樹海の宴

坂口航

 

彼女は誰にも迷惑をかけたくはなかった。それは幼い時からずっと変わらず思ってきたことであった。

なぜかは昔のある場所で、他の子どもが騒ぎ倒し遊んでいる中、自分がじっと静かに本を読んでいるところを、「誰にも迷惑をかけないでいられるのは凄いね」と褒められた。ただそれだけの理由である。 

他に得意のことはなく、運動も苦手、勉強はどんなに頑張っても真ん中より上を行くかいかないか程度。

自分が多く褒められたことは、いつも静かに文句も言わず、じっと耐えることができるこの性分だった。

だから彼女はどんなに辛いことがあっても耐え、周りを不快にさせないようにずっと過ごしてきた。


しかしそんな生活をいつまでも続け、社会人となって今でもやって行くのには限界を向かえた。もうこれ以上は耐えられない。だから彼女はこの樹海の入り口へと足を運んでいるのである。

朝霧が広がり少し先を見つめるのも難しい。当然だがこの樹海の先には道がない。例え獣道があったとしても、それは数日、果ては数時間で消えてしまうだろう。


これで良いんだ。彼女は心の中でそれを繰り返す。この森にいなくなったら誰にも迷惑はかからない。きっとそうだ、自分がいなくなることが、一番周りにとっても嬉しいと思うことなのだ。

彼女は湿った土を踏みしめ、静かに樹海の中へと踏み入れて行った。これで全てが終わる、そう思って。


――だがどうも、その期待は大きく外れることになってしまった。



――――――――――――――――――――

騒がしい音が辺りに響く。お喋りをする声や、食器を鳴らす音。そして音楽を演奏し、その音色に乗り踊る音もする。

そしてそれらな音に混じり、剥き出しとなった骨が鳴り、狼のような唸り声をあげる者がいた。


ここはどこだとお思いかも知れませんが、この場所は先ほどの女性が踏み入れた樹海の中でございます。

きらびやかなテーブルの上にある食器には、小さなケーキやクッキーなどのデザート。大きなサンドイッチやタンドリーチキンなど様々な料理が並んでいた。

そしてそれを食べるのは人間ではなく、二足歩行の狼やトカゲ。美しいドレスを身に纏った片目を失ったツギハギだらけの婦人など、とても信じられない怪物ばかりであった。


「お嬢さん、よくこの場所が分かったね。こんなコンパスも役に立たない樹海をどうやって歩いたんだい?」


魑魅魍魎が大声で笑い、歌い、遊んでいる会場に、彼女は申し訳なさそうに座っている。

そんな彼女に優しく声をかけたのは、立派な燕尾服を身に纏い、低く優しい声を持つ長身の男。

いや男なのか? おそらく男だろう、体の肉が全てなくなり骨のみとなっており性別が分からないが、服装と声から見るに男であってるはずだ。


「いえ……その私は、ここを探してたのではなく。たまたま……」

「ちょっとアンタ、せっかくの客人に手を出そうとしないでよ。この変態が」


この状況を理解できず、元々来た理由もあまり楽しい物ではないため少し言い淀んでいると、赤い着物を着て浮かんでいる女性が近付いてきた。

その女性はまるで浮世絵に出てきそうなほど美しかったが、足がなく、空中を漂うようにして浮いていた。


「変態とは……、お松さん失礼ですよ。私は何も手を出そうだなんて考えてませんよ。ただ寂しそうにしていたのでお話をと」

「ふん、どうだか。アンタ前にゾンビになったばかりの女性を組倒そうとしただろ。私がいなかったら何してたのよ」


骸骨の紳士と宙に浮く浮世絵美人が言い争いを彼女の前で始める。きっと私がこなかったら喧嘩など起きなかっただろうに……。


「す、すいません」


か細く震えたその声を聞き、二人は喧嘩をするのをピタッとやめた。 

謝った彼女の目には少しの涙がたまってきていた。自分がいるとやっぱり他に迷惑がかかる。迷惑をかける自分なんて早いとこいなくなった方がと。


「君は、……そうだね。まずは何か食べようか、サンドイッチは好きかい? 最近はフルーツを挟む物まで出始めたんだ、ちょっと待っていてくれ」

「あ、あの私は、」

「はいはい座って。ここで会えたのも何かの縁、ゆっくりしていきなさい。ほら折角のお祭りなんだから楽しみなさい」


自分の料理を取りに行かせるのは申し訳ないと、彼女は紳士を止めようとするも、肩にそっと手を乗せてゆっくりするように促す。

だがそれでも申し訳ない気持ちが心の中で残ってしまっている。

美人はフワリと彼女の目線に合わせるようにイスへと座ると、じっとその目を見つめ微笑んだ。

それが何だか彼女は気恥ずかしかった。


「あの……お祭りって何なのですか? それにここにいる方たちは……」


居たたまれなくなった彼女は、何とか話題を作って視線を外してもらうために質問をした。日の光は深い霧と木々によって完全に遮られたこの場所で、人ならざる者たちが集まり遊んでいる理由を。


「お祭りはお祭りよ。ただ集まって騒ぎ倒す、私たちが生前できなかった事を毎日し倒すのさ」

「――ッ。生前とこはつまり……」

「お待たせしましたマドモアゼル。ケーキとサンドイッチと、色々貰ってきましたよ」


何気なく答えたその一言を彼女が聞こうとしたその時、配膳をしに行った紳士が、悪魔のような翼を生やした小さな少女と共に戻ってきた。


「あら、お手伝いしてくれたの? ありがとうねミルちゃん」

「いえそんな、ミルはただ一緒にお話出来たらと思っただけですので」


ミルと呼ばれた少女は恥ずかしそうにしながらも、褒められたのが嬉しかったのか、顔をクシャッとして笑った。

自分より高いテーブルの上に、小さなその羽をパタパタとはためかせながらお皿を並べる横で、紳士は手慣れた手つきで紅茶を注いでいく。

彼女は紅茶に詳しくはなかったが、その匂いと澄んだその紅の色を見て、これが高級品であることは分かった。

紅茶を淹れ終え、丸いテーブルに料理が並ぶと、紳士は彼女の隣に、少女は美人の膝の上にちょこんと座った。


「ふー、全く。性格はアレなアンタだが、紅茶を淹れるのだけは無駄に上手のね」

「お褒めに預かり光栄です」

 

そんな冗談を交わしながら紅茶を飲み始めたのを見て、恐る恐る彼女もティーカップを手にした。

ゆっくりと、芳しい匂いを嗅ぎながらソッと口の中へと流し入れる。


「……! 美味しい」


いつぶりか。誰かに気を使ってではなく、自分の本心から思うその言葉を発したのは。

一口飲んだことで少し心が楽になった彼女は、目の前に用意されたサンドイッチをパクリと食べた。


「お味はどうですか?」

「あっ、はい。美味しいです、紅茶もホントに」


それを聞くと、目の前に座っていた美人と少女は嬉しそうに笑った。きっとこの紳士も笑っていたのだろう。


「さぁ、どうぞ。ここでは全てが自由だ。好きなだけ食べれば良い、好きなだけ歌えば良い。最高のパーティーを続けようじゃないか」


紳士が大きな声でそう唱えると、近くにいた者たちも一斉に呼応する。


――パーティーは続く、永遠に続いて行く。その中で彼女は、いつの間にか笑っていたのだった。ずっと、ずっと。

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