来たところで、そいつは立ち止まった。


「こ、殺すなら、殺せ……」


 俺がそう言うと、プレデターの口が吊り上がった様に見えた。

 プレデターは俺を軽く蹴って転がし、背に足を掛けて押さえ付けた。


「何を……」


 そうして俺の足を握り、持ち上げる。

 俺は理解した。

 こいつは、俺の足を折るつもりだ。


 明らかに、俺を弄んで殺そうという悪意があった。

 俺は目を瞑り、必死に懇願する。

 止めてくれ、殺すならせめて一思いにやってくれ、と。


 ……だが、その願い虚しく俺の足は膝からあり得ない方向へと曲げられた。

 俺は口を大きく開けて叫んだ。

 もがこうとするが、身体は足で押さえ付けられているため全く動かすことができない。


「助けっ、誰か、助け……!」


 俺が手足を動かしていると、急にプレデターが体重を掛け始めて来た。

 背がミシミシと折れているのを感じる。

 口の奥から赤黒い何かが自然と噴き出していた。

 恐怖と激痛に支配され、俺は声にならない声を上げていた。


 そのとき、周囲一帯を黒い光が覆った。

 プレデターが何かしたのかと思ったが……プレデターも俺から足を上げ、周囲をあたふたと見回していた。


「久々に目を覚ましましたが……《地獄の穴コキュートス》は、相変わらず醜い化け物ばかりですね」


 プレデターの背後に、一人の白い少女が浮かんでいた。

 白い布地に金色で文字列の様なものが刻まれている、奇妙なマントを羽織っていた。


 生気を感じさせない白い肌。

 彼女の白い髪は、毛先だけ血に濡れた様に真っ赤な色をしていた。

 冷淡な目は、右の瞳は碧く、左の瞳は真紅の色を帯びていた。


 大きな瞳に高い鼻、小さな口。

 そして何よりも陶器のような美しい肌。

 彼女は、この世の者とは思えない程に整った顔立ちをしていた。

 人間というより、彫像の芸術的な美があった。


時空魔法第二十四階位|存在抹消《ニール》」


 彼女がそう唱えると、黒い光に呑まれる様にプレデターの姿が掠れ、消えていった。

 プレデターが両腕を振って必死にもがくか、その腕は俺の身体を擦り抜けていく。

 やがて、プレデターと共に黒い光も消えていく。


 彼女が俺の前へと降りて来た。

 オッドアイの瞳が、眉一つ動かさずに俺を見下す。


「あ、あが、あああ……」


 助けてくれたのには間違いないはずだと思い、礼を言おうとしたのだが……上手く声を出すことができなかった。

 

時空魔法第二十三階位|治癒的逆行《レトグレーデ》」


 続けて少女が唱える。

 白い魔法陣が展開され、俺の身体を光が包んでいく。

 辺りに散っていた血肉が俺へと戻って来て、俺の身体に張り付いて馴染んでいく――いや、再構築されていく。


「あ、ああ、ああああ……」


 俺は声を出す。

 腹部や足の痛みがなくなっている。

 食い千切られたはずの右腕まで元通りになっていた。

 こんなことが、あり得ていいのか……?


 少女が俺へ視線を投げる。

 目が合うと、背筋が一気に冷たくなった。

 彼女は、殺そうと思えば俺をすぐにでも殺すことができるのだ。


 そして、それ以上に……彼女には対峙した者を恐怖に駆らせるオーラがあった。

 身体の震えが止まらない。

 だが、命の恩人であることには間違いないのだ。


「あ、ありがとうございます……。何が何だか正直頭が追いついていませんが、助けていただいたようですね」


 俺は頭を下げた。

 少女は相変わらず無表情に俺を睨んでいた。


「《地獄の穴コキュートス》へやってくるとは、愚かな人間です。ここは人間の訪れる地ではないというのに」


 少女がフンと鼻を鳴らす。


「そ、そういうあなた様も人間なのでは……」


「私は人間ではありませんよ。目前に立ってなお気が付かないとは愚かしい。私はリッチ、人としての生を捨てることで永遠の時間を手に入れた存在。今更人間の様な低俗な動物と同一視されるとは気分のいいことではありませんね」


「す、すいません……」


 俺は頭を下げる。

 ……確かに、人間ではないオーラを感じた。

 グラトニーミミックやプレデターなどよりもよっぽど危険な化け物だ。

 とんでもない話だが、それを疑わせないだけの不気味なオーラを彼女は秘めていた。


 それから少女が何かを切り出すのを待ったが……数分ほど全く何も話さなかった。


 気まずい空気が流れ始める。

 ここは、俺から何か言えばいいのだろうか。

 しかし、機嫌を損ねればその瞬間に殺されかねない。


 表情から探りたいが、彼女が全くの無表情であるためそれも叶わない。

 どうしよう、段々と前に立っているのが辛くなってきた。

 なんだか彼女の威圧感で呼吸がし辛くなってきた。


「あ、あの……厚かましい頼みなのはわかっていますが、助けてもらえませんか! このままだと俺……その、とても生きていける自信がなくて……!」


 俺は一大決心をして、彼女にそう頼みながら大きく頭を下げた。

 さっきも助けてくれたのだ。

 誠心誠意頼み込めばチャンスがあるかもしれない。

 というより、俺にはそれ以外に生きていく方法がない。


「一つ勘違いをしているようなので教えてあげましょう」


「え……?」


 少女が腕を振るった。

 彼女の背後の壁に大きな線が走って崩れ落ちた。


 な、なんだ……?

 今、何をしたんだ?


「私がここに住んでいるのは……私を裏切った人間が大嫌いだからです」


 少女の一声で、完全に俺の最後の希望が途絶えた。


「……だから、絶対に人間の到達できない《地獄の穴コキュートス》の地下九十階層で生活をしていたというのに」


 ついでにこのダンジョンから脱出するという望みも途絶えた。

 なんだ地下九十階層って? 造った奴は馬鹿なのか?

 せいぜい一、二階層くらいならば頑張れば希望がないこともないかもしれないが、九十階層はさすがに無理である。

 エレベーターとかがあれば話は違うかもしれないが、そんなハイテクな設備があるとはとても思えない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る