Part.5 Thursday Midnight Lovers(5)


        5


 何度目かの悪夢の後に瞼を開けたミッキーは、灰色のかすみのかかった視界に人影を見つけた。


『リサ?』


 髪の長い女性だということは判ったが、幻影のようだった。身体が他人のもののように重く、右肩がしびれている。――肩? 

 思い出して、ミッキーは瞬きをした。それから、眼をみはった。息を呑む。

 何という、髪だ……。

 そして、何という肌だろう。薄暗い部屋の中で、彼女だけが光を放っているようだった。彼女の身体が。


 真珠色の肌を濃紺のタイト・ドレスに包み、まっすぐ彼を見詰める視線は穏やかだが、恐ろしいほどの威厳があった。極楽鳥が羽をひろげても、これほど気を呑まれることはないと思われる。

 いつも冷静なミッキーの批判的な眼をもってしても、彼女は桁外れの美人だった。悪いとは思うが、リサなど遠く及びそうにない。何と言っても、その身にまとった雰囲気が違うのだ。びりびりと微妙な刺激を与えるオーラのようなものだった。美女が千人集まっても、一目で見分けがつくだろう。

 白い肌はねっとりと視線に絡みついてくるようで、かつ清らかだ。背筋をぞっとさせるほどきめ細かくありながら、どこかファンタスティックな雰囲気がある。不吉な妖しさではなく、清廉な天女のようなイメージだ。


 否――と、ミッキーは訂正した。天女ではない。彼女は、女神だ……。


 青い髪は星を散りばめたように輝きつつ、彼女の肩から胸元へ、背を流れ、細い腰をおおって膝頭にまで達している。さながら宇宙を背後へ従えているようだ。銀河をもってしても、この光り輝く美しさには及ばないかもしれない。

 ミッキーはゾクゾクした。彼女の目――誇り高い双眸から、目を離せない。綺麗に二重になった瞼をふちどるのは、やはりけぶるように青い睫だ。地球色の瞳には、蠱惑的こわくてきな光が宿っている。

 彼女はミッキーをゆっくり眺めると、艶やかなピンクの唇に微笑を浮かべた。


「目が醒めた?」


 若い娘にしては落ち着いた声だった。首を軽く傾げる。


「今、ラグを呼んで来るわ。待ってて」

「……よお。気がついたか」


 彼女が立つのと同時に、のほほんとした男の声が降って来た。開いたままのドアから彼が入って来たので、ミッキーは自分の状況を把握した。

 そうだ。おれは昨夜、この男の所に逃げこんだのだ。レナと一緒に……。

 ミッキーは、自分の左腕に点滴が繋がれていることに気がついた。

 青い髪の美女が、ほっとした口調でラグに話し掛ける。


「ラグ」

「ご苦労さん、Ladyレイディ.タカヒロが食事を作って待っている。食べて行くといい」

「ええ。そうさせてもらうわ」


 そう言うと、美女は欠伸を噛み殺した。すらりとした両腕を挙げ、思い切り背を伸ばす。仔猫のように無防備な仕草を、ミッキーはぽかんと、ラグは苦笑して眺めていた。


「んん~、徹夜明けは辛いわね。あたしは休ませてもらうけど、ラグも、ちゃんと寝なくちゃ駄目よ」

「ああ」

「じゃあね、ラグ。ミッキー、またね」


 銀髪の男の頬に親愛をこめてキスすると、彼女は微笑して、ミッキーにひらひら手を振った。体重が無いかのごとく軽やかに身を翻し、部屋を出て行く。滝のような髪がついて行くのを、ミッキーは呆然と見送った。



 ラグは、彼に何を話すか決めかねていた。

 ミッキーの方は、話したいことが沢山あった。訊きたいことがありすぎて、やはり言葉がみつからない。


「心配しなくても、レナなら、そこに居る」


 やがて彼の心配事に気づき、ラグは顎を動かした。仕草の先を見遣ったミッキーは、壁際の簡易ベッドの上で眠っているレナをみつけた。


「傷一つ、ついていないから、安心しろ」

「そうか……」


 ミッキーは安堵して息を吐いた。

 ラグはシャツのポケットから煙草を取り出した。ようやく、彼流の皮肉が出てきた。


「血まみれの男に夜這よばいをかけられたのは、初めてだ」

「…………」

「《VENAヴェナ》 に感謝するんだな。俺とタカヒロは、創傷治癒ヒーリングが苦手なんだ。ライが来てくれなければ、お前の腕を切り落とさなければならなかった」


 ミッキーは改めて自分の身体を確認した。上半身裸の右肩には、包帯が巻かれている。左掌の傷は治っている。真新しいピンク色の皮膚に感心して指を閉じたり開いたりしていると、ラグが長身を揺らして近づいた。


