閑話 回想の絆

回想の絆(1)

*この話は本編のネタバレを含みますので、第二部読了後に読まれることをおすすめします。


              1



『ミッキー、なんて言うから、MichaelミカエルMicroftoマイクロフトかと思った』


 ラグは、黒髪の少年とならんで門前の階段に腰を下ろした。少年は小さなリモコンを用いて、自家製ロボットの動きを調節している。四本足の犬の姿をしたロボットは、後ろ足で立ち、二足歩行を始めた。滑らかな動きに満足して、少年は鼻歌を口ずさんだ。


幹男みきおか。東洋人にも、似た名前があるんだな』


 安っぽいスケルトン・ボディのロボットは、階段の上で数秒立ち止まると、二足歩行をやめ、四本脚で下り始めた。バランスを判断して姿勢を変える知能はあるらしい。ラグはひゅっと口笛を吹いた。


「お前が作ったのか? ミッキー」

「キットだよ」


 少年はちらと彼を見上げたものの、すぐに注意を玩具に戻した。


「お母さんが買ってくれたんだ。ぼくは組み立てただけ」

「ふうん。器用なんだな」


 それでもラグが褒めると照れたように微笑んだのは、まんざらでもないらしい。黒曜石の眸は怜悧に煌めいている。ロボットが短い石段を下り、舗道へ出そうになったのを小走りに追いかけ、回れ右を指示する。的確な操作に、ラグは感心した。


「ミック!」


 澄んだ声に、二人は玄関を振り向いた。銀髪の長身の男と並んで、優美な細身の女性が立っている。ミッキーの母親だ。息子の姿がみえないのを訝しんだらしい。少年が階段の下から背伸びして手を振ると、ほっと頬をゆるめた。

『今紀はウィルマか……』と、ラグは思った。


 初代の 《古老チーフ》 のひとりは、ウィリアムという名前だ。かれの記憶を継ぐ男性をウィルと呼び、女性をウィルマと呼んでいる(注*)。

 《ウィル》 はいつも、どちらの性でも美しい。初対面のときは、北ヨーロッパ系の彫りの深い顔立ちと金髪に、クスピア星人クスピアン系の長い手足をもつ男性だった。代を経た今では東アジア系の特徴が勝り、背は地球人テランとしてほどよい高さに落ち着き、雪白の肌に映える漆黒の髪と瞳が神秘的だ。

 息子が階段の下にひっこんだので、彼女はラグに向き直った。真っすぐな黒髪を揺らして首を傾け、こちらが何者であるかを探るまなざしに、ラグは会釈を返した。《ウィルマ》はにこりと微笑み、隣の彼の父に話しかけた。

 ラグは、父親モリスが彼女の腰に腕をまわすのを見届けると、遊んでいるミッキーへ視線を戻した。


 あれ?――と、思う。時系列がおかしい。

 俺とミッキーの年齢差は、五歳くらいだ。親父クイン達が計画を開始したのは俺が十五になる前だから、その時点では月にいなかったはず。ラグが《ウィルマ》を知っているのは、奇妙じゃないか。

 またか――そこまで考えて、ラグは口の中で舌打ちをした。混乱している。どこかで親父モリスの記憶が混じったのだろう。それとも、十数人目のラグの記憶か……。


 タイム・パラドックスの起点=終点に在るラグにとって、困るのはこういう現象だった。数十人の《クイン》の記憶が共存するのは仕方がない。登場人物の多い映画を観るようなもので、互いに混じることはない。しかし、祖先である彼等の行動によって時空が分岐し、その度に自己のアイデンティティが書き換えられるのは、かなわないと思う。


 ラグは、《古老》計画が始まった時点ではクイン・グレーヴスの息子であり、その後モリスの息子となり、やがて遺伝子的な複製コピーとなった。母親の存在は、消えたり現れたりした……今紀では、最初からいなかったことになっている。記憶だけでなく、周囲の人間の在り方まで変わってしまうのだ。

