Part.6 Diagonistic Dyspraxia: Your left hand will be against the right.

Part.6 Diagonistic Dyspraxia: Your left hand will be against the right.(1)


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 話を再開するまえに、わたし達はミッキーとルツさんに謝罪して、遅くなった朝食をとった。

 口をつけられないまま冷めてしまったオムレツはホウレンソウ入りのスクランブルエッグに、オニオンスープとボイルドソーセージはポトフに、焼きたてのパンはピザトーストとオープンサンドに姿を変えてテーブルに並んだ(わたし達はそのまま食べると言ったのだけれど、ミッキーは作り直してくれた)。ミッキーはラグと皆川さんとルネにコーヒーを淹れ、ルツさんはわたしとライムにミルクティーを淹れてくれた。大変な思いをしたライムも、やっと食欲が戻ってきたらしい。

 食後のコーヒーをひとくち飲んで、皆川さんは、ほうと息をついた。


 ラグは今は相棒(皆川さん)に話を任せている。史織シオは、わたし達から離れてこちらを見守っている。


 皆川さんと史織の説明は、時間の流れを順にたどっていた。皆川さんは、やっとここまで辿り着けて安堵しているようだ。


「俺達と倫道りんどう教授が進めていた計画は……もう分るだろう? あの宇宙船ふねだよ、《AONVARRアンヴァル》 号」


 彼が指差したのにつられて天井を仰いだわたしとライムは、顔を見合わせて苦笑した。皆川さんは微笑んだけれど、ルネの表情が硬かったので真顔に戻った。頬杖を突いている相棒ラグを横目に、


「あれにライムと史織たちを乗せる計画については、ラグに説明して貰うとして……。地球連邦政府の考えは違っていた。ドウエル教授達は」

「どうだったんです?」

「《古老》 たちの計画に、彼等は反対していたわ。それで、《古老》 を手に入れようと――」

「え?」


 唐突にルツさんが話し始めたので、わたし達は彼女に注目した。


「ルツ」

 さらに驚いた。ラグが口をはさんで来たのだ。聞えなくなりそうなほどし殺した声だった。


「あんたが、そんなことを言わなくていい」

「いいえ」


 彼女はティーカップに手を添え静かに首を振った。闇に染めたような黒髪が、細い肩を滑り落ちる。ガラス細工のような人だと、わたしは思った。


「当時の彼等のことを一番良く知っているのは、私なのだから……。《古老》 と銀河連合に表向き敬意を払いながら、彼等は別のことを企んでいたわ。《古老》 の能力を手に入れる。私は、その為に関わったの」


 この言葉を聞くと、ラグは忌々しげに顔を背けた。わたしはすぐには意味が解らなかった。能力を手に入れるって、どういう……?

