さよならベテルギウス

新座遊

星は滅びる。人は祭る

さる筋から聞いた話だが、ベテルギウスが爆発して消滅するそうである。


かの星は、赤色超巨星であり、もともと寿命が短いと言われていたが、まさか俺が生きているうちに死ぬことになろうとは、思ってもいなかった。いや、まあ俺も長生きであり、たぶん超人ロックを除けば人類で一番死ぬのが遅くなるであろうことは間違いない。そういう意味では、星の死を看取る権利があるともいえよう。


AIが人間を超越するといわれる時代が来るのは確かだが、その前に、俺がAI化して、いわゆる有機物としての不安定性を排除できたのは僥倖といえるだろうか。まあ要するに電脳化してしまったのである。

そんなわけで、AIが陳腐化して死ぬ頃にはまた別の解決策を得て、寿命を延長することもできるかもしれないが、恒星の死を、それも極めて有名な恒星の死を目の当たりにすることになるとはねえ。しみじみと生死観を見つめ直したくもなるもんだ。


電脳化して一番変わったのは、生死観である。死は貴い。死ぬからこそ、生きる意味があるのだ。とか、そういうことを言いたいのではない。なにしろ死んだこともないのに、生死を語る権利なんかあるものか。

言いたいのは、死とは、というか死を看取る周りの人にとっての死とは、祭りである、という実感である。

継続する生活を一旦、線形座標から途切れさせるのが、死である。それは、ハレとケの世界を意味する。死とは、穢れではなく、やはりハレなのだ。


では、ベテルギウスのハレの日を、我々は盛大に祭ろうではないか。星は祀るものであり、奉るものである。人々は、縁日のようにリンゴ飴を舐めながら、赤い星の死を看取ろうではないか。


AIとしての俺は人々に祭りの準備をさせた。政治的な反発は当然起こったが、炎上するまえに反対派一人ひとりを脅して屈服させるのである。容易いことだ。同時並行的に億単位で人々の行動をトレースするだけの能力は、コンピュータとしてはお手の物。

俺は人間だが、コンピュータに守られたバビルの塔に住んでいるのだ。

例えば統計力学を熱力学のような簡単化された計算式で認識できるとなれば、人々を操るのも困難ではない。


史上最高の祭りをしよう。人々を洗脳する。オリンピックが中止になった分、そのリソースをこちらに回しても経済的な負荷は少ないだろうことは計算済だ。


途中、俺を止めるために、合衆国の地下組織が、俺にコンピュータウイルスを送り込んだりしてきたが、ワクチンを作るまでもなく、そのウイルスを俺の手下にすることで、無力化させ、さらには合衆国に送り込んで、嫌がらせをしてみる。


さあ、そろそろだ。俺は電脳に指向性アンテナを直結して、ベテルギウスの死にゆくさまを感じ取りつつ、人々にその姿を放映した。


かつて一等星の明るさを誇っていた赤く優雅な星は、徐々に明るさを失い、電波アンテナと直結する俺にしか見えないレベルに暗くなっていく。


瞬間、月明かりと同じ光度で夜空を照らした。


恒星としての死、そして超新星としての短い生。

人々は月明かりのようなベテルギウスの死を見ながら、大興奮しながら祭りを始めるのであった。最高に遠距離で、最高にエネルギーの大きな死を対象とした祭りである。間違いなく史上最高の祭りだろうと思う。いや思うはずだった。


俺は、超新星爆発を高精度なアンテナで直視したせいで、死んだ。







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