第9話   古よりの低所得者


『4日目 夕方』



「(足立美緒、当時高校2年生。

 酒気帯び運転による死亡事故、か。

 こいつが本当にみっぴーかは確実ではないが、

 まぁ・・・恨みを持つのも分からんことはないな)」


空は暗闇が光を覆い始める。街では学校帰りの学生、会社に戻るサラリーマン。

暗闇に反比例する形で、人の波は過熱を増していた。

そんな中光は一枚の新聞記事を、歩きながら熟読する。それはようやく見つけた希望。

自分の存亡をかけた、唯一の可能性。

歩いていくと、寂れた公園が目に入る。砂場と、錆ついたブランコがあるだけの公園。

中央には、滑り台が撤去されたであろう、無意味な空間が存在する。

何十年かぶりに光はブランコに腰を落とす。そして、持っていたカバンのチャックを開け、先生を取り出す。


「(だが、それと奴の言う”幸せになる”意味はまだ直結はしない。

 故に、足立美緒がなぜ堂本千鳥を殺せと指示するのかも。

 まだ足立美緒については調べる必要があるな。

 一体この女には、何が隠されているんだ・・・?)」


「光君」


「(こいつは、みっぴーは、足立美緒は・・・

 俺が思っている以上に、恐ろしい事実を抱えているんじゃないのか?

