Part.6 Diagonistic Dyspraxia: Your left hand will be against the right.(2)


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「方法が、ないわけじゃない」


 ラグは火の点いていない煙草を口に咥え、ぶらぶら先を揺らした。

 どうでもいいんだけど、ラグとルネが先刻からずっと煙草を吸いたそうに咥えているのは、気の毒だった。イライラする程ではないのだろう。ミッキーと皆川さんも煙草を吸うけれど、二人は平気らしい。


「当時で二十年という予測だったから、今なら十年弱だ。実際はもっと早いだろう。十年後にを観たくないなら、方法がひとつある」


 ライムはまだ泣いている。幼い少女のように洟をすする彼女の肩を、ルネはしっかり抱いている。

 ラグは、二人にぽんと言葉を放った。


「あんたの時間を止めるんだ、Ladyレイディ

「え?」


 ライムはきょとんと瞬きをくりかえした。ルネが強く眉根を寄せる。彼の話がそれで終わるとは思えなかったので、わたし達は次の言葉を待った。

 ラグはわたし達をざっと眺めて肩をすくめると、コンピューターに向き直った。実に、実に面倒そうに説明する。


「物体の速度が光速に近づけば、その時間は遅くなる。相対性理論の時差だ。――仮に、1Gで加速を続ける宇宙船に乗って銀河系の中心を目差すなら、方向転換する為に中間点で加速をやめ、そこから1Gで減速するとしても、約二十年で地球から銀河系の中心まで行ける(注*)。その間に、地球では二万八千年が経っている。往復で五万六千年。上手くいけば六万年くらいはかせげるだろう」


 わたし達は、すばやくお互いの顔を見た。

 わたしとライムは彼の話が理解できなかったので、意味不明な表情をしていた。しかし、ルネとミッキーには解ったらしい。ルネは射るように眼を細め、ミッキーは呼吸を止めた。

 ラグは平然としているけれど、皆川さんは不安そうだ。

 史織とルツさんは、黙っている。


 やがて、わたしにもラグの話の内容がわかってきた。じわじわと理解して、呆然とする。

 ライムが、おそるおそる彼を呼んだ。


「ラグ?」


 ラグは煙草を噛んで唸った。額にかかった前髪を乱暴に掻き上げる。投げやりな口調だった。


「俺は、倫道教授ほど人間を信じていない。そうまでして地球を守ってやりたいとも、実は思っていない」

「…………」

「だいたい、人類は地球をぶっ壊しそうなことを何度もして来たんだからな。いつもぎりぎりで回避して来たが、俺達がここを出た後でそんなことが起これば、意味が無い」

「…………」

「戦争を起こして自滅するかもしれない。人類がしなくても、でっかい隕石が衝突すれば一瞬で終わる。あんたが居ようが居まいが、全く関係ないかもしれない」


 頬をひきつらせているライムを見遣り、ラグは口調を緩めた。


「それでも。自分のせいで時空が歪むのは 『寝覚めが悪くて仕様がない』 なら、俺の一生分くらいの時間は付き合ってやろう」

「ラグ」


 ライムは囁いた。眼尻の上がったルネの眼が、少し大きくみひらかれる。二対の地球色の瞳に、ラグは肩をすくめてみせた。


「《AONVARRアンヴァル》 なら可能だ。あの船は、その為に造った。あんたを乗せて、銀河系の中心まで準光速で往復する。俺達にとってはたかが四十年だが、地球を六万年守ってやれば義理を果たしたと言えるだろう」

「…………」

「もちろん強制するつもりはない、Lady. 途中でラウル本星へも、銀河連合本部へも立ち寄れる。嫌なら降ろすし、別の方法を考えよう。選ぶのはあんただ。俺は、どちらでも構わない」


 わたし達の視線がライムに集中した。

 夢のような話だ。でも、確かに 《アンヴァル》 号は造られている。ラグが嘘をつくとは思えない。

 ライムは神妙に考えたのち、手の甲で目元をこすって顔を上げた。挑戦的に胸をはる。


「貴方が一緒に来てくれるの? ラグ」

「ああ」


 ラグは事もなげにうなずいた。火の点いていない煙草を手に取り、コーヒーを口に運ぶ。世間話をしているようにしか見えない。


「《アンヴァル》 を準光速に乗せるには、十二機のクオーク・エンジンをフル稼働させ、五機のワープ・ドライブとアルクビエレ・ドライブを使う。今それが出来るのは、俺くらいなもんだろ」


 ライムは首を傾げて、また少し考え込んだ。ミッキーとルネが真顔になったのは、脳内でラグの計画プランを検討しているのだろう。


 わたしは、あれ? と思った。疑問を口にしてみる。


「あの、ラグ。ワープをしたらすぐに帰って来られるんじゃないの? そんな、六万年なんて」


 ラグは答えなかった。他の皆も黙ってわたしを見詰めている。

 わたし、何か見当違いのことを言った?


