リープ州の輝ける星
赤部航大
リープ州の輝ける星
ある場所で星々に触れんとばかりに炎が焚かれている。そこでは人々が炎を中心に大きな輪を描き、相方と手を取り合い、陽気な音楽に身を任せ、そして夜空に向けて歌っていた。
「ああ我らがリープ州の輝ける星よ! ここダウン村より生まれし星よ! その愛くるしさは神をも射止め、我らに正しき時を示された! ああ――」
祭りのメインたる踊り場から少し間を空けた先でも人集りができていた。仲間や家族、初対面同士がテーブルを囲み、笑顔で酒を飲み交わしていて、賑やかさではこちらも負けていない。
そんな空気にも関わらず孤独にビールを呷っている男、リードの意識はまどろみの沼へと沈みかけていた。
始めは色々あって見れたものだったが、今の歌になってからずっとこの調子。もう耳タコだ。
うんざりした様子のリードとは対照的に、参加者たちは飽きるどころか、踊れば踊るほど生き生きとしてきていた。芝生がほどよいクッションとなり、彼らの軽やかな動きを後押ししているようにも見える。
いつかの商人との話じゃ、知る人ぞ知る中で最高の祭りって聞いたのに。たしか、参加した誰もが底抜けに明るくなれる、と言ってたか。どうやら「誰もが」ってのは、村人と根っからのお調子者に限るらしい。
実際よそ者らしき人物もそれなりに輪に加わっている。中にはお忍びで来たであろう貴族も混ざっており、それを見た彼の思考は更に暗い方へ沈んでいく。
さて、そろそろ手持ちも無くなりそうだし、気分は晴れなかったがまぁ……近々どっかの山奥で……
「なにシケた面して一人で飲んでんの! 折角の祭りよ? 楽しまないと損よ!」
喧騒の最中にも関わらずとても綺麗に響く声だった。思わず聞こえた方へ顔を向けると、彼の酔いは完全に醒めた。
炎に照らされて柔らかな光沢を纏う栗色の髪。恒星の如く輝く茶色の瞳。飛びきりの笑顔は咲いた薔薇のようで、手足の白さは天の川を彷彿とさせる。人間らしさは羽がないのと村娘の格好をしているぐらいで、目の前にいたのは正しく妖精だった。
「お~いもしも~し。もしかして私の美貌に当てられちゃった?」
「あ、ああ、そうだね。初めてだ。君ほどの美少女に会ったのは」
「いやそこ『自分で言うんか~い』ってツッコむとこでしょ。まあ事実だから仕方ないけど」
そう言う彼女の一挙手一投足全てが可憐で、彼が見惚れてしまうのも無理はない。
「君がこの歌のモデル?」
つい突拍子もないことを口にしていた。モデルな訳があるか、確かこの歌は……
「そうよ」
「いやそんな馬鹿な!」
あるはずがないのだ。この歌はもう数百年単位で歌い継がれていると、事前の紹介であったのだから。
「あなたちゃんと歌を聴いてないの? 『栗色の髪に茶色の瞳、歩いた跡には薔薇が咲く』って」
「聞いてはいたが……」
そんな折、近くを通りかかったビール腹の中年がリードに声をかけた。
「おい兄ちゃん何をさっきからブツブツ独り言してんだぁ? 飲み過ぎておかしくなったか? だったら一緒に踊るぅ?」
「いえ正気、いや正気じゃないかもだけど、とりあえず大丈夫なのでお構いなく!」
「おお急に元気になったな兄ちゃん! 良いことだ! ガッハッハッハッ!」
満足したのか自分の席へと戻っていった。
「おかしくなったの?」
「なってないわ! 誰のせいだよ! 全く、妖精みたいとは思っていたが、まさか本当にそうだとは」
「妖精じゃないわ。私はヴェルよ!」
「いや、そうじゃなくて」
「名乗られたら名乗り返しなさい!」
「はいすみません! 僕はリードです!」
「よろしい。って何よこれ」
いつの間にか彼女はリードの隣に座り、このような茶番を幾度となく行った。そして二人とも笑いに笑い、気づけば彼も笑顔を絶やさなくなっていた。
そんな中、ヴェルが今までとは異なる調子でこう切り出した。
「ねぇリード、あなた何暗いことを考えてたの?」
そう尋ねられた一瞬、彼の表情は彼女と会う前に戻る。そうだ、僕は――
「もう疲れたから、近い内に死のうと思ってね」
こんなことは他人に、ましてや初対面の人に話すことではない。しかし茶番劇を演じあった効果か、自然に口から滑り出ていた。このことにリードは驚きつつも不快感はなかった。
「逆に僕も尋ねていい?」
「なあに、リード? 何ても訊いて? あ、スリーサイズは駄目よ」
「そんなこと訊くか! じゃなくて……君は歌の通りなら……生贄に捧げられたんだよね? なのに何故そんな明るく出てこれるんだい?」
「怨霊になって出れば良かった?」
「その方がまだわかる」
「怨霊になったら私の美貌が損なわれるでしょ!」
「そこ!?」
完全に予想外だったが、彼女なら有り得るとすぐに順応してしまうリード。
「いや納得しないでもっと掘り下げて」
「ご自由にどうぞ」