 ”幸せになる”その言葉・・・俺は大きく勘違いをしているんじゃないか?)」


「流光君」


「えっ。

 すみません、先生。

 買ってきましたよ、牛乳と鮭」


光は一緒に持っていたビニール袋から、小サイズの牛乳パックと、総菜の鮭を取り出す。

2枚の紙皿に牛乳と鮭を並べ、道源寺に差し出した。道源寺はかつて人間だったのかも

疑いたくなるほどに、動物的動きでそれらを食し始めた。

器用に舌を使う様はまさに猫そのもの。そんな姿を直視できないのか、再び光は新聞記事を見つめる。


「お食事中に申し訳ございません、先生。

 自分には、時間が無いので」


「あぁ、そうだな」


道源寺は手についた鮭の味を、丁寧に舌で舐め上げる。

光の情報と道源寺からの情報から導き出された、真相。ようやく掴んだみっぴーの正体。

希望というにはあまりにも小さい新聞の1記事。顔写真すら掲載されていないこの些細な記事が、

今の光の全て。足立美緒は今から2年前に、飲酒運転による交通事故にあい、死亡。

光の考えるべく、この世に恨み・怨念を持つのも無理はない話。

そうなると、余計に自分への死のカウンダウンは、止められないのではないか。

いやそれ以上に、”幸せになる”という言葉が今になって、思いも寄らぬ巨大な闇の匂いを、漂わせる。


「明日の丑三つ時、足立美緒の墓地へと向かう」


「丑三つ時と言うと、明日の午前2時ですか」


「うむ。墓地は図書館で調べた通り、遠くは無い。

 車で行けば10分程度の距離。

 君も一度家に帰って、ゆっくりすれば良い」


「心配はご無用です。

 ではさきほど言われた道具を用意して、

 車でお迎えに上がります」


「頼んだよ」


足立美緒の名前が挙がってから、光は図書館でその埋葬された墓地も調べ上げていた。

予想した通り、県内の、ここからそう遠くない場所。皮肉にも、余計に光と道源寺の推理が当たる。

それから道源寺に指定されたいくつかの小道具を用意して、一人と一匹は

足立美緒の墓へと向かう手筈となった。

だが、この前に向いてきた状況だというのにも関わらず、光の表情は曇るばかり。


「先生、段取りは」


「事は3段階の構えを用意する。

 第1にして、読経による足立美緒の浄化、成仏の可能性を探る。

 そもそも除霊だけに絞れば、墓地に行く必要などない。

 だが、この手の悪霊になると、そもそもの葬儀・弔いが正しく行われていない節がある。

 故に正しく読経を行い、足立美緒の怒りを鎮め、成仏へと導く術を探ってみる」


「2つ目は?」


「第2にして、除霊。

 その名の通り、君から足立美緒の霊を取り除く。

 根本的に足立美緒の被害への解決策にはなっていないが、仕方あるまい。

 成就するかは朧げだが、こちらも新たな策は練ってきた。

 この第2までが、本来想定していた段取りである」


「どういうことです。

 3段階とおっしゃいましたが」


「第3にして、転移。

 除霊が成す術ない時、足立美緒の霊を私に移す。

 それしか、君を救う道は無い」


光は目を丸くして、沈む夕日を見つめて話す道源寺を、黒猫を見た。

道源寺は最悪の手段として、自身の命と引き換えに今回の仕事をこなすつもりでいた。

しばらく何と声をかけて良いか分からなかった。

そんな光の神妙な面持ちに気づいたか、道源寺はもう片方のブランコに飛び乗る。


「無論、これは仕事だ。

 条件はある」


「・・・振り込みは全額致します。

 例え成功しても、失敗しても」


「助かるよ。

 妻や子供に何も残せず逝ってしまった。

 私には三途の川の渡し賃があればそれで良い」


「失礼ですが。

 先生はメディアにも出演され、有名なお方です。

 その、お金に困っているとは、到底」


道源寺がつきつけた条件は金銭面。100%の善意だけで光を救うというわけにもいかなかった。

道源寺とて、この稼業を継ぐ中でこのようなアクシデント、死へのリスクは覚悟していた。

だが、その人生に巻き込んだ家族だけには、一矢報いたかった。

光は何があろうと、自分が例え誘拐の罪で刑務所に入ろうと、その金だけは工面しようと心に決めた。


「それも昔の話。

 去年は年収で200万も到達せんかった。

 今年はそれ以上に悪化しとったな」


「(先生。負け組、だったのか)

 そ、その、低所得層、だったんですね」


「低所得?

 ほう、そうなのか。

 世間一般はそれほど稼いでいるのか。

 これは参ったな。

 ここ何十年間、この稼業一筋で日々を過ごしたせいか、世間の動きも読めんとはな。

 困る阿呆だな、光君」


「い、いえ」


「仕事に夢中になって、周りが見えなくなるとは笑止千万。

 光君、君は生きるんだ。

 生きて、私のような・・・原始人だな。

 原始人にならないよう、気を付けなさい」


道源寺は気を使ったのか、気難しい顔をする光が少しでも笑うように

「原始人」などの戯けた言葉を使う。だがその言葉を聞いて、笑みを浮かべる所か、

光の表情はさらに深みを増していく。


「原始・・・人・・・?

 (先生はハッキリ言って、負け組だ。

 命の恩人だが、そのお歳で年収200万円以下は到底擁護できん。

 世間一般の標準レベルを下回る生活を強いられる、下級層。

 だが、なぜだ?

 どうして先生は挫折しない?恥ずかしくない、悔やまない?

 どうして勝っている俺の、勝っている連中の心の隅に・・・つねに不安や虚無感がこびりつく?

 俺は偉いはずだぞ、勝ち組は進化した人類のはずだぞ)」


夜の訪れを知らせるが如く、周りからサラリーマンの騒ぎ声が聞こえ始める。

その声に我に返る光。時計を見ると、針は7時を示している。

敷いた紙皿を近くのごみ箱に捨て、カバンの荷物を元に戻す。


「先生、一度自宅に戻ります。

 明日午前1時にここで落ち合いましょう」


「うむ。

 光君、実はもう一つ頼みがある」


「何か?」


「この猫の、墓を作ってやってくれないか。

 私がこの猫の命、奪ってしまった」


「・・・約束しますよ」




『4日目 夜』



光はコンビニで買った食品片手に、自宅へと着いた。

だが、光の精神に安堵は無い。むしろこれからが本当の闘いである。

後数時間後にはみっぴーの、足立美緒の墓へ行き、生死を賭けた除霊に挑む。

当然、湧き上がる食欲など無い。疲労から来る睡魔も無い。

緊張感が光の全身に電流を流し、自分の筋肉とは別の力を生み出していた。

リビングに入ると、ソファで横になり、雑誌を読んでいるみっぴーが目に入る。


「(足立美緒、か。

 これから数時間後にこいつと戦うことになるのか。

 これが・・・最後の勝負だ)」


「ピー君、寒い。

 ドア閉めないと怒っちゃうよ」


「だったらとっとと出ていけ、この不法侵入者が。

 それより・・・堂本千鳥の姿が」


「ちどりんは出てったよ」


「で、出てっただと!?

 (まずい・・・逃げられたっ!!)」

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