Part.1 Alert: You can control yourself.(5)


           5



『私が君達に会うのは、初めてだな』


 二時間後。深夜になってしまったけれど、皆川さんはやって来て、わたし達の部屋でテーブルを囲んだ。わたしとミッキー、ルネ、皆川さんの四人だ。ミッキーは子ども達を寝かしつけた後、律儀に紺のスーツに着替えて彼を迎えた。

 フィーンも来たがったのだけれど、さすがに今回は銀河連合の機密に触れるという理由で許可されなかった。(その割に、わたしは同席していいというのが不思議だった。) 皆川さんになだめられて、しぶしぶ電話を切った。


 皆川さんは、小さな3Dモニターを持ってきていた。最新式の軽量の通信装置だ。テーブルに置いたそれが映す等身大の人物は、宙に浮かぶ玉子型の椅子に腰を下ろし、こう言ってわたし達を眺めた。

 よく焼けた肌は褐色で、皆川さんと同じくらい大柄でがっしりとしている。短い髪は白とみまちがえそうな金色、切れ長の眼の中の瞳は澄んだ紫色だ。銀河連合軍のものらしい銀と紺色のスペース・スーツに身を包んでいる。地球人なら五十代くらいだろうか。彼は悠然と胸のまえで腕を組み、わたし達一人一人に視線を当てた。


『自己紹介をしよう。ミナガワ大佐は知っているな。私は銀河連合のRegulator(統制官)の一人、アレクセイ・ジェームズ・フォン・グリーンメルスハウゼン三世。ラグの――正確には、クイン・グレーヴスの友人だ』


統制官レギュレーター?」


 ミッキーとルネの二人ともが、やや呆然と呟いた。わたしも、彼の長い名前はともかく、銀河連合の統制官が凄い人なことは知っている。


 銀河連合Unitedユナイテッド・ Galaxicaギャラクティカは、太陽系を含む五十六の星系、七十二の惑星国家の加盟する組織で、ソル太陽系のある銀河オリオン腕とペルセウス腕の領域に分布している(銀河連合と言っても、銀河系は広いから全部を含んでいるわけではない)。

 ラウル星を含む多くの惑星国家が、国家間の紛争や交易問題を解決したり、外宇宙の異星人の攻撃から身を守るために同盟を結んだのは、何千年も昔のことだと言う。地球と太陽系連邦が加盟したのは、およそ三百年前。

 宇宙軍を動かし、連合全体の意志を決定する機関は、惑星議会と中央 AI 。統制官という人々は、彼等の意見を調整し、最終的な決断を下す役割を担っている。


 ――雲の上どころの話じゃない。こんな偉い人がひょいと現われて、ラグの友人だなんて言われたら、当惑するしかなかった。

 わたし達の反応を、アレクセイ統制官は愉快そうに眺めていた。


「その統制官が、何の用だ?」


 最初に口を利いたのは、ルネ。彼は苛々するのを通り越し、冷静になっていた。蒼い瞳とかすれた声が殺気を帯びている。

 統制官は平然と笑った。


『そう焦るな、ルネ・ディ・ガディス中尉。君のことは知っている。《VENAヴェナ》 のパートナーの君が彼女を心配する気持ちはわかるが、ここは順を追って説明した方がよかろう』


 ルネが眉根を寄せたのをさらりと見て、統制官は皆川さんを促した。


『ミナガワ大佐、話してくれ』

「判りました」


 それでわたし達は、生身の彼へ向き直った。

 皆川さんは、すっかり意気消沈していた。いつも朗らかで温和な彼が。軍服のアンダーウェアだろうか、黒尽くめのスウェットスーツを着ている。綺麗に切り揃えられた黒髪が乱れて額にかかり、瞳が疲労に濁っているのを、ミッキーは心配そうに見遣った。

