第11話   おしまい


『5日目 午前4時』



まだ日も昇らない、闇。

朝を告げようとする小鳥やサラリーマン・学生の音すらも現れない闇。

たまにその恐怖を掻い潜って、今や古しの新聞を配達する人間が彷徨う程度。

朝に逃げようと、闇にバレぬよう音を出さず、駆け抜ける。

誰もがその場を嫌い、誰もがその場に踏み出さず、誰もがその闇を恐れた。

そんな闇の中を息を切らし、両腕をぎこちなく振り回して、全速力で走る男が一人。

男は顔を真っ青にして、怪しく光る自動販売機、不気味な電柱を通り越し、狂ったように走る。

狂った先は、自宅の前へ。サイフからカードを取り出し、何度もロックを解除しようとドアに差し込む。

ようやく鈍い音が鳴ったと思うと、靴も脱がず、一目散に部屋へ飛び込む。

鍵はオートロックされた、その確認だけをして、リビングに雪崩れ込む。


「(どうして、なぜだ、こうなった!!

 俺は何処で間違えたんだ!?

 何を見誤ってしまったんだ!?)」


光は電気もつけずに、金庫に保管してある通帳、書類等、貴重品を次々とカバンに放り込む。

さきほどから汗は止まらない。もう、涙を流しているのではとすら思う。

その判断は本人にもついてはいない。


「くそっ、くそっ、くそぉ・・・!

 (奴が来る前に・・・みっぴーが、足立美緒が戻ってくる前に逃げないと!!

 どうしてああなるんだ、ここでっ!!)」


あらかた貴重品を詰め込んだのか、携帯電話の充電だけを確認し、すぐさま玄関へ向かう。

光は昨日まではいたハズであろう、みっぴーのことなど気にも掛けない。

いや、みっぴーが、足立美緒が今どこにいるのかを知っているかの様子。

玄関のドアノブに手を掛けた瞬間、ふと光の脳裏に閃光が走る。


「(しまった!

 クレジットカードが会社のカバンの中に入っているっ)」


自慢のブラックカードが頭を過る。あれがいわば財布代わり、あれが無ければ生活はできない。

光は自分の愚かさを壁にぶつけて、急いでリビングへと戻る。

だが、時すでに遅し。リビングでかばんの中を物色しているその最中、奴は来た。

オートロックをしているはずのドアが、喜ぶように開く。その気配にいち早く気づく。


「(き・・・来たっ・・・!)」


玄関口からリビングまでは短い廊下と、その仕切りにドアが一つあるだけ。

確かな足音が聞こえてくる。いや、足音だけではない。

何か声が聞こえる。いや、これは声なのか。女の笑い声とも聴きとれる。

いや、もっと耳を澄ませばそれは女の歌声なのか、いや、これは悲鳴、呻く声。

その不気味な声と共に、確実にリビングへと歩み寄ってくる。早くない、ゆっくり、ゆっくりと。

光は恐怖で立ち上がることすらできなかった。呪うは、ここが最上階で逃げられない事実。

ふと、光はあることを思い出す。


「そ、そうだっ!

 先生から頂いたお札、お札がっ・・・!」


ポケットに手を入れると、至る所にしわの入ったお札が4枚。これは道源寺に除霊の前に手渡されたもの。

縋る思いで、お札を手に握りしめて、じっとリビングと玄関までをつなぐドアを見た。

もう足は立てない、力が入らない。精一杯の力でお札を握っている、これが全身の全ての力。

それでも手は震え、お札を握っている感覚すら飛んでいる。

やはり歌声、女の歌声が聞こえる。細く、少し笑みを浮かばせる歌声。この闇に、気色悪さを孕んだ女の歌声。

この闇の静けさにくっきりと浮かぶ、女の歌声。もう、光の精神などいつ狂ってもおかしくはない。

ドアの前で歌声はピタッと止まる。


「(駄目か、逃げ場はないのかっ!