「麻酔が効いているから判らないだろうが、神経も血管もちゃんと繋がっているから、安心しろ。薬が飲めるか?」

「ああ。……すまない。何と礼を言えばいいか」

「造血ホルモン製剤をんでおいた方がいい」


 ラグはミッキーの言葉を肩をすくめて聞き流し、彼の左掌に数個の白いカプセルを落とした。台詞とともに、火の点いていない煙草の先が揺れる。


「生憎、輸血用の血液は置いていない。一応、G-CSF(顆粒球コロニー刺激因子)とエリスロポエチン(赤血球増殖因子)は打っておいたが、絶体量が足りない……。出血性ショックを起こしていても不思議じゃないんだ。大人しく寝ていろ」

「ああ」


 そう言えば、こいつは医師だったな。渡されたカプセルを水無しで飲み込みながら、ミッキーは思い出した。Aクラスのパイロット・ライセンスを取得するには、医師の資格が必要なのだ。連合宇宙軍に加わって戦場に行くこの船に、医療器具が揃っていても不思議ではない。

 不思議なのは――意外だったのは、この男がこまやかに自分の身を案じてくれていることだった。殺されても顔色を変えないだろうと思っていたのに。

 そんなミッキーの考えを知ってか知らずか、ラグは苦々しく唇を歪めて横を向いた。


「お前に死なれると、泣く女が一人や二人じゃないからな……。俺は、女に恨まれるのは、ごめんだ」


 ミッキーは軽く苦笑した。ラグは彼から少し離れて立ち、煙草に火を点けた。

 ミッキーは、気を取り直して話しかけた。


「彼女が 《VENA》 なのか」

「ああ。お前は、会うのは初めてだな」

「彼女は――」


「ミッキー」


 ミッキーが言葉を探していると、聞き慣れた男の声がした。鷹弘が、片手に水の入ったグラスを持ち、心配顔で近づいていた。


「ミッキー、気づいたか。良かった……」


 鷹弘は、ミッキーの傷ついた肩と点滴の管を器用によけて腕をひろげ、水をこぼさないようにしながら彼をちょっと抱きしめた。ミッキーは親友の広い肩越しに、Aクラス・パイロットが天を仰ぎ 「泣く野郎もいたか」 とぼやくのをみつけた。