 ルツさんは、ひそめた声で続けた。


「彼等は、《古老》 達の能力で 《VENA》 を 《レッド・ムーン》 に閉じこめるつもりだった」


 ライムはきょとんとしていたけれど、おぼろに、わたしは理解した。ルネとミッキーも解ったらしい、ギクリと頬をこわばらせる。

 ラグは諦めたように溜め息をついた。


「ルツ。でなかったことは、俺が知っている。だから、言わなくていい」


 ルツさんは項垂れた。

 ライム以外の全員が、ラグを見た。彼は相変わらず素っ気なかったけれど、わたしは、こんなに優しい言葉を初めて聴いたように思った。情のこもった彼の声を。

 ライムは不思議そうに首を傾げている。

 ラグは前髪を掻きあげ、歯切れ悪く説明をはじめた。


「ドウエル教授たちの考えも間違いじゃない。地球人テランの科学者にとって、実験動物の遺伝子を管理するのは当然の責任だ。俺達と違っていただけだ」


『違っていただけ』 わたしは口の中で言葉を繰り返した。でも、その所為で真織まお君とパパは……。

 皆川さんが申し訳なさそうに言った。


「そうだ、リサちゃん。間に立たされた倫道教授は、さぞ苦労なさっただろう。この違いを埋めるために尽力して下さった」

「倫道教授は、ラウル星人ラウリアンの寿命の長さを心配していた」


 ラグが身体ごと向き直り、真っすぐわたしを見てくれた。初めてだ。


「ラグ」

「地球人がこれまで研究に用いてきた実験動物は、全て人類より寿命の短い生物種だ。遺伝的に系統を管理し、生物学的汚染バイオハザードを起こさず、死ぬまで見届ける。それが科学者の倫理と責任だ。ところが、ラウリアンの平均寿命は数世紀を凌駕する。管理しきれない」


 ラグは史織を目で示した。


「当初、教授たちは 《SHIOシオ》 のような胚キメラを造って寿命を抑えようとした。遺伝的に 100% 純粋なネイティヴラウリアンで、半分は地球の生物だ。遺伝子の機能も調べられる。しかし、すぐ誤りに気づいた」


 ラグは豊かな銀髪をゆらして首を振った。何が誤りなのかは、言われなくても分かった。

 史織は無表情だ。


「最終的に倫道教授が目指したのは、《VENA》 をことだ。生殖能の問題は保留して、遺伝形質は妻子を模した。家族を与え、友を与えた。考えられる限り最高の環境をととのえ、教育を施した。娘として」


 ライムはじっとラグを凝視みつめている。ルネは彼女の肩を抱いている。


「実験動物である限り、《VENA》 は研究所から出られない。銀河連合とラウル政府に申請して 《VENA》 を人間と認めてもらうために、教授は出来る限りのことをした。人権が与えられれば、彼女は自由だ。ラウル本星へ行って医療を受け、子孫も残せる。……はずだった」


 ラグは言葉を切り、わたし達から顔を背けた。皆川さんが眉を曇らせる。

 数秒後、ラグは沈鬱に続けた。


「七年前、俺達が失敗した所為で、地球連邦は 《VENA》 を手放す気を失くした。俺も、しばらくこっちへ戻れなかった。その間にも 《VENA》 は成長し、時空の歪みは拡がる」

「…………」

「倫道教授のことだ。地球連邦を糾弾するつもりはなく、情報を公開して支援を得ようとしたんだろう。だが、妨害された」

「…………」

「教授は覚悟していただろう。二十年足らずで地球の軌道が変わる。そんなことを公表すれば、パニックが起こる。《VENA》 も史織も殺されかねない。それでも、手をこまねいていられなかった。せずにいられなかったんだ」


『科学者の禁忌を犯した』――ドウエル教授の言葉の意味が分かり、わたしは項垂れた。彼等にとってを外に出すことは、禁忌そのものだったのだ。


 ライムが、膝に置いたわたしの手に、そっと片手を重ねた。

(……うん。解っている) 深海色の瞳に、わたしは頷いた。

 パパの覚悟は想像できた。殺されるかもしれない、それでも 《VENA》 をラグに託すのだと。《古老》 達に。

 その為に、パパは銀河連合に護衛を依頼して、わたしとミッキーは出会った。『せずにいられなかった』 と表現してくれるラグの気持ちが嬉しかった。

 《VENA》 を愛していたパパ。彼女と地球を守りたかったのだ。


 わたしはぐるっと首をめぐらせて皆をみた。ラグと史織たちを救けようとしたルツさん。彼女とモリスを救おうとして、異空間に飛ばしてしまった史織。ミッキーを遺してくれたウィル、わたしとここまで一緒に来てくれたミッキー。ライムを追って来たルネ。《VENA》 とわたしを守ってくれたラグ。彼をずっと支えて来た皆川さん。