「遠慮なく。えっと……結局ね、神様に閏日を取られたままじゃ困るでしょ? 徐々に時間がずれて、季節がずれて、そのズレが農業に影響して不作に繋がる訳だから」
「その閏日絡みはわかる。でも神様ってどういうこと? いや、君が周囲から見えないってことは、僕の夢じゃなければそういうことなんだろうけど」
「夢じゃないから安心しなさい」
否定されると却って困惑してしまうリード。それもそのはず。神様というのは神話や宗教でしか聞かない存在で、ましてや閏日に関する話などない。彼に限らず大多数の閏日に対する認識は、学者が凄い頑張った、ぐらいだ。
「そりゃ神話にできないでしょ。私が欲しくて閏日を奪ったなんて」
「え?」
「いや建前は『人類は時の正体に近付き過ぎた。裁きを下さねばならん。よって閏日など設けても無駄になるよう、時の流れを掻き乱す』って啓示を発したのよ、学者たちに。そしたらもう彼らは大混乱。『神は実在し、怒りに触れてしまった!』ってね」
「それからどうしたの?」
「そこからはもう神官やら王様やら総動員でお祈りの毎日よ。焦ってやってるその光景がめっちゃウケた、と言ってたわ彼。そして総動員お祈り数日目でまた啓示を発したの。『リープ州ダウン村にこの地上唯一輝ける星がある。その星を我が御許に差し出せ』と」
「いやに具体的だな。こういうのって濁すのでは?」
「焦らしちゃったけどやっぱり早く私が欲しかったらしいわ。それでね、私って目立つから、すぐに私が『輝ける星』ということになって、『生贄になってくれ』と拝み頼まれた訳よ。王様まで私に頭を下げに来たわ」
「そして悩みにな」
「2つ返事でOKよ」
「軽っ!」
ツッコミを入れたが彼女だからと納得もできる。納得だからこそ訊かなくてはならないことがある。訊くにはとても勇気が要るが、彼女の纏う空気が後押ししてくれた。
「怖くは……なかったの?」
死ぬのが、とは声に出せなかった。
「最初は怖かったわ。でもすぐ思い直したの。神様がいてその側に行くのなら、肉体がなくとも『私』という存在は消えないんじゃないか、ってね」
「いや、でもその啓示は君にも?」
「なかったわ」
「じゃあ君からしたら神様がいるって確証どこにもなかったじゃないか! 啓示があったなんて嘘で……嘘で王様が君に頭を下げる? あれ?」
混乱する彼の様子がおかしかったのか、ヴェルは吹き出してしまった。それから少し落ち着くと、愛嬌溢れる唇が再び可憐に踊り始める。
「確証はなかったわ。ホラを吹きに王様がわざわざ頭を下げに来るのもおかしいけど。まあたとえ思い付かなかったとしても、結局同じことをしたと思うわ」
「それは」
急かそうとする彼の唇は、そっと白い人さし指で窘められた。
「焦らない。そうね、逆に訊くけど、リードは全てを知ってからでないと動けないの? 知って動いたら物事うまくいった? そもそも全てを知るってできる?」
突然の質問責めに、彼はすっかり口を閉じてしまった。代わりとばかりに脳裏には、過去の瞬間が次々と映し出されていく。
不作にあえぎ、税を払えず、見逃してくれと懇願する農民たち。自分たちの食べる分を隠し持っていたのは百も承知で、その上で見逃した。しかし兄たちにバレ――
「いきなりごめんね。でも単純だけど、自分がこれだと信じたことに賭けてやりきるしかないのよ、私たちは。どうなるかなんて後にならなきゃわからないもの」
「そうだ、僕は、何もわかっていなかった……」
普段から親しくしていたが、捕まって処刑が決まった。恨まれるに決まっている。せめて、自己満足だが彼らに謝ろう。そして謝りに行くと――
「私の場合、生きるにしても後悔しながら生きるのは御免だったから、悔いがない方と思って進んだだけよ。貴方はどう? リード」
――坊っちゃんは、優しい坊っちゃんのままいて下さい。その優しさを、どうか他の皆にも。
何故、何故そんなことを言ってくれるんだ。土壇場で「気づけなかった」と言った僕に。僕は、この人たちの死に際を、見ることが――
リードの両目からは大粒の涙が溢れていた。ヴェルは彼の側に寄り添い、聖母のように頭を撫でる。
「大丈夫よリード。貴方のやったことは間違っていない。でも結果から逃げては却って貴方を苦しめるわ。今のようにね。だからまずはもう一度、自分がやるべきだと信じることに向かって。それから死ぬかどうか考え直すといいわ」
ひとしきり涙を流しきった彼の顔からは、すっかり憑き物が落ちていた。目には一筋の光が宿っている。
「閏日ってことは、四年後も会えるかい?」
「私、一人の男とは一度しか会わないって決めてるの。でも見えないだけでここにいるわ」
「なら、一緒に踊って貰っても?」
返事代わりに笑顔で手を引かれる。リードは薔薇咲く道を進んでいった。
リープ州の輝ける星 赤部航大 @akabekodai
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