 先生、先生、道源寺先生、早く来てくれ・・・!)」


絶体絶命の最中、光は祈ることしかできない。今は姿見えない道源寺に願うしかできない。

だが、光の願いもむなしく、ドアはゆっくりと動き始める。

心臓が止まる思い。血が一気に引いていくのが分かる。全身に溢れる鳥肌。

ドアはまだ少し動いただけ。人が通れるスペースはまだ空いていない。

だが、それは確実に顔を覗かせた。


「!!

 (あ、あれが・・・あれが・・・みっぴーの、本当の正体か!!)」


真っ黒だった。顔も、髪も、口も、鼻も、肌も、真っ黒。クレヨンで執拗に塗りつぶしたように、真っ黒。

手も、服も。黒で塗りつぶされていて、何処が目なのか、何処が頬なのか、何処が口なのかも分からない。

まるで黒い絵が動いているよう。くっきりとした黒い輪郭に、人の形をした絵が動く。

薄い隙間を縫って、その黒は侵入してくる。2足歩行をしている、だが右に足を踏み出せば、極端に体ごと右に動く。

左に足を踏み出せば、極端に体ごと左に動く。それを繰り返し、黒い絵は近づいてくる。

不気味な動作を繰り返し、少しずつ光に向かって。


「あ、あっ・・・く、くそめっ・・・!

 (除霊が、除霊がみっぴーを刺激してしまったんだっ。

 もうあいつは、人の体を、成していない・・・!)」


まだ恐怖によって体は動かない。みっぴーは、黒い絵はゆっくりと近づいてくるのに、逃げることもできない。

黒い絵から発せられるのか、脳みそに走るラジオの雑音のような音。

近づいてくる度に、その音量は増していく。じっと見ていると、黒い絵の異変に気付く。

手が異様に長くなっていく、足が異様に膨らんでいく、髪が無造作に伸びていく。

その原型は生命体を超えていた。

光は最後の力を振り絞り、声を捻り出した。


「お、おい・・・おい!

 約束が違うぞ!

 6日間の約束はどうした!!

 まだ、まだ一日ある、俺には一日の猶予がある!

 話が違うぞ、みっぴー!!」


『みっぴー』という名に反応したか、一瞬動きを止める。

だが、すぐに動きを再開する。もうこの黒い絵に感情が、理性が残っているようには到底思えない。

全くの影になったのだ。みっぴーは、足立美緒は御覧の通り、黒となった。

その要因は流光なのか、道源寺総一郎なのか、除霊なのか。

光と影の距離は至近距離まで来た。


「(何処で俺はみっぴーの目的を間違えて解釈した・・・?

 なにをすれば、良かったんだ・・・?

 どうすれば、俺は助かっていたんだ・・・?

 誰か・・・誰か・・・教えてくれ・・・)」












この男、流光はどこで選択肢を誤ったのでしょうか?


何日目の行動をミスしていたのでしょうか?


何をしていれば、助かったのでしょうか?


この男の命を栄養として、また、『みっぴー』は野に放たれる。


永遠の謎を残したまま、得体の知れない「幸せ」を求めて。


次の犠牲者の元へと。







「・・・ふ・・せ・・・!」


光の耳に確かに届く声。この暗闇を駆け抜ける、言葉の走者。

断片的だが「伏せろ」と聞こえた。

とっさに、光は頭両手で抱え込み、その場に丸くなって、倒れ込んだ。


「おおおおおおおおおおおおおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお

 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお

 おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお」


この世の物とは思えない唸り声が響き渡る。

光はとっさに、顔上げて黒い絵を探した。そこにいたのは、砂人形のように頭から崩れていく黒い絵。

そして、その後ろに映るは。


「み・・・みっぴー・・・?」


みっぴーが両手を黒い絵に向けて突き出し、何かを行っていた。

それから黒い絵が崩れ落ち、完全に消え去るまでは2分と掛からなかった。

みっぴーは額の汗を拭い、一つため息をつく。

そして、未だに腰を抜かして動けない光の元へと歩み寄る。


「ピー君大丈夫?」


「おまえ、おまえがなぜいる・・・?

 何でおまえが二人いるんだ・・・?」

 

「にゅん?」


「(どうしてみっぴーが、足立美緒が二人いる・・・?

 まさか・・・足立美緒は、別人・・・?

 みっぴーは、足立美緒じゃないっ・・・!!)」


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