 皆川さんは、ミッキーに弱々しく微笑んでみせ、静かに話し始めた。


「《AONVARRアンヴァル》号は、《VENA》 のための宇宙船だ。ライムの――彼女を乗せるために造った。十二機の改造クオーク・エンジンと五機のワープ・ドライブ、最新型のアルクビエレ・ドライブを搭載している(注*)。銀河連合軍最速の宇宙船だ。あのエンジンを全て始動させるための、試験航行だったんだ……」



            ◆◇



「本当に、これに乗ってもいいの? ラグ」

「ああ」


 完成したばかりの美しい金と白の宇宙船を見上げてはしゃぐ《VENA》を、ラグは、うすく哂って眺めた。彼等の周囲には、《AONVARRアンヴァル》号の試験航行に参加するパイロットと通信士達がいる。軍服の間にいると普段どおりの紺のシャツにブラック・ジーンズという出で立ちのラグは浮いていたが、勿論、そんなことを気にする男ではない。

 ラグは淡々と彼等を指示し、長い銀髪を揺らして鷹弘を振り向いた。


「どうする? この距離なら、十二機全部に火を入れる必要はないと思うが――」

「いや。加速が本当に得られるかどうか確かめたい。WHITEホワイト・ MOONムーンの管制域を出るまで、40%の出力でやってみてくれ。それから加速して……十二機あれば、65%で充分だろう」

「……判った」


 鷹弘の台詞を、ラグはサングラスの奥の眼を伏せて聴き、頷いた。宇宙船のエンジンの出力と加速度の計算をしたのだ。相変わらず面倒そうな表情で、前髪を掻きあげた。


「要は加速に人工重力を合わせられるか、だな。あとは、クオーク・エンジンの振動が制御できるかどうか――。Ladyレイディ.」

「はあい、ラグ」


 タラップのかたわらで最後の調整をおこなう整備士達に、《VENA》はちょっかいを出していた。ラグは、うんざり声で呼んだ。

 《VENA》 は濃い緑のワンピースの裾と蒼い滝のような長髪をひるがえし、子どものように笑った。その輝く瞳に出会うと、さすがのAクラス・パイロットも普段の皮肉が出てこなかった。


「連中の邪魔をするな、仕事中だぞ。いい子にしていないと、乗せてやらないからな」

「やん。やだ。判ったわ。大人しくする」

「じゃあな、タカヒロ。後で会おう」

「ああ」


 片手を挙げて船に乗りこむ相棒に、鷹弘は、こう声をかけた。


「そうだ、ラグ。アレックス統制官が、船を観たいと言っていた。後で通信を入れると。伝えておくぞ?」

了解ラジャー


 ラグは振り返らず、《VENA》は急いで後を追いかけた。



 《アンヴァル》号の全長は三千メートルを超えているが、エンジン部分が大きいので、居住空間は船全体に比べると広くはない。無論、個人艇の比ではない。連合軍の平均的な巡航戦闘艦より狭いものの、いざとなれば一人でも目がとどく適当な大きさに、ラグは満足していた。

 今回の試験航行には、連合軍のパイロットが五人参加する。微調整をおこなうエンジニアが一人。通信士はいない。艦長のラグを含め、この最低限の人数で動かせる恒星間巡航艦は、珍しい。

 《VENA》が大型宇宙船のコクピットに入るなど、(表向きは)初めての経験だ。また大はしゃぎするのではないのかと思ったが、ラグの言いつけを守って、彼女は行儀よくしていた。それでも、メイン・スクリーンに映る星空を仰いだ時の瞳の輝きは素晴らしかった。色調を白に統一した部屋の中央に立ち、ぐるっと周りをみわたす。彼女があふれる感動を必死に抑えていることは、誰の目にも明らかだった。


「サブ・スクリーンにエンジン・モニターを表示しておいてくれ。重力図も」

「ラジャー」

『ラグ、聴こえるか?』


 興奮気味の 《VENA》 を放っておいて、パイロット達と船の AI は出航の準備を始める。ラグが立ったまま3Dモニターに航路図を作成していると、サブ・モニターの一つが鷹弘の顔を映した。