「……あのね、リサ」


 ややあって、ミッキーが、いつも通り穏やかに話してくれた。黒い瞳はわらっていない。


「多分、君の頭の中にあるワープは、『宇宙戦艦ヤマト』とか『スター・トレック』に出てくる奴じゃないかと思うんだけど……」

「えっ?」


 わたしが眼をまるくすると、ミッキーは困って眉根を寄せた。

 ルネが煙草でしわがれた声で言う。


「ワープ・ドライブは、宇宙船の加速装置だ」


 ラウル星人のパイロットはうすい唇を歪め、考える口調で言った。


「船を最大10Gで加速させる。その後の減速と船内の重力調節に、エネルギーの殆どを費やしている。光より速い物体はない。SFみたいな瞬間移動は出来ない。《DONドン・ SPICERスパイサー》 なら、光速の20%が限界だ」

「20%?」


 それで、皆が黙りこんだ理由が解った。わたしのワープに対するイメージはミッキーが指摘した通りだったのだけれど、ラグやルネには 『わたしには解っていない』 ということが解らなかったのね……。

 頓狂とんきょうな声を出したわたしを、ルネはじろっと睨みつけた。わたしは両手で口を覆った。


「20%は 200MCだ(1MC=光速の千分の一)。通常航行で出すスピードじゃないぞ。太陽系連邦領空内の制限速度は 100MC、地球付近は 2MC だ。加速が1Gなら、船内の重力調節は簡単だ。数光年も進めば光速の99%を超え、ほとんど光と同じ速さになる」


 ルネの瞳は新星のごとく輝いていた。ラグを見て、にやりと唇の端を吊り上げる。


「ワープ・ドライブが五機に、クオーク・エンジンが十二機。おまけに、重力波を発生して時空を縮めるアルクビエレ・ドライブ……。正気の沙汰じゃないな、おっさん」


 ラグは無感動な表情を変えなかったけれど、皆川さんが説明してくれた。


「これは銀河連合のプロジェクトなんだよ、ライム。君の為だけじゃなく、連合も君の力を必要としているんだ。――君達の」


 皆川さんは史織を振りかえり、またわたし達に向き直って続けた。


「宇宙船を光速に近づけるには、莫大なエネルギーを必要とする。クオーク・エンジンだけでなく、君のESPエネルギーが必要なんだよ、ライム。君とレナと、史織の」


 史織は黙っていた。先刻から、凍りついた顔貌かおは動いていない。

 ライムは皆川さんを見詰め、皆川さんはにっこりと微笑んだ。

 ラグが頬杖を突いたまま、さらりと言う。


「俺の能力は、他人の生体エネルギーを別の形に変換する。あんたの力を変換するのは簡単だ、Lady. なんなら、俺が死ぬまでにアルクビエレ・ドライブを自分で使えるようにしてやろう」

「ラグ」

「……出来ないことは、出来るようになればいい。方法がなければ、創ればいい。違うか?」


 飄々とした台詞に、わたし達は絶句した。


 ライムの瞳に涙とは違う光が生れた。明けの明星より輝き、北極星のようなしるべとなる。

 彼女は彼の名を繰り返した。


「ラグ」

「俺も行くよ」


 皆川さんが楽し気に言った。


「鷹弘ちゃん」

「銀河系の中心付近にある惑星国家を探し、国交を結び、或いは開拓して植民するプロジェクトだ。行くのは君とラグだけじゃない。連合軍からも志願者を集めている。四十年かかる旅だ、エンジニアがいなくては話にならないだろ」

「オレも行こう」


 力強い声に、わたし達は全員彼を振り向いた。ライムが大きく眼をみひらく。


「ルネ!」

「いろいろと、言ってやりたいことは腐るほどあるが――」


 あかい唇から、狼のような牙が覗く。鋭い眸はラグを見据えて離さなかった。


「倫道教授にも、クイン・グレーヴスとかいうおっさんにも。だが、今はどうでもいい。VENAヴェナプロジェクトにラウリアンのオレを加えたのは、そういう意味なんだろ? その点だけは、あんた達を褒めてやるぜ、おっさん」


