最高のお祭りとはつまり。

星名柚花@書籍発売中

最高のお祭りとはつまり。

「ねえ由紀子ゆきこ。文化祭まであと一週間ね」

「そうですね」

 メイド服に身を包んだ北浜きたはま由紀子は広々としたサロンのソファに座る美少女に相槌を打った。

 晴れた秋の昼下がり。

 同僚である南孝彦みなみたかひこは口を挟むことなく、美少女のために紅茶を淹れていた。


「最高の祭りにしたいわ。一生の思い出になるような」


 上流階級や財政官界といった金持ちの子女が数多くが通う由緒正しき学園の三年生にして、由紀子と孝彦の仕えるべき主――春日井グループの令嬢さやかは独り言のように呟いた。


 もちろんそれが独り言などではなく、「わたくしが最高の文化祭だと思えるように全力を尽くせ」という命令だと心得ている二人は、音もなく視線を交わした。





「お嬢様にとって最高の祭りとは何でしょう?」

 三階建ての豪邸からの帰り道。孝彦と肩を並べて由紀子は尋ねた。


「考えるまでもないだろ。田中宗太たなかそうたがいればお嬢様は幸せだ」


 田中宗太は特待生枠で学園に外部入学してきた少年であり、さやかの恋愛対象だ。

 ただしさやかの愛情は非常にわかりにくいため、宗太はさやかに好かれているどころか嫌われていると思っている。


「では田中くんに文化祭当日、お嬢様と一緒に回ってほしいとお願いしなければいけませんね」

「頼んでも引き受けてくれるかどうか……」

 孝彦は眉間にしわを寄せている。


「できるかどうかではありません。お嬢様が望んでいる以上、やるだけです」

 バイト代のために。と、由紀子は口の中だけで唱えた。




 孝彦とともに土下座して頼んだところ、宗太は困惑しながらも了承してくれた。

 土下座というのは一種の脅迫ではないかと思わないでもなかったが、背に腹は代えられない。


 春日井さやかに仕え、その報酬として得る金銭は非常に魅力的であるからだ。

 父がリストラされて以来、北浜家の財政はひっ迫している。


 文化祭当日、さやかは教師に怒られない程度に化粧をして、開会式の間中そわそわしていた。


「本日はお嬢様のことを宜しくお願いします。軍資金はこちらです」

 開会式後、人気のない屋上前の踊り場で由紀子は恭しく頭を下げ、宗太に札束が入った封筒を渡した。

 ちなみに出資者はさやかの父である。


「本当に僕が春日井さんを誘っていいのかな」

「もちろんです。お嬢様は田中くんと一緒に回りたいと心の底から望んでいるんです」

「でも普段、春日井さんはあんなんだよ?」

 あんなん。

 彼が言わんとすることは痛いほどよくわかり、由紀子は大きく頷いた。


「日頃の暴言はお詫びします。けれど決してそれらの言葉はお嬢様の本心ではないのです。先日お貸ししたライトノベル『あ、あんたのことなんて全然ちっとも好きじゃないんだから勘違いしないでよねっ』(全4巻)は読んでいただけましたか?」

「うん、読んだけど」

「お嬢様はヒロイン・サチ子と同じく『ツンデレ』なのです。本日は私たちが付いて回り、全力でサポートしますので、困ったときはこちらを見てください」





「全く、高校最後の貴重な文化祭だというのに、何故このわたくしが庶民なんかと一緒に過ごさなければならないのかしら」

「ああ、うん、そうだね。なんか、無理やり頼んじゃったみたいで、ごめんね」

「そうよ。わたくしは田中くんがどうしてもというから付き合ってあげているのよ」

 飾り付けられた三階の廊下を歩きながら、さやかは艶やかな長い髪を払った。


「わたくしはちっとも嬉しくなんてないし、楽しくもないわ。ええ、田中くんに一ミリも興味なんてないの。それでもこうして一緒に歩いてあげているのよ。光栄に思いなさい」

 つんと澄ましたその顔はほんのり赤い。

 けれど、宗太はその変化に気づくことなく、階段の陰に隠れている由紀子たちを振り返った。とてももの言いたげな表情をしている。


『すみません。照れ隠しなので気にしないでください。実はめちゃくちゃ喜んでます』


 すかさず孝彦がフリップをあげる。

 フリップの表面にはホワイトボードシートが貼ってあるので何度でも書き直すことが可能だ。

 宗太は――恐らく内心では不平不満が渦巻いていただろうに――さやかに向き直ってくれた。


「春日井さん、何かしたいこととか、食べたいものある?」

「そういうあなたはどうなの」

「そうだねー、お化け屋敷とか行きたいかな」

「お化け屋敷? 悪趣味ね」

「嫌ならいいよ?」

「べ、別に嫌とは言ってないでしょう。付き合ってあげるわ」





「……いまのところ大したトラブルにはなってなさそうだな」

「そのようですね」

 さすがにお化け屋敷の中までついていくわけにはいかないので、由紀子たちはさやかの制服に仕込んだ盗聴器から二人の会話を聞いていた。

 プライバシーの侵害ではない。

 盗聴器を仕掛けることはさやかも了承済みだ。


 宗太本人にはひねくれた態度しか取れないくせに「田中くんと一緒に回れるなんて嬉しいけどいつもの調子でまた変なこと言って嫌われたらどうしよおおおお二人ともなにかあったらフォローしてええええ絶対絶対絶対よ!?」と泣きついてきたのは彼女のほうである。


