第73話 着付け……!
「男の子でも浴衣はちゃんと着付けた方が、格好いいものになりますね。ですから、今日はしっかりと覚えて行きましょう」
「はいっ」
和室の中に返事が唱和する。
今日は、夏祭りに向けた浴衣の着付け教室だ。
いつもは日舞を教えている先生が前に座っていて、その横にはアシスタントの男性。
そして、生徒たちは当然、みんな男だ。
思いの外若い人が多いな。
っていうか、全員若いんじゃないかな。
後ろでは、男性の連れであろう女性達が見守っている。
もちろん、舞香もいる。
なんだか嬉しそうにニコニコしていた。
「下着はこちらの、肌着とステテコを」
ステテコ!!
実物は生まれて初めて見たなあ……。
あれならば、浴衣を着た時に下着の線が出づらいし、色も透けない物を選ぶのがいいのだとか。
女子と同じなのだ。
確か舞香も、着物の時はTバックだって言ってたもんなあ。
むっ、前かがみになりそう。
俺は深呼吸して心を落ち着けた。
後は、帯に、その下に巻く腰紐。
そして体型を補正する必要がある人は、補正用タオル。
ここは女子の着物と変わらないのだ。
麦野は胸が大きいので、補正必須だって言ってたもんな。
浴衣を着るのそのものは、そんなに難しくなかった。
説明をする先生の横で、アシスタントの人が実際にゆっくりと、着る動きを見せてくれる。
「羽織って、ぴしっと両袖を伸ばしてから……ふんふん。襟先を腰に当てて……腰紐を……」
どうにか、生徒全員が浴衣を着ることができた。
俺の着ているのは、米倉で用意してくれた稲穂の柄の明るいやつ。
明らかに派手じゃない?
「はい、それでは皆さん、背中を向けて。見学の皆さん、こちらへ。腰紐の周りにしわができているでしょう? 腰紐に指を差し入れて、これを伸ばしてあげましょう。背中の緩みはそのままで」
前にやってきた舞香が、顎に手を当ててふんふん頷いている。
なんか、凄く嬉しそうだ。
今日の彼女は機嫌がいいなあ。
「続いて帯に参りましょう」
きたっ。
着物、帯が一番難しいって聞くもんな。
さあ、帯を二つ折りにして体に当てて、ぐるりと一回転。締めてからもう一回転……!
結構長いな、帯……!
俺はちょうどいい長さが余ったけど、痩せてる人はまだ帯が余っていた。
そういう人は、あと一回転巻くんだと。
そしていよいよ帯締めだ。
ネクタイみたいな、ぐりぐりと帯を絡み合わせる結び方をして……。
おや? 前に結び目が来るんですが。
「ぐるりと後ろに回します」
「なるほど!」
俺はぐるんと回した。
舞香がちょっと笑っている。
楽しげだ。
こうして浴衣の着付け完成なのだ。
今回は、本当なら予約制の特別な着付け教室に、日舞の先生が席を用意してくれた形なのだ。
俺の周りは若いとは言ってもみんな大人で、高校生は俺一人だけ。
舞香が満面の笑みで近づいてきて、後ろに回った。
「結び目はね、ちょっと左にある方がかっこいいの」
「お、おう!」
「うーん。ふーん。……いいじゃない。穂積くん、かっこいいよ」
「そ、そうかな」
なかなか普段暮らしていて、かっこいいなんて言われる機会は無いものだ。
いや、今年はそこそこあった気がする……。
全部舞香絡みって気がするけど。
「次は私達女子の着付けだね。私は慣れてるけど、一応」
「それでは俺は見学で?」
「だめです!」
にっこり笑った舞香にシャットアウトされてしまった。
男達は外に追い出される。
そりゃそうか。
これは男女の差もあるけど、何より女子の浴衣姿は当日のお楽しみにしておく、というのもあるらしい。
男子は着慣れてないから、女子の目でチェックして、この場で直しておくんだとか。
舞香、どんな浴衣でお祭りに来るんだろうか。
楽しみすぎる。
彼女の夜間外出の許可を取るために、俺は清香さんの課した試練に挑んだのだ。
つまりは、いつものインターン。
一竜さんや芹沢さんに連れられて、夏だって言うのに暑苦しいスーツ姿であちこちの職場を連れ回された。
なぜか、みんな俺のことは知ってる風で、父さんくらいの年齢の人が俺に敬語を使ってくるのだ。
とてもむずがゆい。
「君は期待されてるってことさ。米倉清香の眼鏡に適う男子であり、僕にとっては将来のライバルともなるかも知れないね」
冗談めかしてそう言った、一竜さんの目が笑って無くてちょっと怖かったのである。
何を言ってるんだこの人は、なんて思った。
ちなみに、俺がこんな若いうちから米倉グループの仕事場を連れ回されることについて、芹沢さんに尋ねたことがある。
「稲垣くん、帝王学って知ってる? 上に立つものの学問みたいなものだけどね。その心構えとかあり方とか、哲学的なものも含んでるの。若いうちからやるに越したことはないんだよね。それを物心ついたころから叩き込まれて、あの若さで完璧にマスターしたの一竜」
「うーん、納得です。なんか人をモンスターみたいにする学問ってことですね」
「あはは、間違ってないかも。つまり、そういうことよ少年」
「どういうことですか!?」
そこからは、芹沢さんは笑って教えてくれなかった。
解せぬ。
謎は深まるばかりだ。
俺が浴衣姿でうんうん唸っていると、私服に戻った舞香がやって来た。
「お待たせ! じゃあ行こっか」
「お、おう! あれ? 俺は浴衣のままで?」
「いいと思うよ? 着慣れておかないとでしょ? それに、私も嬉しいし」
最後の一言は、ぼそっと呟く感じだったけど確かに聞こえた。
そっか。
舞香が嬉しいなら、この格好で今日はいようかな。
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