Part.4 Wednesday Evening Wanderers(2)


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「ラグ、聞こえるか?」


 《VOYAGERボイジャー号》 に入ったわたし達は、真っすぐコクピットへ通された。《DONドン・ SPICERスパイサー号》 よりも広い、白い部屋だ。

 皆川さんは通信士用の椅子に座り、小型のモニターを見上げていた。遠慮気味に入ってきたわたし達に、身振りで椅子を勧める。彼の頭上のモニターに、船外で活動しているラグの姿が映っていた。

 ルネの船 《ドン・スパイサー号》 はスピード重視型のいかにも戦闘機だったけれど、《ボイジャー-E・L・U・O・Y号》 は実に美しい船だった。流線型の姿は、黒衣の貴婦人を連想させる。すんなり伸びた翼の付け根に、銀色のスペース・スーツに身を包んだ人物がいて、作業していた。

 皆川さんは、もう一度呼んだ。


「ラグ?」

『……聞こえている。起きたのか、タカヒロ』

「ああ。倫道りんどうちゃんとフィーンが来ているぞ」

『お姫様が?』


 鮮明な声だった。冷静な口調とともにモニターが切り替わり、ゴーグルとヘルメットをかぶった彼の顔が映し出される。皆川さんはわたし達に、片方の眼を閉じてみせた。

 フィーンが小声で訊ねる。


「何をしているんです?」

「レーダーの修理だ。昨夜、ちいさな塵がぶつかったらしい。大抵のことは船内から操作出来るんだが、細かいところはどうしても、な」


 どこからカメラが映しているのかは判らない。モニターのラグは、作業を続けながら言った。


『どうした。遊びに来たわけじゃないんだろう?』


 皆川さんに促されたわたしは、通信機の前に立ち、声をかけた。


「あの、ラグ。ミッキーと連絡がとれないの。もう二日も」


 フィーンが、わたしの肩越しに付け加えた。


「それに、《REDレッド・ MOONムーン》に入れません。調べられるだけは調べましたが、お手上げです。正攻法では無理なので、力を貸して欲しいんです」


 ラグは黙々と作業を続けている。皆川さんが代わりに訊いた。


「二日? すると、倫道ちゃんが最初にここへ来た日から? 帰っていないのか?」

「ええ」

「心配する程ではないと、お思いですか?」


 フィーンの問いに、皆川さんは、なんとも言えない複雑な表情になって首を傾げた。ラグが声をかけてくる。


『タカヒロ』

「何だ?」

『終わった。これでいいと思うが、確認してくれ。……小僧、お姫様。少し待っていろ。すぐ戻る』

「了解。……大丈夫だ、ラグ。戻っていいぞ」


 皆川さんの返事に、彼が軽く片手を挙げる。モニターが消え、ラグの姿は見えなくなった。



 皆川さんはぐるっと椅子を回してこちらを向き、胸の前で太い腕を組んだ。落ち着いた声で問う。


「ラグなら、二日どころか二、三ヶ月音信不通になっても不思議じゃないが、ミッキーの性格を考えると、確かに変だよなあ。行く先は言っていなかったのかい?」

「《REDレッド・ MOONムーン》 しか、心当たりがないんです」


 わたしの返事に、皆川さんは眉根を寄せた。


「《レッド・ムーン》……シンク・タンク No.42に?」

「ええ。あそこで事件が始まったのだから、調べてみないといけないだろうって――」

「それは、ないだろう」


 明瞭に皆川さんは否定した。フィーンが勝気な眼を瞬かせる。


「どうして、そう思われるんです?」

「俺が行ってきたところだからな。俺が入れなかったのに、ミッキーが入れてもらえる理由がない」

「でも……」


 背後で、ドアの開く軽い音がした。振り向くと、銀色のスペース・スーツを着たラグが、ちょうど入ってきたところだった。長身のラグは、そういう格好をすると、ますます大きく見える。

 一見薄いスペース・スーツは、体温を保つため二重構造になっている。首から足の先までひと繋ぎになったスーツの胸元を開け、ヘルメットを脱ぎながら、彼は胡散臭そうにわたし達を見下ろした。