 慣れると分かってはいるが、その度に相矛盾する記憶の断片には、戸惑ってしまう。



 ウィルマはモリスと挨拶を交わすと、ヒールの音を軽く響かせてやってきた。ラグの傍らを過ぎ、息子に声をかける。彼女とすれ違う際、甘い花のような香りがした。


「ミック、帰るわよ」

「はあい」


 ミッキーは素直にうなずき、階段に置いていた緑色のデイ・バッグにロボットをしまいこんだ。バッグを背負い、母と片手をつなぐと、ラグに向かってもう一方の手を振った。


「ばいばい」

「おう、またな」


 ラグが片手を挙げると、少年は華やかに笑って踵を返した。ウィルマはモリスを見遣って微笑んだ。――充分に親しみのこもった仕草だ。

 モリスは門柱に寄りかかり、咥え煙草で母子を見送った。ラグは彼と並んで立ち、腋を小突いた。


「まさか、弟ってことはないよな?」

「安心しろ。前の配偶者との子どもだ」


 念のために訊いたのだが、モリスはさらりと答えた。ダイアナ・ステーション方面へと歩いていく二人を見送りながら、


「連合軍の戦士トループスだったそうだ。第一軍の」

「そうか……」


 死別か離婚かなどと無粋なことを訊く気はなかった。どちらも珍しくはない。二人の姿が見えなくなっても佇んでいる、モリスの方が気になった。


「……嬉しそうだな?」

「それはな」


 ふふん、と火の点いていない煙草の先を揺らした。


「毎世代、会えるわけじゃないからな。俺たちは、いつ消えてもおかしくないんだ」


 あいつが 《ウィル》 でいてくれたことが嬉しい。――モリスの言葉に、ラグはその時は、強い感銘は受けなかった。そんなものか、と思う。

 ウィルマが美人なのが嬉しいのではないかと思ったが、そちらは冗談では済まなかった。


 ミッキーの母親は、地球連邦の宇宙港でオペレーターとして働いていた。自宅は地球にあり、月のドーム都市と往復する日々。ダイアナ・シティの執政官・スティーヴンの家にモリスが滞在している間、彼女は息子を連れて会いに来てくれた。月に一度が毎週になるのに、時間はかからなかった。

 ラグは、二人が会っている間、ミッキーと遊んだ。ミッキーはひとり遊びに慣れているらしく、子ども向けのロボットを組み立てたり、AIのプログラミングをしたりして、静かに過ごすことが多かった。簡単なお菓子なら自分で作れた。手先が器用で、細かい作業を集中してするのが好きらしい。

 この調子なら、義理の兄弟になるのも遠い話ではなさそうだ。そう考えていた矢先だった。


 ウィルマが亡くなった。



               ◇



 モリスは眠っているミッキーを抱いて病院から出て来た。待ち構えていたラグは、小さな友の姿に息を呑んだ。ミッキーの黒髪は、自分達と同じ銀色に染まっていたのだ。

 少年を風圧制動自動車エア・カーの後部座席に寝かせ、モリスは車を発進させた。ラグはナヴィゲーター・シートに坐り、撃ち落とされた小鳥のように力なく蒼ざめているミッキーを見守りながら訊ねた。


「自死、だって?」


 モリスは前方を見据えたまま、眉間に皺を刻んだ。車は自動オートで進んでいる。厳格な横顔を見詰め、ラグは声をひそめた。


「どうして……?」


 問い詰める勢いは、急速に萎えていった。モリスがぎりっと奥歯を噛み鳴らし、頭を振ったからだ。そんなことがなくとも、答えは己の内に存在している。

 《ウィル》は過去、数人が自死を遂げている(それでも記憶と能力を継いできた、使命感には感服する)。《クイン》も、また。複数の人生と膨大な記憶をかかえて生きる彼等のかたわらには、常に虚無がくらい口を開けている。

 小さな子どもがいるのに何故、ではなく……ミッキーがいても、彼女を留められなかった。絶望の誘惑の強さに戦慄を覚えた。

『……ちょっと待て』


「まさか。ミッキーは、まだ五歳だぞ?」

「そうだ。負担が大きい」


 モリスは相棒ラグを横目で見遣り、ぼそりと応えた。ともすれば闇へとひきずりこまれる思考を、目前の問題につなげようと努力する。


「落ち着くまで、うちで預かろう。それから、どうするか、考えないとな……」







――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

(注*)ウィルマ: 男性名「ウィル」「ビル」等は、William(ウィリアム)の短縮形・愛称です。女性名になると「ウィラ」「ウィルマ」などとなります。

 ちなみに、「クィン」は、Quentin(クェンティン)の短縮形です。

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