小さな手のひら

松竹梅

小さな手のひらに

見渡せば青い空、広々とした天の下にはまだ少しだけ白が残っている。


それでも視界は緑を捉え始めており、吹く風もどこか暖かだ。


私の足元にはまだ緑はないけれど、じきに春を感じて成長してくるのだろう。


春が近い。大きな変わり目の季節がやってくる。


最近は寒くて寒くてどうしようもなく、部屋にこもって布にくるまって暮らしていたから、あの暖かな空気が恋しかったものだ。


私の住むところは壁がない。とても住居とは呼べないけれど、こればかりはどうしようもない。


壁がないことに不便は感じない。開放的なことはいいことだと、私は思う。


自分の姿を黒くて大きな、たくさんの目で見られることはちょっぴり恥ずかしいけれど。私らしさをたくさんの人に見てほしいと思ってしまう。


私の視線の先に、まだ布にくるまったままのがいた。目立たないけれど周りにたくさんいて恥ずかしいのか、一向に姿を見せようとしない。


ああいうのを見るともったいないことだなと、同じ仲間として情けなく思ってしまう。


ずっとこの場所で留まっていたり、布をかぶって外に飛び出してみようともしないのはもったいない。


せっかく生きているのに、一度も太陽を見ず、暗がりを彷徨ったまま落ちて行ってしまうのはとても悲しいことだ。


私は何度もこの季節を廻っているから、自分がどうしたらいいのか、それなりに知っているつもりだし、その姿で見せてきた。


その生き方は私の先に生きる先輩たちから受け継いだものだ。まだ現役で続けているのもいるし、いなくなってしまったのもいる。そうした命のリレーを紡いでいく役割もあると、私は多くの仲間と教わってきた。


だからこそ、私は彼らにその遺志を紡いでいかないといけない。そして後世に残していかねばならない。それこそが私の意志でもある。


時には先輩たちに教わりながら自分の美的探究心を磨いてきた。


時には調子に乗りすぎて先陣を切り、スタートを早くすることもあった。


時には仲間と励ましあい、競うように先輩の背を追った日もあった。


一瞬の出来事ではあるけれど、どれも私の中で起こってきたかけがえのないものだ。


だからこそ、春を迎えるこのときにしかない大きな祭りで、自分の今までの研鑽を見せつけることがどれほど重要か。


私はもちろん、仲間たちにとっても大切で、自分たちが最高に輝く季節が春なのだ。


暖かな風の吹く中、眩しく輝く太陽の下で、たくさんの人と触れ合う。


人々は多くの顔を見せてくれる。


多くの仲間に囲まれ楽しく過ごすもの。ひたすら酒に酔うものと介抱するもの。笑いを取ろうするものと囃し立てて盛り上がるもの。新たな恋にお互い心躍らせるもの。準備してくれたものと労うもの。久しぶりの再会やしばらくの別れに涙するもの。


青い簡素なシートの上でも、語られる話は厚く、奥深い。踏みしめるほどに深みにはまっていきそうだ。


そんな場で私たちは最高の瞬間を迎えることができる。夏、秋、冬と、神の下に帰っている間に蓄えた力と、備えた魅力を存分に披露するのだ。


これを最高の祭りと呼ばずして何と呼ぼうか。


強い風が吹きつける。頼もしく、ぬくもりのある力に背中を押されている。


この場所に留まるだけじゃなくてもいい。


高い空へ、人々の輪の中へ、どこかの小さな手のひらへ。


さあ、いまこそ、私たちの素晴らしさを見てもらおうではないか!


  ***


強い風が吹き込んでくる。窓を開けたままにしていたらしい。


窓辺を見やると、愛する夫と育ち盛りの息子、生まれたばかりの可愛い娘が、川の字になって眠っている。差し込む日の光でぬくもった床の上は、春になったとはいえまだ寒いだろうに、3人とも実に心地よさそうだ。


今日は待ちに待った桜祭り。彼女の住むこの地域で毎年行われる一大イベントで、多くの観光客が訪れる。地元民の交流と地域振興を兼ねた場でもあり、名産品を使った料理や地酒が振舞われるため、1年で一番大変な祭りだという人もいる。


しかし同じように、1年で一番最高に盛り上がる、楽しい祭りだと口をそろえて言うのだ。友人、同僚はもちろん、家族も毎年楽しみにしている。無論彼女も最高の祭りだと思っている。何より今年は新たな家族が増えたのだ。ワクワクしない方がどうかしている。


今日は親戚もたくさん集まる。娘の初お披露目だ。どんな服を着せようか。みんなで持ち寄る約束のお弁当なのに、張り切りすぎていつもよりも作りすぎてしまった。後悔はしていないけれど。


気持ちよさそうに眠る3人を起こさないよう窓辺に膝をつき、しばらく眺めているだけで愛しさで胸がいっぱいになる。頑張って生んでよかったと心から思う。


ふと見ると娘の手のひらに桜の花びらが蕾ごと落ちていた。普段樹についているものしか見ないからかもしれないが、今まで見たこともないほど大きく、美しい。花弁が揃っていて、色もつやがあり、それでいてかわいらしい。


彼女の未来はどうなるだろう。辛いこともあるかもしれないけれど、この桜のように風に飛ばされても強く、美しくあってほしい。


あたたかな情景にふっと頬が綻ぶ。すると見ていたかのように、娘もニコッと笑った。つられて思わず笑ってしまう。


それに気付いた夫と息子が起きたので、そろそろ出発しようと声をかける。夫は弁当、息子はおもちゃと準備道具、私は娘。それぞれ両手に大きなものを持って揃って出かける。いろんな思いを握りしめ、最高に楽しめる場に向かう。


今年も楽しい祭りにしよう!

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