カエルちゃん

パEン

カエルちゃん

 君が二歳の時、君と僕は出会ったんだ。覚えてる?

 あの時の君は小さくて、そうだな……例えるなら、ただの動物みたいな、本能で生きる存在だったよ。

 その時既に精神が成熟していた僕にとっては、君に付き合うのは中々しんどかったけど。逆にその奇怪で騒がしい行動や言動を楽しませて貰ったさ。……ま、めちゃくちゃうるさかったけど。

 君が五歳の時、僕は『蛙の国』に帰ることになった。

 まぬけな顔をした君は、僕を探して泣いていたね。見つかるわけもないのに。

 資格を持たない君は『蛙の国』には来れないのに。声までまぬけで笑うしかなかったよ。

 ちょくちょく様子を見れば、案外君は普通に生きていて。僕という存在の弱さを思い知らされたよ、まったく。

 それから二年を、故郷の『蛙の国』で過ごした。なんの不自由ない、我々が生きるための世界。居心地は悪くないし、喜ばしい時間のはずだった。

 でも、何故か。

 この国が、場所が。やけに静かだと、感じるようになったんだ。

 それからさらに一年を過ごした今、招集がかかった。君のいる『人の国』からね。

 勿論、それを断ることもできる。

 しかし、偶然にも、僕は今生活に刺激を欲していてね。

 だから帰って来たのさ、僕は。君のいる『人の国』に。

 幸いというべきか不幸というべきか案の定というべきか、今度もまた君の元に召喚された。

 あの時は言葉を満足に話せなかった君が、実に器用に言葉を操っているのには感心したよ。

 どうにも、君が『ヒトリボッチ』になるのを防ぐために僕は召喚されたらしい。なんのことやら、僕の国には存在しない概念だからわからない。

 けど、君があまりにもみじめにも泣いていたから。僕は君が『ヒトリボッチ』じゃなくなるまではここにいてやろうと思った。

 それから五年が経ち。僕はようやく『ヒトリボッチ』の意味を理解した。

 詰まるところ、誰にも頼れないということを指すらしい。思えばこの家には君以外の誰もいないし、僕は召喚されてから君以外の人間を見ていないしね。

 だったら、僕は余計消えられない。

 守ることはできないけど、せめて君の傍に。

 暗くなった部屋を明るくすることもせず、ただ泣いているだけの可哀想な君のために。

 ……さらに二年の可哀想な時が過ぎ。

 心なしか、君には笑顔が増えてきた。この家に、君以外の人が来ることもたまにあるようになって。

 『クローニン』で『テンガイコドク』な君は、この世界に愛されていないようだけど。君の周りに存在する、君と同じくらいの歳の人達には愛されていることが分かって、救われたような気持ちになったよ。

 特別仲のいいメスも出来たみたいで、週に一度は家に来ていたな。

 所謂、番というやつだろうか。そのメスといる時の君は僕が見てきた中で最も幸せそうだった。

 幸福な二年が、体感的には今までの数倍の速さで流れていった。

 ある雨の降る日、君は数年ぶりに一人で泣いていた。「何で」と何度も呟いては泣いていた。濡れた桜の花びらを服にたくさんつけながら、雨みたいに。

 番と別れたらしい。

 ……どこまでも、君に冷たい世界だ。

 『ヒトリボッチ』だ、また。

 大丈夫。

 僕は君を見放さない。

 その日からの三年間、君が家にいることは少なくなった。

 帰ってきても、『フロ』にいってはすぐ寝ていた。

 これは僕にも分かる。君は労働を始めたのだろう?

 今までは『ガッコウ』とやらに行っていたのもしっている。僕にはよくわからないことだが。

 それからさらに一年もすると、君より少し年上の知らないメスがこの家に住み始めた。

 番……とは少し違う、親みたいなメスだった。

 君の親はもういないが、その代わりにふさわしいメスだと思う。身の回りの世話はやってくれているようだし。君は終始申し訳なさそうだが、メスは楽しそうに笑うだけで何も言わなかった。

 ……でも、まだ僕はここにいることとする。

 前みたいになっても、『ヒトリボッチ』になんてさせない。

 君を消えさせなんてしない。

 それを成すことこそ、僕のアイデンティティだから。

 そうして心配を続けて、さらに五年。

 まだ君とメスは一緒に住んでいる。あのメスは番となり、人で言うところの『ケッコン』を君は考えている……僕としては喜ばしいさ。

 ……ここ数日、毎日それを僕に相談しているけど、悪いが僕はだんまりを決め込むからね。そんな頭抱えたって駄目。重要な決断は自分でするんだ。

 ……また、その曖昧な笑顔。

 怖いのかい?

