ふたりだけの夏祭り

八神翔

ふたりだけの夏祭り

 分厚い灰色の雲から滝のように雨が降り注ぐ。無数の雨粒が風に乗り、窓に打ちつける。


 わたしは恨めしげに空を見上げた。晴れる気配はまるでない。幾重にも重なった雨雲が、わずかな隙間を作ることなく空を覆い尽くしていた。


 スマホに目を落とす。天気予報アプリで今日の天気を確認する。並んだいくつもの雨マーク、降水確率百パーセント。笑えない。わたしはため息をついた。


 以前、降水確率が百になることは滅多にないと聞いたおぼえがある。九十以下なら、外れても言い訳ができるからだ。それなのに。


 いつもこうだ。なにか大切な予定がある日は、決まって雨になる。修学旅行も林間学校も遠足も、もれなくすべて雨だった。わたしはいわゆる雨女なのだろう。それもとびきり強力な。


 メッセージが届く。拓哉たくやからだった。夏祭り中止だって。そう書いてあった。


 予想していたこととはいえ、衝撃は大きい。スマホを握る手に力が入る。ずっと楽しみにしていた夏祭り。神頼みをしてまで晴れを願った。この歳になって、てるてる坊主まで作った。どうか晴れますように。けれどもその祈りは通じなかった。神はわたしを見捨てたのだ。いや、逆か。雨を司る神に好かれたのか。


 大学の学食で、拓哉と待ち合わせる。長身の彼はすぐに見つかった。雨のせいで沈みかかった気分がいくらか浮上する。傘を閉じ、声をかけると、愛らしい顔がこちらを向いた。目が合った瞬間、にぱっと笑顔が弾ける。それだけで胸が高なった。テーブル席に向かい合って座る。まだ昼前だからか、人の姿はまばらだった。


さくらの雨女ぶりは健在だな」


 拓哉がわたしの名前を呼ぶ。凛として透き通った声を聞くだけで、身体が熱を持つ。けれども内容は聞き捨てならなかった。わたしは口を尖らせた。


「ここまでくるともはや呪いだよ。あーあ、こんな体質、高校と一緒に卒業したかった……」


 拓哉はわたしの恋人だ。いまから半年前、大学一年の冬に告白して、めでたくオッケーをもらった。


「今日のために勉強もバイトも頑張ってきたのに……。教授の嫌味だって、ずっと我慢してきたんだよ。それなのに、こんな仕打ちを受けるなんてひどすぎる。あんまりだよ」


「別に今日じゃなくても、夏祭りぐらい、探せばそのうちどこかでまたやるでしょ」


「行こうと決めた瞬間、その日の天気は雨決定ね」


 わたしは投げやりに言った。ああ、と納得した様子を拓哉が見せたことで、ますます眉間に皺を寄せる羽目になる。


「桜と会う日は天気予報を見なくてすむから、便利だよね」


「喧嘩売ってる?」


 拓哉が笑ってごまかす。無邪気な子どもを思わせる表情だった。彼のそんな顔を見ていると、怒る気も失せる。いつものことだ。わたしは拓哉の笑顔にいつもやり込められている。まあ、そこもまたいいんだけど。


 わたしは頬杖をついた。


 恋人と一緒に夏祭りへ行く。


 ずっと憧れていたシチュエーションのひとつだ。祭囃子を背景に、手を繋いで会場を練り歩き、一緒にりんご飴を買って食べ、花火を並んで見上げる。それがわたしの密やかな願いだった。


「わたしは一生、夏祭りにいけない運命なんだ」


 机に突っ伏して嘆く。


「運命だなんて、そんな大袈裟な」


「大袈裟じゃないことは拓哉が一番よく知ってるでしょ」


「……そんなに夏祭りに行きたいの?」


「もちろん」


 わたしは間髪入れずに断言した。幼いころからの夢なのだ。あきらめられるはずがない。


「そっか」


 拓哉が視線をテーブルに落とし、なにかを考えるそぶりを見せる。


「どうかした?」


「ううん、なんでもない」


 そう答えた拓哉は、どこか心あらずだった。


 急にどうしたのだろう。不思議に思ったものの、わたしはそれ以上深く追求することはしなかった。半年も付き合っていれば、彼の性格はだいたいわかる。自分から話す気にならない限り、彼が詳細を語ることはない。