 みんな、誰かを想って、大切にして、命懸けで努力してきた。その結果がこれなのだ。全てが望んだ通りとはいかなかったけれど。

 そうだ……パパを殺した人達にさえ、彼等の理由があった。やったことは赦せないけれど、ドウエル教授もターナーも、私利私欲の為だけに動いていたわけではない。


 わたしはルツさんに微笑みかけようとして、視界がにじんだ。目をこすっていると、ミッキーが肩を抱いてくれた。しっかりと抱き寄せ、揺さぶってくれる。


「リサ」

「うん、大丈夫」


 心配そうな皆川さんとルネに、せいいっぱい笑ってみせた。成功している自信はなかったけれど。

 大丈夫。ここまで、わたし達はやってきたのだ。《古老》 達は、パパは、《VENA》 は。

 そして今も、諦める理由はない。


「リサ」


 ライムが腕をひろげてわたしをぎゅうっと抱き締める。彼女も涙ぐんでいた。

 そう、わたし達は同じなのだ。同じように、パパに望まれて生れた。

 

 Ladyレイディ――何故ラグが 《VENA》 をそう呼んで来たのか解った。どこから観ても貴婦人なルツさんではなく、《VENA》 を。

 《古老》 達は千五百年も待ち続けたのだ、彼女を。その呼称に含まれるのは、限りない憧憬。


『VENAとお前は、姉妹だよ……』


 パパの声が脳裡に響き、わたしは泣きたくなった。泣きたいほど哀しくて、いとしくて、どうしようもない気持ちが胸にあふれてくる。

 わたしとライムは、しっかりお互いを抱き締めた。

 史織は胸の前で腕を組み、わたし達を眺めていた。


「ラグ」

 改めて、わたしは彼に向き直った。サングラス越しの緑の瞳に。

「ありがとう」


 ラグは呆れたように片方の眉を跳ね上げ、肩をすくめた。

 わたしはライムから身体を離すと、彼女と手を繋いで皆川さんに頭を下げた。


「ありがとうございます。教えてくれて」

「いや。俺は、何もしていないから」


 ひらひらと片手を振る、皆川さん。照れて、もう片方の手で頭を掻いた。


「おい、おっさん」


 昂揚してくる気分の中、わたし達は不敵なルネの声を聞いた。猛々しい狼の嘲笑を見る。


「それで、倫道教授からライを託されたあんたは、どうしてくれるんだ。この状況を何とかする方法を、ちゃんと考えているんだろうな?」

「その呼び方は、やめろ」


 ラグはぶすっと呟いた。皆川さんが苦笑している。


「ラグ」


 シャツのポケットから煙草を取り出す彼を、ライムが呼んだ。眼に溜まった涙を瞬きで消し、ふかく息を吸って囁いた。


「……ありがとう」


 ラグの反応を待たず、彼女はミッキーとわたしに微笑んだ。


「ミッキー。貴方達がいてくれたから、あたしは産まれてくることが出来たんだわ。産まれたことを後悔せずにいられるのは、皆のお陰だわ」


 ミッキーは僅かに眼を細めたけれど、何も言わなかった。

 ルネが彼女の肩に手をのせる。ライムは涙をぬぐい、全員を眺めた。

 史織は表情を消して黙っている。ルツさんも静かに彼女を見詰めている。

 ライムは、もう一度、深呼吸をした。


「ラグ、ミッキー、鷹弘ちゃん。貴方達がいてくれたから、あたしはパパに創ってもらったことを誇りにしていられる。ルネとリサが居てくれるから」

「…………」

「だから……。あたしはどうしたらいいのか、教えて、ラグ」


 煌めく地球色の眸を、ラグは無言で見返した。







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Diagonistic Dyspraxia;『拮抗失行』――脳梁体部に前頭葉内側部の障害が加わって起きると推定されているが、充分判っていない。片側の手が、本人の意思に反して不随意に行動する現象で、左手に起こることが多い。例えば、右手でズボンを穿こうとして途中まで来ると、左手がそれを下ろしてしまう。右手でめくった本のページを、左手が戻してしまう……など。このような左手の動きを、自分の意思でコントロール出来ない。

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