あなたは私に舞い降りた天使

万宙束咲

どうしようもない私に天使が降りてきた①




 ああ、朝か。

 カーテンの向こうから微かに漏れる陽の光で、夢野奏撫ゆめのかなでは目を覚ました。

 うっすらと目を開く。一体何時なんだろう。そうやって手元のスマホを覗けば、七時丁度辺りを指す電子時計。

 今日はなんにも予定のない休日で、こんな時間に起きる必要なんて毛頭ない。それでも目が覚めてしまったのは、日頃の習慣のせいだろう。

 無意識下のまま起き上がろうと布団を剥がしかけたところで、隣にいる彼女、田辺優夢たなべゆめの存在を思い出し、そちらに目をやる。

「まあ、寝てるか」

 気持ちよさそうに眠る愛しい人の顔。奏撫はそれを見て思わず頬を緩める。

 やっぱり、好きだな。

 朝起きて、ゆめの顔を見て。そして好きって気持ちが溢れてくる。もしかして私は今幸せなのかもしれない。

 優夢を起こさないように布団から抜け出し、ひとつ頭を撫でる。赤茶気味のセミロングの髪をてっぺんから毛先までゆっくり、愛らしく。

「んんっ、ん…………」

 一瞬起こしたかとドキリとしたが、すぐに落ち着いた呼吸音を聞き安堵する。起こしちゃったとしたら申し訳なさでこの後しばらく凹むだろうから。

 寝室の壁に掛けられたカレンダーの本日の欄には、可愛らしい文字でゆめの二文字が書かれている。ちなみに昨日の欄には少し硬いかなでという文字。

 同棲を始める時のルールとして、書かれている方が当番として家事をこなすになっている。いや、正確にはなっていた、だ。

 朝が強い私と弱いゆめ。段々とバランスは歪んでいき、今では形式上カレンダーに書いてあるがその殆どを私がこなしているのが現状。

 まあ、嫌じゃないからいいんだけどさ。いいんだけど、どこか気にしてしまう自分に嫌気がさす。

 まあ、とりあえずやることやっちゃうか。


「ねえ、ゆめ。起きて、ねえってば」

 時間もお昼が近くなり、そろそろお昼ご飯食べたいなーってな感じで、もう一度寝室へ足を運び眠り姫を揺すり起こす。

「起きてよ、ゆめ! お昼になったよ。家事当番ゆめでしょ、私もう全部やっちゃったよ」

「……んぁあ。かなでおはよぉ」

 開ききってない目とふにゃふにゃの声で、優夢がそう返事をする。

「まだ寝る?」

「おひるたべるからおきる」

「ん、おはよ」

 そう言ったものの、まだまだ覚醒しきってないらしい優夢は上半身を起こした状態のまま布団から出てこない。

 休日はこんななのに、平日は私より早く起きたりしてるんだから、オンオフの切り替えはすごいなぁといつも思わされる。優夢は毎日同じ時間に起きれる私の方が偉いって言うからお互いさまってやつなのかな。

 付き合い始めてから三年。三年も経てば恋心なんて枯れてしまって、何時しか惰性で過ごすのかもなんて考えていたあの頃の私は今の私を見たらどう思うだろう。

 毎日、毎時間、毎分、毎秒。優夢を見る度、優夢のことを好きになっていく。おかしいかもしれないけど、それが事実。

「かなで、また考えごとしてる」

 頬に当たる人差し指と、少しむっとした優夢の顔。いつの間に布団から出てきてたらしい。全く気づかなかったな。

「そんな顔してる人には、こうだ!!」

 ぐっと腕を引かれ一緒にベッドへ倒れ込む。

「ちょっ、ゆめ!?」

「こうやってぎゅーってしたら怖いもの全部なくなる。私はここだよ、かなでの隣にいるよ?」

 胸元に引き寄せられて、ぎゅっと包まれる。顔に胸が当たってるよ! なんて今更っちゃ今更なんだけど意識しちゃう自分がバカみたい……。

「ごめん、ありがと」

「そんなにネガティブなこと考えてるように見えた? 私は大丈夫」なんて言葉が出てきてくれたらいいのに、その言葉は口から出てくることはない。

 だって、ずっと思っているから。付き合い始めたあの日から、今日まで一日も休むことなく。

 優夢には私なんかよりお似合いの人がどこかにいるって。







 私と彼女の関係性は、恋人の前は同僚だった。付き合い始めてしばらくで彼女の方は転職をしたから今は違うんだけど、私が先輩で彼女が後輩。それが私たちだった。


 オフィスという場所は極めて閉鎖的な空間である。学生時代、教室って閉鎖的だななんて思ってたあの頃の自分に教えてあげたい。

 毎日基本的に同じ部署の人としか会わないし、取引先の人とも基本的には電話やメールばっかりで顔を合わせて話をするなんてことは殆どない。学生の頃はもっと華やかだと思っていた社会人生活も、あまり好きになれない上司と、無くなることのない残業とで精神がすり減る日々。