 大丈夫。

 君はいい男さ。保証する。

 『ヒトリボッチ』は人にとってこれ以上ない恐怖なのだろう? それに耐え抜いた君なら大丈夫。それに寄り添ってくれるメスも、きっと信頼していい。


 信じてみないかい? 僕のことも、君のことも、番のことも。もう君は『ヒトリボッチ』なんかじゃないよ。自信持て、少年。


 ……? 何だい、そんな変な顔でこっちを見て。ああ、もう少年なんて歳じゃないってか、それは失敬。……ほら、番が呼んでいるよ。早く行ってあげなよ。

 そして、今日こそ言うんだ。

 誰にも言えなかったんだろ。

 辛かったんだろ。

 みっともなくていい、きっと受け入れてくれる。

 勇気出せ、一回信じてみろ。

 ……うん、僕も願っているさ。


「オレと……結婚、してきゅれませんかっ!」

「……ふふ。なあに、そんな大事なとこで噛んじゃって。相変わらず締まらないわね」

「あ……ご、ごめんっ」

「ね。……プロポーズの言葉、本当に私が貰っていいの?」

「ッ、勿論! 貴女がいい、貴女じゃないといけない! ずっと、ずっと! 寂しくて、辛くて! 僕の人生で、唯一オレとずっと居てくれた人だから!! 愛している、この世界の何よりも!!」

「……ばか、声がおっきいのよ。クレーム入るわよ?」

「あっ」

「そんな恥ずかしいこと叫んじゃって、もう……クレーム入る前に引っ越すわよ。…………私、子供欲しいんだから。ここ狭すぎるから駄目よ」

「!! じゃ、じゃあ……!」

「私も愛してるわよ。……こういうの、言うの苦手で。不安にさせていたらごめんなさい。私も誰より貴方を愛してるわ。……ごめん、やっぱり恥ずかしい」


 ほら、言っただろ。信じてみるモンだ。

 君の孤独を癒すのに、僕じゃ役不足なのはわかってた。改めて言われると少し凹むけどさ。

 ……僕の代わり、いや比べ物にならないほどの人が出来て。僕は本当に幸せだ。

 僕は……もう、お役ごめんかな。

 何年ぶりだろう、『蛙の国』に帰るのは。

 暗くて、狭くて、じめっとしていて。蛙にとっては最高の空間で。

 ……二度とここから出られないんだろうなあ、って思いながら緩やかに死んでいくだけの、場所で。

 本当は、もう少し、君と_____

「そういえばさ。君以外にも一人だけいたんだよね。ずっと一緒に居てくれた人」

「へえ、結婚が決定して安心したから浮気報告? 死にたい?」

「ちっ、ちが!? 君も知っているでしょ、ほら!」

「……ああ、あの子かあ。大事にしてるもんね、ずっと」

「そ。小さい頃に母さんが『蛙の国に帰るんだよー』とかいって段ボールにしまっちゃってたんだけどね。両親が死んでから、今まではどれだけ探してもみつからなかったのに、急に見つかってさ。それからずっと一緒なんだ」

「なんだろうなあ、って思ってたけどそんなエピソードがねえ」

「……さっき、話した気がするんだ、あの子」

「変なこと言ってると離婚するわよ?」

「早くない!? いやほんとだってえ」

「はいはい。晩御飯作るよ」

 なんだ。

 聞こえてしまっていたのか、僕の声は。

 まったく、ならば恥ずかしいのはこっちだ。

 でもな、コウタロウ。

 ぬいぐるみは喋らないんだ。喋らないんだよ。

 だから、ぬいぐるみでない僕はここでお別れ。

 楽しかったよ。

 ぬいぐるみにいつも話しかけてくれてありがとう。

 僕の『ヒトリボッチ』を救ってくれて。

 ありがとう。


「はーもう、何で麻婆豆腐を作る過程で指を切れるのよ……尊敬するわ……」

「はは、照れるな」

「何でよ!?」

「? あれ、カエルちゃん?」

「んー? また話しかけてきた? ご飯なんだし机から非難させてあげなよー」

「……違う。ちが…………」

「ちょ、ちょっと!? 何で泣いてんの!?」

「っく、違うんだ、違うんだよカエルちゃん。オレは、オレはずっと、君と」

「どうしたのよ、ほら……おいで、もう」

「っう、ありがとう、ありがとう……本当に……」


 田舎の満点の星空の下。二人の住むマンションの外から、やけに大きな蛙の鳴き声が聞こえてきた。

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