 わたしは、黙り込んでしまった拓哉から視線をずらし、窓の外を見た。仄暗さは先ほどと変わらない。鬱陶しい雨の音が、いつまでも鼓膜を震わせ続けた。




 拓哉がバイトを休んでいるらしい。講義も、出席をとるもの以外は欠席しているようだ。そのような話を、わたしはサークルの友人から聞いた。


「なんか、やらなきゃいけないことがあるって言ってたよ。具体的なことは教えてくれなかったけど」


 奇妙な話だった。真面目な彼にしては珍しい。


 大学からの帰り道、わたしは拓哉にメールを送った。


『最近、忙しいみたいだけど、なにかあった?』


 返事が来たのは、それから二時間後だった。家で夕飯を食べていると、スマホが振動する。メッセージアプリを起動し、届いた文章に目を走らせる。


『ちょっとやりたいことがあって。落ち着いたらまた連絡するよ』


 わたしはスマホをぱたんとテーブルに置いた。ううん、と唸る。はぐらかされると、余計に知りたくなる。講義をさぼってまでやりたいこととはいったいなんなのか。


 拓哉から連絡がきたのは、それから一週間後のことだった。


 今度の日曜の夜、予定空けといて。受け取ったメッセージには、それだけが書かれていた。内容を訊いてみたが、当日のお楽しみとしか返ってこなかった。


 約束の日、拓哉がわたしの家にやってくる。藍色の傘をさしたまま、彼は笑った。


「それじゃあ、行こっか」


「行こっかって、どこへ?」


「俺の家」


 わたしは目を丸くした。


「え、わざわざ迎えに来てくれたの? 言ってくれれば、こっちから向かったのに」


「そう言うと思ったから伝えなかったんだよ。こんな遅い時間に、おまえを一人で歩かせるわけにはいかないだろ」


 雨が降りしきる中、わたしたちは夜道を並んで歩く。好きな人がそばにいる、そう思うと、嫌いな雨もそこまで気にならなかった。


 入り組んだ道を抜けると、小綺麗な二階建てのアパートが見えてきた。階段を上り、一番奥の部屋の前にやってくる。


「驚いて腰をぬかすなよ」


 拓哉はそう言って笑うと、家のドアを開けた。


 どういう意味だろう。首を傾げながら家に足を踏み入れた。そのとたん、わたしは目を白黒させた。


「えっ」


 思わず呟く。


「びっくりした?」


「びっくりするしかないでしょ。むしろこれ見てびっくりしない人がいたら、そっちのほうこそびっくりよ」


 家の中に丸い提灯が吊るされているのを見たら、誰だって仰天すると思う。


「祭りだよ」


「祭り?」


 わたしは鸚鵡返しする。


 廊下の壁に丸い提灯が等間隔に吊り下げられていた。祭りの会場でよく見かける、赤と白の縞模様が描かれたものだ。淡い光を放ち、廊下を照らしている。微かに笛の吹く音が聞こえた。なんだっけ。篠笛?


 拓哉に誘われるまま、リビングに続く扉を開ける。再び言葉を失った。廊下以上に衝撃的な光景が目の前に広がっていた。


「どう、すごいでしょ?」


 笛や太鼓の音に混じって、拓哉の誇らしげな声が耳に届く。ああ、うん、そんな返事しか返せない。意識のほとんどが目の前の光景に奪われている。


 廊下と同じように提灯が部屋を照らす。仄かな明かりはまるで間接照明のようだ。部屋の右手には、戦隊ヒーローや人気アニメのキャラクターのお面がずらりと並ぶ。左隅には小さなビニールプールが置かれ、中は水で満たされている。赤い小さな影が泳いでいるのが見えた。金魚だ。なによりも目を引くのは、部屋の中央に置かれた屋台だった。たこ焼きとでかでか書かれた看板が掲げられている。台の上には、たこ焼き機が用意されていた。


「ホームパーティーならぬ、ホーム祭りだよ」


 わたしは拓哉を見た。彼はまるで悪戯が成功したような顔を浮かべている。


「もしかして、再現したの? 夏祭りを。家の中で」


 わたしの問いに、拓哉が頷いた。


「これ全部、手作り?」


「そうだよ、って言いたいところだけど、サークルの連中にも少し手伝ってもらった。さすがにひとりだと時間がかかりすぎるからね。この提灯とかは、いろいろなサークルを回って集めてきたんだ。学祭で使ったやつが残っててよかったよ」


 拓哉は人脈が広い。人懐こい性格ゆえ、友人知人は多かった。これだけの道具をそろえることができたのは、ひとえに彼の人徳によるものだろう。


 わたしは信じられない思いで部屋を見まわした。


「夏祭りに行けなかったでしょ? あんなに楽しみにしてたのに」


 拓哉がわたしの顔を覗き込んでくる。


「桜がすごく残念そうにしてたから、どうにかできないかなって思ったんだ。でも、俺の力じゃ天気はどうにもならないし、中止の決定を覆すこともできない。それならせめて、祭りの気分だけでも味わってもらえたらと思って。それでこれを作ってみた」


 拓哉がはにかむ。


「花火はさすがに用意できなかったけど」


 わたしは首を横に振る。


「これだけでも十分だよ。ありがとう」


 声が上擦る。胸に熱いものがこみ上げてくる。これだけのものを、わたしのために作ってくれたのだ。そう思うと、心が揺さぶられる。油断すると泣いてしまいそうだった。


「喜んでくれたならよかった。重いって思われたらどうしようかと心配してたんだ」


「ああ、それは確かにあるかも」


 冗談で言ったら、効果は覿面だった。拓哉が動揺をあらわにする。


「えっ、まじで?」


「嘘だよ」


「なんだよ、びっくりさせるなよー。心臓に悪い」


 胸を抑えるふりをする拓哉を見て、わたしは声を上げて笑った。拓哉も相好を崩す。


 手作りの夏祭り。こんなサプライズが用意されているなんて、誰が想像できただろう。彼の想いの強さが胸にしみる。


「なにからやる? 射的? 金魚すくいもできるぞ。それとも、まずは腹ごしらえから?」


 拓哉の楽しそうな声が耳に届く。


「まずは」


 どれも魅力的な提案だ。けれどもほかにやりたいことがある。わたしは左手を伸ばした。


「手を繋ぐことからかな」


 拓哉が破顔する。彼の手が、わたしの手をそっと包み込んだ。握られた手のひらが熱を帯びる。幸福感が胸を満たした。


 今日この日を、わたしは一生忘れないだろう。


 彼が作り上げてくれたこの祭りこそ、わたしにとっての最高の祭りだ。

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