 もっとちゃんと就活してればなんて思いつつ三年。三年過ごせばの三年を既に迎えてしまった。新卒よりも少し上がった給料と、新卒の時からない休み。稀な休みはずっと寝てるような日々。趣味の一つや恋人の一人でもいれば生活も華やかになるのだろうか。

 華、と言えば隣のデスクに座っている彼女は華かもしれない。部署唯一の後輩である彼女の容姿は同性である私から見ても華を感じさせられる何かを持っている。部署の独身男性誰もが彼女にアプローチをかけ、他部署や取引先の人からもなんて噂もある彼女。感情表現が薄い私とは大違いでいつもニコニコしてて、愛想もよくて。それに、身長が低くて髪も長くて、とても女性らしい。背も高く髪もショートな私とは本当に大違い。部署の男共が勘違いを起こしてしまうのもわかる気がするなと思うこともチラホラある。ほんの少しだけだけど。

 そんな彼女と、終わる予定さえ見えな始めて数時間。パソコンのブルーライトに目も頭もやられてきた午後十時。

「好きです、私とお付き合いして貰えませんか」

 その言葉はポツリと、まるで独り言かのように発せられた。

「.....................」

 今ここには私と彼女しかいない。おそらく今の言葉は私に向けたものだと考えるのが一般的かもしれない。

 いや、でも。頭にはいくつもの否定の言葉が並んでいく。私なわけない。私同性だし、彼女とは先輩後輩の関係しか持ってない。それにやっぱり同性だし。

 きっと独り言。きっと他の誰かに向けた練習。

「あの、ごめんなさい。変なこと言いましたね。あはは.......」

 そんな淡い期待は、彼女の言葉ですぐに否定されてしまう。今の告白は間違いなく私に向けての言葉だ。

「私、女だけど」

 そう、私は女であなたも。それは普通じゃない。少なくとも私の中では。

「お、男だとか女だとか、そういう事ではないんです」

「断ったり、別れたりで仕事に支障が出たりは?」

 今、ここで返事をしてあなたに辞められても困る。あなたの手元にあるその業務をやる余裕は私にはない。ただでさえない休みが本当に無くなってしまう。

「こ、公私はちゃんと分けます、大丈夫です!」

「私、田辺さんに恋愛感情全くないけど」

 今も、そしてきっと今後も。わたしは普通に異性を好きになって、結婚して、子供を産んで。それが出来ないのなら孤独に、そんな生き方をするはずなんだ。誰でもない私がそれを望んでるし、両親だってそう。

「わかってます! わかってて、零れてきちゃったんです.......。だから、気にしないでください」

 そんな、もう少し我慢してくれれば。私は今こんなに悩む必要なんてなかったのに。気にするなと言うならもっと堂々としてほしい。本当は怖いのが丸わかりじゃないか。

 ……もっと酷いのは私だ。さっきから、私は私のことしか考えてない。彼女は、私のことが好きで、その気持ちを私に勇気を持って伝えてくれた。それなのに、私は自らの都合ばっかり考えて、見て見ぬふりをしようとしている。

 それは、人として自分が許せない。そんな自分を私は見たくない。

 今、純粋に思うこと。自分の感情を抜きにして、思うことは。

「付き合うにしろ、付き合わないにしろ、私はもう少しちゃんと告白されたいかな」

 零れるくらいに溢れてしまったなら、もっと当事者にちゃんと伝えるべきだと思うんだ。そんな中途半端な告白で私が落ちると思ったら大間違い……いや、待て。なんで私は落とされる前提で話を進めてるんだ?

 確かに、彼女へ好意を持ってしまう人のことをわからなくはないとは言った。言ったけれども。『それ』と、『これ』は全く意味が違う。

「えっと、その、それって」

 ほら、向こうももしかしてワンチャンあるのみたいな反応になるじゃん。そりゃそうじゃん。

「と、とりあえず! まず仕事終わらせちゃおう、ね?」

「あ、はい! そ、そうですよね」

 残業とはいえ腐っても就業中なわけで、そもそもさっきから二人とも手なんてひとつも進んでなくて、仕事は少しの間は待ってくれるけど終電は待ってくれない。帰れなくなってここで二人で一夜を明かす事は考えたくない。それこそ何をされるかわかったものじゃない。


「田辺さんは女の人が好きなの?」

「えっと、そう、なりますね……」

 黙っていられるのなんてほんの数分だけで、結局私は話しかけてしまう。 間が持たないのもあるけど、純粋に興味があった。彼女について。彼女から見た私について。

「恋人がいたことは?」

「こ、答えたら夢野さんも答えてくれますか?」

「ええ、別に隠すことでもないし」

「私は、いたことないです」

「ふうん、私は高校と大学の時に一人づつかな」

 付き合ったと言ってもほんの数週間。二人ともいい人だったんだろうけど、私とは合わなかった。

 高校生の時の人野球部だった。特に断る理由もなかったから受けて。彼が部活の休みの日に一緒に帰ったりもした。けど、特に何もあるわけでもなくそのまますぐ別れた。

 大学の人は、ゼミが一緒で飲み会の後、なんかいい雰囲気になってそのまま付き合うことになって、何回がデートもしたし身体も重ねた。それでも私は彼のことをあまり好きにはなれなかった。そんなことはすぐにバレてしまって、別れることになった。