 皆川さんは、改めてわたしに訊ねた。


「倫道ちゃんは、ミッキーが 《レッド・ムーン》 に居ると思っているんだな。連中に捕まったと?」

「そうです……」

「だから。それはないだろうって」


「どうして、そう思うんです?」


 否定する皆川さんに、フィーンが食い下がる。

 ラグがゴーグルを外すと、鮮やかな緑色の瞳が見えた。彼は襟の中に入った銀髪を暑苦しそうに引っ張り出し、ぶっきらぼうに言った。


「小僧、少しは自分で考えろ。馬鹿でも判る」

「ばかって――」


「お前、その言い方は乱暴だ。ラグ」


 憮然とするフィーンをかばって、皆川さんが窘めた。

 ラグはつかつかとコンソールに近づくと、パイロット・シートの上にヘルメットとゴーグルを置き、無造作に髪をまとめた。はだけたスーツの胸元から、汗ばんだ素肌が見える。

 愛想のない相棒の代わりに、皆川さんが説明してくれた。


「フィーン、倫道ちゃん。シンク・タンクNo.42から『あるモノ』を盗み出してフィーンを倒した連中が、そのままあそこにいたら、逃げ場がないだろう?」


 わたしとフィーンは顔を見合わせた。ラグはコンソールに腰を下ろし、スーツの襟を引っ張って、ぱたぱた自分を扇いでいる。

 納得しきれていないわたし達に、皆川さんは辛抱づよく続けた。


「《レッド・ムーン》 は、真空に浮かんだ密室なんだ。隠れることは出来ても、逃げ出すことは困難だ。俺達が宇宙港を封鎖したら、どうなる?」


 あ……。


 ラグは煙草に火を点け、付け加えた。


「あそこは月と違い、一般人が自由に入れるところじゃない。入る者も出て行く者も、逐一チェックされている。……ドウエル教授が隠れても、すぐに判る」

「ドウエル教授?」


 フィーンは聞きなれない人名をくりかえし、反論した。


「ミッキー先輩なら、こっそり入ることだって出来るんじゃないですか?」

「小僧」


 ラグは唇を歪めた。紫煙を吐き、皮肉たっぷりに訊き返す。


「お前なら、どうやってあそこに入る?」

「え?」


「ミッキーは宇宙船を持っていないわ、フィーン」


 わたしが言うと、途端にフィーンは『しまった』という顔になった。ラグが、フッと息を抜く。

 皆川さんはわたしに頷き、舌打ちするフィーンに言った。


「倫道ちゃんの言う通りだ、フィーン。宇宙船に乗らずにあそこに行くことは出来ないから、ミッキーには、入ることは不可能だ。だから、お前もここに来たんだろう?」

「それは、そうですが……。でも、そうすると、先輩を探す手がかりがまるで無くなってしまう」


 フィーンの言う通りだった。《レッド・ムーン》 の他に、ミッキーが出かけて行く心当たりが、わたし達にはない。

 わたし達が項垂れたので、皆川さんは、取り成すようにラグを見上げた。


「ラグ。ミッキーが行きそうな場所を知らないか? ドウエル教授が隠れていそうなところでも、いい」

「……知っていれば、俺がここでじっとしていると思うのか」


 ラグはやや不機嫌に言い返した。それもそうよね……。

 皆川さんは溜め息をのみ、肩をすくめた。


「お前でも、判らないことがあるか」

「当たり前だ」

「いや、気を悪くするな。何となく、お前は何でも知っている気がしたんだ」


 皆川さんは、わたし達に目配せをした。あ……と思う。彼は、わたし達の為に訊いてくれているのだ。


「お前に言われると心外だな、タカヒロ。そんなに老けたジジイに見えるか?」

「ああ。お前、俺より年下だっけ?」

「失礼な……。何でも知っているなら、パイロットなんか辞めて新興宗教でもやっている」

「その方が絶対に儲かるな。今からでも遅くない、転職するか?」

「あのな……」


 フィーンがわらった。わたしも思わず苦笑する。何故だろう、面倒そうなラグと軽口を叩く皆川さん、二人の会話を聴いていると、ほっとした。おそらく、いつもこんな風な掛け合いをしながら、困難を乗り越えてきたのだろう。

 皆川さんは自分の煙草を取り出し、火を点けた。ふうーっと煙を吐いて、にやりと笑う。


「ミッキーのことは、なんだから。何とかしろよ、ラグ」

「簡単に言うな」


 『タイタンの英雄』にこんな風に言える人も、珍しいかもしれない。ラグは苦虫を噛み潰したような表情になった。


「……ミッキー先輩はいないかもしれませんが、シンク・タンクNo.42に入れませんか? もう一度あそこに行けば、僕の記憶が戻るかもしれないと思うんです」


 それまで黙っていたフィーンがこう言って、ラグと皆川さんの注意を引いた。皆川さんはラグを見上げ、ラグは黙ってフィーンを見下ろした。

 フィーンは決まり悪そうに、後ろ頭に片手をあてた。


「あそこでPsychoサイコ・ Attackアタックを受けた所為で、僕の記憶は飛んでしまいました。あの場所に行くことで、少しでも何か思い出せればいいんですけど――」


