引っ越しするなら異世界トラック

眞壁 暁大

第1話

轢かれる寸前、この感覚は二度目だと思った。

ならば焦ることはない。

いい加減戻ってきたこの世界にも飽きていたところだ。

そろそろ刺激が欲しいと思っていたのだ。

1度目に比べれば確かに年をとったものの、それでも平均寿命には程遠い。まだまだ生きて当然の体。

人生で2度轢かれて死ぬ確率と、2度轢かれて転生する確率。

どちらがより高いのかは判然としないが、1度は死なずに済んだ以上、今回も死なない方に賭けるのは間違った判断ではあるまい。

トラックのボンネットが頭蓋を砕くまでのわずかな瞬間に俺はそれを考える。

頭のあちこちで追憶と回想と思考がてんでばらばらに駈け廻った。

異世界へと飛んだ思考とはまた別の場所で、同時に異世界の回想も蘇っていた。



1度目の事故で転生したのはわりと分かりやすい世界だった。

望んだとおりの世界と言った方が良いか。

適度な身体負荷と精神負荷、ちょっとしたスリルと冒険。

それをこなす為のスキルセットは転生時すでに装備ずみ。

演出として挿入される、「ちょっとした」を大きく踏み込んだ危機に際して突如発動するチートスキルなども、努力して身につけたものではない。

自動的に発動してくれる便利なスキルだった。

当初は思い通りに進むことに若干の違和感がなくもなかったが、それもすぐに慣れてしまった。

どこから来たのか分からないが、とにかく腕の立つ新進気鋭の冒険者として耳目を集め、人々の輿望を担う快感が心地よい。

手応えがない、などと文句を言ってはあまりに贅沢すぎるだろう。

それに、序盤のクエストをこなすのは楽だったものの、この世界のカラクリに慣れはじめたころにはそれなりに負荷をかけないと稀にクエストに失敗するようになった。

負荷のかけ方が実にちょうどいい塩梅で、飽きがくるということがなかった。

そこそこ苦労して何かを達成する方が、カタルシスは大きいということをこの異世界の設計者は理解しているようだ。


そう、まさに設計されたかのように「整然としたカオス」が演出されているのが異世界だった。

想像を超えるカオスには、異世界にいる間じゅう、出会うことはなかった。

最大の危機と言えるラスボス戦でも意表は突かれたものの、「なるほど、そう来るか」という演出に留まっている。

意表を突かれて動揺はするものの、体勢を崩されるまでには至らないので生命身体の危機にまでは及ばない、そんな大ピンチ。

それがこの異世界で感じた最大のピンチだった。


ラスボスたる魔王を倒した後。

俺をこの世界に引っ張った異世界の神官から異世界に留まる楽隠居生活とリアル世界への帰還、2つの選択肢を与えられた時に帰還を選んだのはそれが理由だった。

想像を超えるカオスのない異世界。居心地はいいものの既に用意されているクエストを全部クリアしてしまった以上、いずれ飽きるのは目に見えている。

勇者として手に入れた名声も、囲い込んだ美女美少女も捨てるにはあまりに惜しい財産ではあるが……。

しばらく悩んだのち、日々の停滞に倦んできた俺は、ついにリアル世界への帰還を決断した。

帰還にあたっての破格の条件もあり、それも俺を後押しした。



帰還後のリアル世界は、以前と変わらぬ世界だった。

想像を超えるカオスはないわけではないが、あったところで自分ではどうしようもない世界。

リアルに戻るとはそういうことだと了解していた。異世界のヒーローもこっちじゃただのOne of them。当たり前だ。

俺の存在そのものがどうでもいい世界だ。異世界にいた頃のようにおおむね自分の思い通りに運ぶ世界でもない。


だが不満はなかった。

リアルで俺が暮らすこの国の、平均的な一般成人男性の生涯収入の3倍にも及ぶ現金を帰還時に異世界の神官から与えられたからだ。

どのように使おうと自由のこのゼニ。

これで俺はひととおり自分の想像の及ぶ豪遊を済ませ、その後、投機に手を出してみた。

計算できないカオスはいい。いや、計算できるのかも知れないが、俺には計算など及びもつかないカオスがとても心地よかった。

異世界のスリルとは違って、コントロールできない、翻弄される心地よさ。

俺はそうやってしばらくマネーゲームに溺れていた。


しかしその刺激も長くは続かない。

自分にコントロールできない、というその自覚が無意識のうちにブレーキをかけていた。

素寒貧になってもいい、と嘯きながら、その実、生活を落とせない自分がいる。それを死守するための最低線は維持したままで戦っていた。

制御できないリスクを楽しんでいたつもりだった。

しかし、多くの本当に戦っていた投機家たちが相場で焼かれて撤退していったのに対し、一人悠然と生き残っている自分に気づいたとたん、熱が醒めた。

俺が感じているスリルなど、人生まるごとぶち込んで勝負していた連中のそれには及ばない。

負ければ転生不可能な電車との衝突すら厭わずに、後先考えずに突っ込める勝負師たち。