 私の経験なんてこんなもの。普通の人に比べて多いとか、少ないとかはわからないけど、彼女にそういった人がいないのは意外だった。同性でも、普通に出来そうなものなのに。

「夢野さんは、気持ち悪いって思わないんですか?」

 私が聞きたいことを聞いたように、今度は彼女が私に聞きたいことを聞く番。気持ち悪い、気持ち悪い。普通ではないとは思う。少なくとも。でも、それが気持ち悪いかと聞かれれば、決してそんなことはない。好意は好意であり、嬉しく思う。受け取れるのか受け取れないのかは別として。

「どうして私なんだろう、とは思うけど気持ち悪いとは思わないよ」

「……そういうところ、ですよ」

 彼女は恥ずかしそうにそう言って顔を少し画面から逸らした。私、そんなおかしなことを言っただろうか?

「あ、あの」

「ん? 今度はどうした?」

「データ、全部終わりました」

 あ、そうか。仕事中だった。また忘れるところだった。

「こんな状況なのに、ちゃんと出来て凄いね。それじゃ、帰ろっか」

「えっ、でも夢野さんは……」

「ああ、私は大丈夫。ちょっと余裕あるし」

 彼女のものと違い、私の方は少し時間の余裕がある。それに、彼女はきっと律儀に待ってしまうだろうし、私としてもさっきの話をちゃんと片をつけるべきだと思う、ということで今日は私も切りあげることにした。

「話の続きはここでいい? それとも歩きながらにする?」

「あ、ここで、お願いします」

「ん、わかった。じゃあ、はい」

「あっ、はい」

 大きく息を吸って、吐いて。そんな彼女に合わせて私も息を吸って、吐いて。お互いの呼吸のテンポが同じなのに気づいて二人で顔を赤くして。

「私、気持ち悪いって思ってたんです」

 ゆっくり最後に息を吸って、意を決したように彼女は語り始めた。

「ごめんなさい、暗い話して。私が同性が好きだって気づいたのは中学生の頃なんです。ずっとずっと自分が気持ち悪いと思ってました。だって、普通じゃないじゃないですか。そのうえ、応えられない想いばかり送られて、断り続けてたらさらなる悪者になる。叶うこともない恋なんてしない。そう決めて社会人になって、夢野さんと一緒に働いてて、好きになっちゃったんです。こうして残業に付き合ってくれたり、飲み会とか他の人のアプローチを受けてる時にさらっと助けてくれたり。そのくせ全然意識なんてしてなくて、私だけわーって盛り上がっちゃって。それなのに、夢野さんがちゃんと伝えてなんて! ずるいですよ、ほんとに」

「…………」

 思ってた以上の重い話に、思ってもみない非難。どう反応していいのかわからなくなって黙りこくっていたら、正面の彼女の目からは今にも零れ落ちそうな大きな雫。

「つまり、私が悪いってこと?」

「違いますよ! もう、なんでわかってくれないんですか!」

「えぇ……」

「好きです、好きなんです。隣にいてもらえるだけで力が湧いてくるんです。仕事なんて屁でもなくなるんです。夜寝る時に、朝起きた時に夢野さんに会えるって思うだけで疲れが取れるんです。これからは休みの日もそれを味わいたいんです。それ以上の感情を知りたいんです。好きなんですよ……」

 ポロポロ、いや、ボロボロと彼女の瞼から涙が流れ落ちていく。

 綺麗だな。

 私にはないものだ。その熱く強い感情は。目の前にいる人間を呑み込むかのような熱を持ったそれを、私は持ってない。このままならば持つことすら出来ないかもしれない。

 でも、持ってみたい、確かにそう思った。

「おいで?」

 両の手を広げ、彼女を胸に向かい入れる。明日が休みだし、ウォッシャブルだし、その涙くらいスーツが吸ってくれるから。だから、おいで。

「……こんなの、勘違いしちゃいますよ」

「いいよ、しても。私もしてみたい気分なの」

 沢山の好きを浴びれば私もそれが手に入るかもしれない。今まではそんなふうに思えなかったけど今なら、彼女なら。

「ずるいです、ほんとにほんとに。ずっとずるいなんて、ずるいです」

「ずるいしか言えてないけど、大丈夫?」

「そのくらい好きなんですよ、バカ!!!!」



 あの頃の私、手に入ったよ。私にも。と言うか、それ以上に熱いものが。でも、手に入れたは入れたで悩むことも沢山あって。

 初心者の私と、初心者の彼女が歩んできた三年間。これはそのこれまでとこれからを綴った物語。

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