 ラグはルネを鬱陶しそうに一瞥し、フンと鼻を鳴らした。

 ルネの申し出は頼もしかったけれど、ライムは俄かに取り乱し始めた。おろおろと口ごもる。


「ルネ。だって……だって、あなた」

「何だよ。文句でもあるのか? お前」

「ううん。でも、」

「なら黙っていろ。どうせ、今度逢えたらプロポーズするつもりだったんだから。こいつらが一緒なのはしゃくだが、銀河系の中心まで新婚旅行なんざ、洒落しゃれているだろうが」

「…………!」


 ライムは、こぼれ落ちそうなほど蒼い眼をみひらいた。

 ルネは、いたずらっ子のように声をあげて笑った。


「わたしは――」


 言いかけたわたしの肩に、ミッキーが手を置いた。

 わたしは彼を見上げ、澄んだ黒い眸と出会った。ミッキーはおもむろに首を横に振る。

 ラグが苦笑しながら声をかけて来た。


「俺は、あんたを連れて行くつもりはないぞ、リサ。ミッキーも」

「…………。」

「この二百年、《古老おれ》 達はかなり壊れてきたが、正気まともな時の 《ウィル》 は計画から降りるつもりはなかった。過去でなく、《VENA》 が生れた後の未来を生きたかったからだ。――お前達は乗せない。それは、ウィルあいつと教授の遺志に背くことだ」

「ラグ」


 ミッキーも頷いている。

 そうだ。ウィルが記憶を封印してミッキーを残したのは、個人の生をまっとうする為に違いなかった。彼の家族と仲間達のために。ラグと皆川さんが彼を庇って来たのは。

 それは、わたしにも理解できた。

 でも、わたし達は……。


 躊躇うわたしの耳に、弾むような声が飛び込んで来た。


「そうよ。あたしも、リサに残って欲しいわ」


 ライム……。

 彼女は先刻泣いていたのが嘘のように、晴れ晴れと微笑んだ。


「リサがいなければ、あたしが地球を守る理由がないわ。リサとミッキーが居てくれるから、そうしようと思うのに」


「ね?」 と、わたしの顔を覗き込む。わたしは言葉を失った。


「ミッキー」


 ラグが、また声を掛けて来た。わたし達を見ていたミッキーは、そちらを向いた。


「お前は 《レッド・ムーン》 周辺の時空を監視してくれ。俺達が行っても、歪みは残る。お前の能力が必要だ」

「判った」


 ミッキーはうっすらと微笑んでいた。ラグは淡々としている。


「何かあれば、アレックスに報せろ。タヌキだが、役には立つ」


 ミッキーは、うけがうように瞼を伏せた。

 誰からともなく、溜め息がもれた。


 最初に声をあげたのは、ルネだった。彼は両手を挙げて大きく伸びをした。言葉の密度を振り払うように。


「やれやれ! とんだ長話だったなあ!」

「お前が言い出したことだろう?」


 ミッキーが苦笑する。皆川さんも呆れ顔になった。

 ラグは小さく舌打ちした。


「納得したのか、小僧」

「ああ」


 ルネは決まり悪そうに、ぼりぼり頭を掻いた。


「突っかかって悪かったよ、おっさん。けど、あんたも悪いんだぜ。勿体ぶらずに最初からきちんと説明すればいいんだ」

「……納得したのなら、手伝え」


 ラグはコンピューターに向き直った。何事もなかったかのようにキーを叩き始める。


「無駄にしている時間はない。さっさとこいつを片付けて帰るぞ」

「おう」


 威勢よく返事をして、ルネは立ち上がった。皆川さんが溜息をつく。ミッキーはわたしに微笑んでみせてから、ラグの隣の席に坐った。

 わたしはライムと手を繋いで彼等を見守った。皆の表情は明るく、先刻までの重苦しさはない。


 でも、わたしはルツさんと、彼女に寄り添うように佇んでいる史織のことが気になっていた。







――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

(注*)天の川銀河系の直径は約10万光年ありますが、地球から銀河系中心までの距離は約2万5000光年です。ここで言う二十年は、宇宙船内の経過時間です(往復で約四十年)。


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