 ラグは苦笑した。


「早いな、タカヒロ。管制塔タワーからか?」

『そうだ。アレックス統制官から通信だ。そちらに送るぞ』

「ああ」


『グレーヴス。生きているか?』


 鷹弘の隣のモニターが切りかわり、なじみの統制官がにこやかな顔を見せた。多少画像が粗いのは、遠方から送られてくる映像なので仕方がない。

 ラグは唇を歪めてわらった。


「久しぶりだな、アレックス。生憎、まだ生きているよ」

『寿命が伸びる気がするんじゃないか? どうだ、手付かずの娘(宇宙船)に乗る気分は』

「最高だね、と、言ってやりたいところだが――」


 通信の時間差の間に 《VENA》 が彼に近づき、興味津々にモニターを覗きこんだ。統制官は、愛想良く挨拶をする。ラグは肩をすくめた。


「まだ判らん。実は、とんでもないじゃじゃ馬かもしれないからな……。十二機のクオーク・エンジンを一度に扱ったことなどない。成功するよう祈ってくれ」

『勿論だ。ここで見物させてもらう。気をつけろよ』


 ラグは片手を腰に当て、コクピットを眺めた。モニターの鷹弘とアレックス統制官に背を向け、仲間達の準備状況を確認する。

 《VENA》は彼の隣に並んで立ち、オーロラ色の瞳で誇らしげにその横顔を見上げていた。


「出力20%で、第一から第四エンジンを始動させてくれ」

了解ラジャー


 ラグの指示を宇宙船の AI が復唱し、モニター内のエンジンがオレンジの光を放った。船が優しく身をふるわせる。


「人工重力発進胴、始動。出力50%。加速度、1.025」

『ラジャー。1.025Gで加速します』

『相変わらず、少し重いGが好きなんだな、ラグ』


 鷹弘が声をかける。ラグはちらりと横目で彼を見遣ったが、何も言わなかった。《VENA》は興奮気味にスクリーンを見詰めている。

 ラグは冷静に続けた。


「第五、六エンジン始動。出力30%。……第三、四エンジンの出力を上げてくれ。重力場に負けている。第二象現に流れるぞ」

『ラジャー。出力、35%に上げます』

「《AONVARR》、発進。第三から第六エンジン、出力40%」

『ラジャー。《AONVARR》、テイク・オフ』


 スクリーンを凝視している 《VENA》 は、船の振動の波長が変化して頭上の星がゆっくり動き始めたことに気づいた。ほうっと息を吐き、ふるりと肩を揺らした。

 《VOYAGERボイジャー》や《DONドン・ SPICERスパイサー》号といった小型艇のように、自分の位置が急に変わる感覚は無かったが、船は静かに 《レッド・ムーン》 の表面から離れた。