『そんなことをしたら、フィーンが危険じゃない?』と、わたしは思った。

 困惑した表情になる皆川さんを、今度はラグが人の悪い苦笑を浮かべて眺めた。


「タカヒロ」

「ああ……判ってる」

「これは、教えなかっただからな。何とかしろよ」


 ラグは吸い終えた煙草をダスト・シュートに放り込み、ズボンのポケットから新しい煙草を取り出した。話の成り行きを面白がっているような態度で、火を点ける。

 皆川さんは、きょとんとしているフィーンに向き直り、言いにくそうに切り出した。


「……あのな、フィーン」

「何ですか?」

「そのう……お前、自分の記憶が消えたのは、サイコ・アタックを受けたせいだと思っている……ん、だよな?」


 フィーンの頬が、みるみるうちに強張った。


「え……違うんですか? 先輩」

「いや。勿論、お前はサイコ・アタックを受けたせいで記憶が飛んでしまったんだが――そのう、すこし、違うんだ」

「どういう意味ですか?」

「……ラグ」


 皆川さんが説明に困ってラグを見上げたので、Aクラス・パイロットは口を開いた。人の悪い苦笑はそのまま、長い指に挟んだ煙草をゆらゆらと揺らす。


「仮に。俺がお前に、意識が飛ぶくらいの力でもって、サイコ・アタックをかけたとする」

「……はい」

「すると、確かにお前の記憶は無くなるが……同時に、お前は自分が誰であるかも判らなくなるだろうな」

「え……?」


 フィーンは青い眼を大きく見開いた。ラグから皆川さんへ視線を向ける。

 皆川さんは、申し訳なさそうに頷いた。


「どういうことです?」

「人間の意識を保つ中枢は、脳幹の網様体賦活系もうようたいふかつけいだ」


 ラグが勝手に説明を始めたので、フィーンはさらに眼を丸くした。

 ラグは煙草を挟んだ指を自分のこめかみに当て、淡々と続けた。


「そこに攻撃を加えれば意識は飛ぶし、記憶は消える。だが、綺麗に『その時間帯』の記憶だけを消すことは難しい。まして、物理的な攻撃でないサイコ・アタックの場合、目的の記憶だけを消して後に何も障害を残さないなんてことは、至難の技だ」

「…………」

「手っ取り早く記憶を消すならPKサイコキネス(念動力)を使えばいいが、海馬や側頭葉といった記憶の中枢は脳の中でも繊細で、PKだと傷が残る……。Immediateイミーディエイト・ memoryメモリー(即時記憶)や Recentリーセント・ memoryメモリー(近時記憶)の障害が残りかねない」

「…………」

「お前を攻撃した相手は、そういう障害が残らないよう、、お前があそこに居た数時間の記憶だけをRecallリコール(再生)出来ないようにした。――要するに、封印ロックしたわけだ」


 ラグの言っていることの半分はわたし達にはよく判らなかったけれど、これだけは判った。

 つまり、サイコ・アタックのせいで記憶を失ったわけではなく、最初から、ある記憶を封じるために、フィーンにESPを使った……ってこと?


 わたしの問いに、ラグは頷いた。


「そうだ。それが一番安全で、確実な方法だ」


 嘲うように唇を歪めたラグの瞳は、何故か凄く暗かった。


「俺がそいつでも、そうするだろうな……」

「え。では……どういうことです?」


 フィーンは困惑して、ラグと皆川さんを交互に見た。強く眉根を寄せている。


「ロックって……。なら、あそこに行っても記憶は戻らない?」

「そうだ」


 ラグの代わりに、皆川さんが応えた。申し訳なさそうに頭を掻く。


「記憶を無くしたわけじゃないから、いつかは戻るだろうが、簡単なことではないな。ロックした本人が解かない限り、難しいと思う」


 フィーンは悔しそうに唇を噛んだ。


 それからしばらくの間、わたし達は、黙ってフィーンを見詰めていた。項垂れる彼に何と声を掛ければ良いか、思いつかない。

 これで、ミッキーを探す手がかりが、本当に無くなってしまったのよね……。


 どれくらい、そうしていただろう。コンソールの上で片胡座を組んでいたラグが、ゆっくり呟いた。


「……行ってみるか」


 わたしとフィーンは、面を上げた。

 ラグは吸い終えた煙草を灰皿に押し付け、独り言のように言った。


「《レッド・ムーン》に……。ミッキーの手がかりはないかもしれないが、今、あそこがどうなっているかは判るだろう」


 歪めた唇から、仕様のない、と言うような吐息がもれた。


「まったく、世話の焼ける坊やだ」


 皆川さんが、やや呆然と声をかけた。


「行くって、ラグ。この船でか?」

「他にあるか。手伝えよ、タカヒロ」

「ええ? 本気なのか」


 何故か引け腰な皆川さんを、ラグは、じろりと一瞥した。


「これが冗談を言っているように聴こえるのか。当然だろう。俺独りで、この二人の面倒をみろと言うのか」

「いや。俺は、その方がいい」

「何だと?」


 ラグは片方の眉を跳ね上げた。ますます不機嫌になる彼に、皆川さんはのんびり言い返した。


「俺に言わせれば、倫道ちゃんとフィーンの世話をしている方が、全然楽だ。お前の面倒をみるよりはな」

 ラグは地底から響くような声で言った。


「タカヒロ。そんなに《ボイジャー》を磨きたいのなら。今すぐ始めてもらっていいんだぜ」

「……遠慮しておくよ」





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