自らがそうではないことを思い知った俺が、それをどうやって克服するか悩んでいたところ、もう一度引っ越すチャンスがやってきた。



目覚めたとき、目に飛び込んできたのは遥か高い天井だった。影が差し誰かが覗き込む気配。

見覚えのある顔だった。

案の定、呼び出したのは神官だった。


1度目は何もない草原に放り出されたのに比べれば破格の待遇。あの時は雨に打たれてあまりの寒さに目が覚めたのだったか。

体を起こして見回してみれば、記憶にある調度。ラスボスたる魔王を倒し、王に謁見した宮殿の一室のようだった。

俺はまた何か冒険のタネでもできたか、と内心期待しながら神官の言葉を待つ。

リアルで壁にぶつかっていたから、異世界の制御されたカオスで遊ぶのもちょうどいい気晴らしにはなりそうだと算段を立てる。


「祝祭を用意しております」

「祝祭?」

「はい。勇者さまもきっとお気に召されるかと」

「魔王が復活したとか、そういう危険からの召還じゃないのか」

「勇者さまがご活躍のあとは、王国はいたって平和でございます。そのことを王も民もあらためて祝いたいと考えております」


今さら祝祭ってもな。

拍子抜けした気分になったが、歓待されるのはわるくないと思いなおす。

謁見の間に続く長い廊下を神官と共に歩きながら雑談を交わした。かつて愛した女たちはいずれも輿入れして落ち着いたという。

今度はそれらを寝取るのも悪くないスリルか、そう思いながら辿り着いた大扉が重々しく開く。



扉が開いたとたん、俺は眩しさのあまり目を瞬かせた。記憶にあった謁見の間はこれほどまでに明るかっただろうか?

訝しく思いながらも明るさに慣れてきた目を凝らしてみれば……そこは謁見の間などではなかった。

途方もなく大きな、向こうの端がかすんで見えるほどの広さの円形闘技場だった。

眩しさの理由にも気がつく。見上げれば真上に差し掛かる太陽がぎらぎらと燃えている。

そして怒号とも嬌声ともつかぬ大音響が、思わず身をすくめたくなるほどの圧力でもって、俺の身の上に降りかかる。


なにごとかわからぬ。

神官を振り返ると、いつの間にか、扉ではなく鉄格子の向こうに居た。


「どういうことだ!」

「これが祝祭でございます、勇者さま」


恭しく頭を下げた神官は、これもいつの間に用意したのか、俺が使い慣れた剣を鉄格子の隙間から突き出す。


「すべての世界線の勇者さまたちが集い、お互いに殺し合う、血祭でございます」


銅鑼の音とともに、右側で大きな扉が開かれる。そうして闘技場に踏み出した男は一瞬戸惑い、目を細めながら空を見上げる。

さきほどの俺がそうだったように。そして闘技場の熱気に満ちた大音響がふたたび大きくなった。

鉄格子が下ろされ、その向こう側と何ごとかの問答をする男。その男の手許にも、剣が突き出されていた。


ついで左、さらにその隣、そして右隣、という具合に同じ光景がくり返される。大扉が開くたびに銅鑼が鳴り、鉄格子が下りるたびに歓声が上がる。

27人目の男が闘技場に現れた後、しばしの静寂。

観客席が総立ちになるさざ波のような音が響き、玉座に王が現れた。

知っている顔だ。よくぞ魔王を倒した、と俺を褒めたあの顔だった。

見れば他の男どもも、その王の顔には見覚えがある様子。


「魔王退治は、チュートリアルでございます」


神官は差し出した剣を地面において、音も立てずに後じさりしながら言った。


「ここからは制御不能のカオスでございます。

 私も勇者さまに幾らか賭けておりますので、ゆめゆめ秒殺など召されぬようお願いいたします」


「どういうことだ」


ふたたび俺は訊ね、鉄格子に手をかける。ミシミシと音を立てる鉄格子。転生してスキルセットも再設定されたようだった。

更に後じさりをしながら神官は続けた。


「元の世界に飽いていたのでございましょう? ちょうどよいクエストではございませんか。

 どうせやられたところで、今度は死ぬだけでございますよ、勇者さま。

 ……私などより、周りに気を付けたほうがよろしいのでは?」

 

神官の言葉は最後まで聞けなかった。横合いから切りつけてきたオッサンが居たからだ。俺よりやや年上。

このオッサンも「勇者さま」なのだろう。すでにやる気になっている。


俺は地べたから剣を拾い上げながら飛び跳ねてオッサンから距離をとった。体勢を整えて剣を握る。手になじんでいた柄の革が心地よい。

ひときわ大きな歓声が上がったかと思うと、俺とオッサンとはまた別の勇者同士が既に争い始めていた。勝負がつきかけている。

怒号がその勝負に集中する。押されっ放しの勇者が膝をつくと、勝ち誇った勇者がとどめの一撃で首をはねた。

歓声が音としてではなく、衝撃波として俺を包み込む。震動がそれに続いて肌を撫でる。


オッサンが近づいてくる。本気らしい。

俺も肚を決めた。


どうせ一度は死んだ身だ。二度死んだところでどうということはないさ。


この血祭り、最後まで楽しんでやろうじゃないか。

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