 鷹弘はミッキーから離れると、彼にグラスを渡して微笑んだ。


「鷹弘。どうして、お前がここに居るんだ?」

「俺は、こいつの相棒だからな。仕事が一緒の時には、大抵、この船に乗せて貰っている。……大丈夫か、ミッキー。本当に死んでしまうかと思ったぞ」

「ああ。お前にも、世話を掛けたな」


 鷹弘は、先程まで 《VENA》 が座っていた椅子に腰掛けて、水を飲むミッキーを温かく眺めた。その背にラグが声をかける。


「《VENA》 は、もう帰ったのか? タカヒロ」

「ああ。飯を食って、さっき帰って行った。疲れたから寝ると言っていた。お前も、コーヒーでも飲んで来たらどうだ? ラグ」

「……その前に、話すことがあるだろう」


 ラグはミッキーを見て呟き、煙を吐いた。胸の前で腕を組み、重心を片方の脚にかける。


 ミッキーは、グラスに視線を落として考えた。それから、眠っている赤毛の少女を見遣り、囁き声で訊ねた。


「あのが 《VENA》 ならば、彼女は……。レナは、何だ?」

「《LENA・F56》 は――」

 ラグは、諦めたように肩をすくめた。

「シンク・タンクNo.42で、人工授精によって創られたラウル星人ラウリアンだ。ESPの制御能力がない為に、大脳皮質にコンピューターを埋め込んでいる」


 ラグの台詞に、鷹弘は「え?」と口を開けてレナを観たが、声は出さなかった。

 ミッキーは、咥え煙草の男を見上げた。


「彼女は、おれを救けてくれた。コンピューターがそんなことをするのか? 最初はターナー達の所へ戻ろうとした。けれど、おれをここまで連れて来てくれた」

「……お前が何を言おうとしているのか、判らないことはないが」


 ラグは低く囁いた。サングラスを掛けていない黒い瞳が、用心深くミッキーのかおを映している。

「レナに自分の意志や感情を期待しているのなら、それは誤解だ。彼女は、七年前に大脳皮質除去術ロベクトミーを施行されている。そうしなければ、生きられなかった」

「どうして……。」

「能力があるからと言って、全ての人間が超感覚能力者E S P E Rでいられるわけじゃない」


 ミッキーは彼女を救けたかった。きっと、すがりつくような表情をしていたのだろう。ラグは苦い口調になった。


「お前なら判るだろう、ミッキー。ラウル星人ラウリアンは、生まれつき超感覚能力E S Pを持っている。だが、そのコントロールは、生まれつき出来るわけじゃない。親が、周囲の人間が教えて、訓練して、可能になる」

「…………」

「人間の赤ん坊が、周りの会話を聴いて言葉を覚えるのと同じだ……。そのことを地球人テランが知ったのは、レナを創った時だった。レナが自分の能力で自我を破壊してから、初めて問題に気づいた」

「…………」

「レナを創った連中は、なんとか彼女を助けようとした。いくつか方法を試みたが、結局、彼女の意思を殺してしまうしか方法がなかった」


 ミッキーは声を失った。鷹弘も、痛ましげにレナを眺めている。二人の反応を予想していたラグは、煙草を噛み潰した。

 鷹弘が、ミッキーの代わりに訊いた。


「治すことは出来ないのか?」

「無理を言うな」


 ラグは、左手で首の後ろを掻いてかぶりを振った。


「レナの前頭葉と側頭葉の皮質は削り取られている。コンピューターを外せば、動けなくなるだけだ」

「……どうして」


 今度は、ミッキーが口を開いた。ラグは、真摯な黒い瞳に正面から向き合った。

 ミッキーは、慎重に訊ねた。


「どうして、ドウエル教授やターナーは、そんなことをしたんだ? その……よく知りもしないのに、ラウル星人を創ることを」

「お前は、あの 《VENA》 が一朝一夕いっちょういっせきに出来たと思うか? ミッキー」


 ラグはゆらりと重心を移動させ、煙と同時に言葉を吐いた。声は遠雷のようだった。


「VENAプロジェクトが始まった時――人工的にラウル星人ラウリアンを創る計画が始動した時、地球人テランの科学者にとって、連中は全く未知の生物だった」


 ラグは二人から視線を逸らした。ありもしない石を蹴るかのごとく足を踏む。

 鷹弘とミッキーは、黙って彼の話を聴いていた。


「DNAの段階から未知の生物を創りだす計画なのに、そもそも何故連中の生殖能が落ちたのか、当のラウル星人ラウリアンにすら判っていない状況だった……。倫道教授のシンク・タンクNo.55だけじゃない。ドウエル教授のNo.42を始め、幾つもの研究室ラボが連中の研究を開始した。絶滅を防ぐため、急を要していた」


 ミッキーは、ラグの横顔を見詰めた。彫像のように端正な顔が、ふいに深い悲しみに耐えているように思われた。


「人工授精も、研究の一つだった。何故、健康な両親から生れたはずの受精卵が育たないのか……胚の段階で発生が止まってしまうのか。何かが足りないのか、或いは、邪魔をしているものがあるのか……。調べるために、複数のキメラを合成した」

「…………」

「地球の生物なら、科学者達は扱い慣れているからな。そうやって 《SHIOシオ》 と 《MAOマオ》 は創られた。ラウル星人の遺伝子と発生上の異常を調べる為に、キメラ達を必要とした。レナを教訓にして、《VENAヴェナ》 は、ルネ達ラウル星人ラウリアンの家族に育てられた。……シンク・タンクNo.42にいたのは、言わば 《VENA》 のプロトタイプ、完成までに創られただ」