 何故その気持ちを素直に伝えられないのか激しく疑問だが、それがさやかなのだろう。


「お、どさくさに紛れて手を繋ぐことに成功したぞ」

 由紀子とは逆側、右耳に詰めたイヤホンで二人の会話を聞き、孝彦が声を明るくした。

「良かったですねえお嬢様。『繋ぎたいわけじゃなくてお化け役に襲われたときに素早くあなたを盾にするためだから』とか言ってますけど、あまりに苦しすぎる言い訳です。そもそも、万一襲われたらお嬢様が撃退しますよね。柔道黒帯ですし」

 そんなことを言い合いながら待っていると、しばらくして教室から二人が出てきた。


 その後も由紀子と孝彦はつかず離れずの距離を保って二人の動向を見守った。

 宗太がこちらを見たときはフリップを上げ、さやかの本音やアドバイスを伝える。

 たまに目撃者が「何してんだこいつら」という顔で見てきたりもしたが、由紀子たちは大真面目にミッションをこなした。





「ちょっと田中くん、口元にタコ焼きのソースがついているわよ。間抜けな顔が余計に間抜けに見えるから、身なりには気をつけなさい」

 ひとしきり出店を回ってから、二人は臨時に設けられた休憩スペースでたこ焼きを頬張っていた。


 さやかがシルクのハンカチを取り出し、宗太の口元を拭いている。

 その様子はもはや恋人だ。

 むしろ、これで付き合っていないほうが信じられない。


「……普通に付き合えばいいのになあ」

 由紀子と共に木陰に隠れている孝彦がぼやいた。その意見には全面的に同意する。


「ごめん、ありがとう」

「!……ふ、ふん。わたくしの同行者として、みすぼらしくされては困るのよ。わたくしまで品位が疑われてしまうじゃない」

 黒髪を揺らして顔をそむけるさやか。


 少しして、宗太が核心を突いた。孝彦のフリップの指示通りに。


「あのさ、これってデートなのかな?」


「!!! ばばばばば馬鹿なことを言わないで!! わたくしは乞われて! あくまで仕方なく!! 一緒にいるだけなんだから!! 言ったでしょう、わたくしは田中くんに興味なんてないし全然全く好きじゃないの!!」


「ああ、またお嬢様は心にもないことを……」

 はらはらしていると、孝彦が急に立ち上がった。


「南くん? え、ちょっと、どこに行くんですか。邪魔をしてはいけませんよ!」

 慌てて引き止めようとしたが、孝彦はずんずん進んでいって、ベンチの後ろからぺしっとさやかの頭を叩いた。


「!?」

 突然の孝彦の登場に、さやかも宗太も驚いている。


「あのさー、もー、いい加減見ていてじれったいわ。こっちは三時間も付き合ってんだよ。こんなどーっでもいいことに! 三時間も! いや二年半だ! さやかが入学式で宗太に一目ぼれしてから実に二年半も付き合わされてんだわ!!」

「た、孝彦?」

 これまで従順だった使用人の反逆に、さやかは目を白黒させている。


「ツンデレはもういいから。好きなら好きってさっさと言えよ。恋人として一緒に回るのがさやかの夢なんだろ? 最高の祭りってそういうことじゃねーの?」

 さやかの顔は真っ赤に染まっている。

 宗太は目をぱちくりしてさやかの異変を見ていた。


「言うの、言わないの、どっち?」

 孝彦がさやかを睨んだ。


「……田中くん」

 とうとう観念したらしく、蚊の鳴くような声で、さやかが言った。


「はい」

 宗太は微笑んだ。

 その微笑みに後押しされたのか、さやかは顔から湯気を出しながら続けた。


「……ずっと好きでしたの。わたくしと付き合ってくださいませんか」

「はい」


「見ろよ五秒で終わったじゃねーか!!」


 孝彦が吼えた。

 好きなのに素直になれないお嬢様に振り回されたこれまでの時間はなんだったのかとばかりに。


 でも、そう言う彼はなんだかちょっと楽しそうで――由紀子は思わず笑ってしまった。




 晴れて二人がカップルになった以上、由紀子たちはただのお邪魔虫である。

 さやかは盗聴器を外し、孝彦はフリップを捨て、由紀子とともに廊下を歩いていた。

 通りがかった教室の時計を見ると、文化祭終了まであと一時間。

 窓の外では一般客が帰り始めていた。


「いやー終わった終わった」

 孝彦は歩きながら伸びをした。


「というより、強引に終わらせましたよね、南くん。ほぼ力技ですよあれは」

「お嬢様の愚痴も聞き飽きたんだよ。めでたしめでたし、で良かったじゃん。ところで北浜さん、この後暇? 用事とかない?」

「え? ええ。はい。今日はすべてお嬢様のために時間を費やすつもりでしたし」


「じゃあ俺と一緒に回らない? 俺も最高の祭りを体験したいんだけど」


 ――それって。

 由紀子の脳は高速回転を始めた。

 孝彦は気まずそうに目を逸らしている。心なしか、頬が赤い。


 さきほどの孝彦の台詞を思い出し、頭が爆発しそうになった。けれど。


「………………………………。はい」

 頬の熱を感じながら、由紀子は小さく頷いた。



《END.》

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