 鷹弘が手元のモニターを確認し、怪訝な声をかけた。


『おい、ラグ。第一、第二エンジンの出力は上げないのか?』

「それなんだが……気づいているか、鷹弘」

『何のことだ?』

「船が傾いている」


 ラグの口調は明日の天気について話すように素っ気無かった。洗濯物が良く乾くだろうと言うくらいの調子だった。


「やはり、十二機のエンジンを同時にフル・パワーで始動させるのは無理だな。反動で船がバラバラになる。……調節させてくれ」

『判った、お前に任せる。気をつけろよ、ラグ』

「第七、八エンジン始動。出力、25%……」

『ラジャー。出力、25%』


 そう、《アンヴァル》号の AI が復唱を終えた時だった。

 ラグの顔貌が、ふとかげった。眉根を寄せ、瞬きを繰りかえす。隣でメイン・スクリーンを見上げている 《VENA》 を、しげしげと眺めた。


「……何の真似だ? Lady.」

「え?」


 《VENA》には意味が判らなかった。ラグがすうっと眼を細める。

 鷹弘が問う。


『どうした? ラグ』

「ふざけているのか?」

「何のこと?」


 濃い茶色のサングラス越しに、ラグの瞳が緑色に変わっているのをみつけ、《VENA》は首を傾げた。彼女が本当にふざけているわけではないと知り、ラグは軽く舌打ちした。

 《VENA》の声に不安が混じった。


「どうしたの? ラグ」

「気づかないのか? ……やめるんだ。こんな、ことは――」

「え?」

『ラグ』


 鷹弘が、もう一度呼ぶ。

 《VENA》は、これまでラグに厳しく注意されたことなどない。不安を感じて訊き返したものの、彼が苦しげに奥歯を噛みしめたので、息を呑んだ。

 ラグの長身がぼうと白い光に包まれた。彫像のように端整な頬が、ビクッと引きつる。


「…………!」

『ラグ。おい、大丈夫か?』

「……Lady.」

「あ……あたしじゃないわ」


 鷹弘は異変に気づいて腰を浮かした。アレックス統制官も首をかしげる。

 しかし、彼等に事情を説明する余裕は、ラグにはなかった。抑えきれずに溢れ出した白い光が、彼の身体をふちどっていく。次第に強くなるその光と射るような視線を浴び、《VENA》は怯えて首を振った。


「違うわ、ラグ。あたし、何もしていない」

「判った……。だが、危険だ。あんたの力は、俺より、はるかに強い。俺では受けとめきれない……。判っているなら、止めるんだ」

「違うのよ、ラグ。……出来ない、あたしには。本当に、どうしていいか判らないのよ」

「Lady.」


 ふるふると首を振る《VENA》の前で、ラグは苦しげにうめき、よろめいた。モニター越しに、鷹弘が息を呑む。アレックス統制官も真顔になった。


『どうした。グレーヴス?』

『ラグ? 何が起きているんだ? ライム』

「鷹弘ちゃん」

「全員、退がっていろ」


 今や、ラグを包む光は青白く変化して、肌がひりつくような熱と光を周囲に放っていた。その中で、彼は苦痛に歯をくいしばり、自分で自分の肩を抱いている。驚いている乗組員達に、濁った声で指示した。

 《VENA》は彼と鷹弘を交互に見て、おろおろと口走った。


「ラグ! 鷹弘ちゃん。どうしたらいいの?」

「危険だ、退避しろ。……Lady.頼むから、止めてくれ。苦しい――」


 この男のこんな様子を、鷹弘さえ初めて見た。ラグは唸るように囁いて長身を折り曲げ、床に片方の膝を着く。項垂れる横顔に、ばさりと銀の長髪がかかった。


『ラグ、おい! 頼む、返事をしてくれ!』

「どうしよう? どうしたら、いいの。鷹弘ちゃん。……ラグ、教えて。お願い」


 退避を命じられた乗組員達も、戸惑いながらこの光景を見詰めていた。彼等にかろうじて片手を振って合図したものの、ラグは話すことが出来なかった。くいしばった歯の間から、呻き声が洩れる。しがみつく《VENA》の肩に手を当て、弱々しい仕草で彼女を押しのけようとした。


「ラグ?」

「……離れろ、Lady. これ以上は、ムリだ」

『ラグ!』


 鷹弘の眼前に、純白の光がひろがった。



 ――やがて光が消えると、コントロール・ルームの通信機のモニターは、ブラック・アウトしていた。

 鷹弘はメイン・スクリーンを仰ぎ、しらじらと輝く月をみつけた。漆黒の闇に散りばめられた星ぼしは、何事もなかったかのように冷然と彼を見下ろしている。

 鷹弘は探した、スクリーンの中を、サイドのモニターを。宇宙船ふねと相棒の姿を求めて、懸命に首をめぐらせた。狂ったように窓に視線を投げかける。

 しかし、彼は何も見つけられなかった。


「ライム……ラグ!」





~Part.2へ~

(注*)クオーク・エンジン: 前出。

 ワープ・ドライブ: この作品のワープ・ドライブは、宇宙船の加速装置です。


 アルクビエレ・ドライブ: メキシコの物理学者アルクビエレの考案した超光速航行法。重力波を用いて宇宙船の周囲に時空の流れを作り出し(宇宙船の乗っている空間を縮めるイメージ)、理論上は超光速で移動させるというものです。




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