 ラグはミッキーを振り向いた。蒼白く凍りついた彼の面を見て、暗鬱に嗤った。


「……納得していないようだな、坊主」

「するわけがないだろう」


 ミッキーは言い返した。レナを起こさないよう圧しころしたが、低い声は怒気を帯びた。


「納得できるはずがない、ラグ。それは、生命に対する冒涜ぼうとくだぞ……。許されるのか」

「ああ。お前なら、そう言うだろうな、ミッキー。大多数の人間は。だから――判らないか? ラウル星人なんだ」

「どういう意味だ?」


 ミッキーは、きりりと片方の眉を跳ね上げた。鷹弘も眉間に皺を寄せている。

 ラグは、煙草を手に持って続けた。


「二十世紀から二十二世紀にかけて、地球人テランは同じことをやって来た。地球上の生物に対して。――太古から。ヒトにとって有用な種となるようDNAを編集し、混血ハイブリッドを合成して繁殖させた。環境の悪化から絶滅に瀕した生物種を、人工授精で殖やし、DNAを解読して保存した。遺伝子の多様性を守るために」

「…………」

「だが、地球人テランは地球人に対して、個体レベルの遺伝子操作を行えない。同族には禁じられているからだ。ラウル星人ラウリアンにとってもそうだった」

「…………」

「同族の生命を変える行為は、連中にとっても禁忌だ。……だから、連中は地球人に託した。自分達の遺伝子の問題を修正して、種を《再生》することを。藁にもすがる気持ちでいたとしても、俺は不思議に思わないがな」


 ミッキーと鷹弘は、互いの顔を見た。もとより鷹弘に相棒の意見に反するところはなかったのだが、ミッキーの瞳に、ラグの話を理解した故の悲哀をみつけ、安堵した。

 ミッキーは項垂れた。ラグのせいでないことは充分理解していたのだが、それでも彼を見ることは苦しかった。

 レナは平和に眠り続けている。その姿を眺め、ミッキーは眼を伏せた。彼女や 《VENA》 に、そんな大変な背景があるとは想像していなかった。――彼女が憐れで、呟いた。


「何故、レナはおれを助けてくれたんだろう?」


 ラグは軽く首を傾げた。


「あの時、レナは自分の意志でそうしているように見えたんだ……。そう、言っていた」

「インプットされたからだろう」


 ラグは飄々ひょうひょうと肩をすくめた。鷹弘が、咎めるように相棒を見る。それに憮然とした視線を返し、ラグは煙草を咥えなおした。


「アシモフのロボット三原則がある……。レナのコンピューターは、細かい条件付けがされていない。ターナーが命じたのでなければ、誰かがインプットしたんだろう」

「え?」

「……『ロボットは、人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、危害を加えてはならない』」


 ミッキーは、ちょっと茫然とした気分でラグを見上げた。それは彼にとって重大な意味を持っていると、この男が知るはずはなかった。

 ラグはぼりぼり頭を掻き、かなり面倒そうに言った。


「それとも。が手を貸したかだ、史織シオ……。いい加減に、出て来たらどうだ」


 え? と、鷹弘とミッキーは、そろって眼を見開いた。ラグの視線の先で眠るレナに、向き直る。

 ラグは、ぞんざいに呼びかけた。


「出て来い。いつまで俺に説明させる気だ。俺は疲れた。自分で説明しろ」


 彼が言い終えた途端、レナの身体が明るいオレンジ色の光に包まれた。それは彼女の胸に集まり、ぼんやりと輝く光の円盤になって貼り着いた。

 鷹弘が息を呑んで立ち上がる。ミッキーも是非そうしたかったが、ベッドの上で眼を瞠っているしかなかった。

 ラグは苦虫を噛み潰している。


 突然、レナの胸から、ぬうっと白い腕が突き出した。続いて、もう一本。彼女の身体を押さえ、伸びをするような仕草で頭を持ち上げる。イリスより濃い若草色の長髪が、ばさっと打ち払われた。鋭いツメを生やした獣の脚が、簡易ベッドを蹴って床に降り立つ。

 呆気にとられる鷹弘とミッキーから、ラグに視線を移し――《SHIOシオ》 は、黄金の瞳を煌めかせて嗤った。





~Part.6へ~

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