Part.2 Monday Morning Robots

Part.2 Monday Morning Robots(1)


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「ラグ・ド・グレーヴス! いらっしゃい!」


 わたしは彼に駆け寄った。ミッキーは、のんびりした歩調を変えずにやって来る。


「どうしたんです? こっちに来るなんて」

「急用が出来て、引き返して来たんだ。それより――」


 ラグは唇の端に長い煙草をぶら下げ、照れたように笑った。呆然としているアニーさんや子ども達の視線は、気に留めていない。


「ほれ、お姫様。参ったぜ。花束、なかなか売っていなくて」


 カウンターの隅に載せていたそれを差し出した。人の顔よりも大きな花束だ。真っ赤なバラと、カーネイションと……他にも名前を知らない花々に、たっぷりのカスミソウが白く輝いている。赤と白のコントラストが素晴らしい。


「これ……こんな大きな」

「どうやって持ってきたんだ?」


 ミッキーが呆れ声で訊ねる。ラグは、当然と言わんばかりに答えた。


「抱えて」


 まあ、それはそうなんだろうけれど。

 黒ずくめの服を着た長身のラグが巨大な花束を抱えて歩いているところを想像して、わたしは吹き出した。


「ありがとう、ラグ」


 笑いながら花束を受け取り、カスミソウに頬を寄せて御礼を言うと、彼は照れくさそうに視線をそらした。

 ミッキーは苦々しい。


「何しに来たんだよ、少佐」

「ご挨拶だな、坊主」


 白い牙のような歯を見せ、ラグは片方の眉を跳ね上げた。瞳は笑っている。


「そろそろハネムーンが終わった頃だと思ったから、顔を出してやったのに。ま、新婚生活を邪魔するんだ」

「よっぽどオツムがお目出度く出来ているらしいな。どうしてすぐに結婚なんて考えられるんだ」

「何?」


 サングラスの上に再び片方の眉があがった。わたしを見て、


「まだ?」

「結婚していないわ、ラグ」


 わたしが応えると、ラグは心底呆れた顔になった。素の口調でミッキーを咎める。


「何やってんだよ、お前」

「お前と一緒にするな」


 ラグが相手だと、どうしてミッキーはこんなに毒舌になるのだろう? 渋面のまま、吐き捨てるように言い返した。


「お前がどういう常識の持ち主か知らないが、月では未成年とは結婚できないんだよ」

「みせいねん?」


「十七歳になったわ……先週」


 わたしがはにかみながら答えると、ラグはぽかんと口を開け、やや大げさに頷いた。事情を理解したらしい。ミッキーは忌々し気だ。


「お前、用があったんじゃないのか?」

「なんだ。楽しみが減っちまったなア」


 しかし、ラグはミッキーの問いを聴いているのかいないのか、そ知らぬ風に呟いて、ぼりぼり頭を掻いた。ゆらりと重心を片方の脚に移し、カウンターに向き直る。


「そこのお嬢ちゃん」


 きょとんとしていた麻美ちゃんに声をかける。麻美ちゃんは背筋を伸ばした。


「はいっ?」

「今夜、ここに泊めてもらおうと思うんだが。部屋は空いているか?」

「あ。はい……お待ち下さい」

「って、おい」

「泊まって行くの? ラグ」

「ああ」


 ミッキーの抗議は完全に無視された。驚くわたしに、ラグはにやりと哂った。


「お姫様に早く会いたくて、ちょっと急いだら、船がオーバー・ヒートしちまった。宙港に預けて来たんだが、修理に一晩かかるらしい」

「あら」

「自分で直せばいいだろう、家みたいなもんなんだから」

「冷たいこと言うなよ、ミッキー」


 皮肉たっぷりなミッキーの声に、ラグは改めて彼を見下ろした。サングラス越しでも黒い瞳が悪戯っぽく笑っているのが判る(注*)。


「坊主、俺とお前の仲じゃないか」

「……いつから、そういう仲になった?」


 ラグの冗談は、どこまで本気か判らない。渋面を作るミッキーに、麻美ちゃんが後ろから声をかけた。


「部屋は沢山空いているわ、ミック。十一階の部屋も、禁煙で良ければ空いているけど」

「いや、そいつは遠慮しておく」


 ミッキーが口を開く前に、ラグが言った。麻美ちゃんに軽く片手を振って。


「煙草が吸えないなら酸素を吸うなと言われるくらい苦痛だ。これ以上坊主をからかって馬に蹴られるのも願い下げだからな……。待てよ、ミッキー」


 麻美ちゃんからカードキーを受け取り、ラグは踵を返した。先に立って、わたし達を促す。


「来い、二人とも。話は長いんだ。どうして俺が帰って来たのか、お前達にも関係がある」


 皆川さんの事といい――そうではないかと思っていた。わたしとミッキーは顔を見合わせた。ミッキーの瞳の中に、わたしと同じ表情を確認する。

 わたし達は、ラグの後について行った。



 食堂でも、わたし達は注目の的だった。勿論、ラグ・ド・グレーヴス少佐がだ。

 TVニュースで有名な『タイタンの英雄』を、知らない人はいない。二メートル近い長身に美事な銀の長髪をなびかせた彼に、目立つなと言うのは無理だろう。一般のお客さんが、通りすがりにこちらを観て行く。ミッキーの兄弟達も、仕事をしながらしきりに気にしていた。

 ラグは夕食のコース料理を平らげ、ワインと食後のコーヒーまで飲み終えてから、おもむろに話し始めた。


「タカヒロに会ったか? 一足先に月に来たはずだ。お前と連絡をとるよう話しておいたんだが」

「あ? ああ」


 それじゃあ、今日会えたのは偶然ではなかったの?

 ミッキーも意外だったらしい。


「フィーンの見舞いだと言っていたが……。なんだ。用があったのは、あいつの方だったのか?」

「いや。タカヒロは、まだ知らないはずだ」


 ラグはミッキーの応えに満足してわらった。煙草をポケットから取り出し、ちょっと考えてからいささか残念そうにしまいこむ。


「どういうことです?」

「訓練校の小僧には、警報機の役をしてもらう羽目になったな」


 わたしの問いに、ラグは肩をすくめた。

 小僧って……フィーンさんのこと? 


「こうなっては欲しくなかったが……。地球連邦のシンク・タンクから、昨日の未明、盗まれたものがある。そいつをお前に探して欲しい」

「ちょっと待てよ」


 ミッキーは不満げに遮った。


「何だよ、いきなり。それは依頼か? 鷹弘が、お前は緊急指令を受けて帰って来ると言っていた。そのことと、関係が?」

「いや。俺とタカヒロが呼ばれたのは、その為じゃあない」


 わたしとミッキーは、再度顔を見合わせた。どうも要領を得ない。


「《VENAヴェナ》 に何かありましたか?」


 ラグの方は、わたし達の反応を面白がっているらしい。わたしが訊ねると、愉快そうに右手をひらひらと振った。


「心配しなくても、《VENA》 はしているぜ。違う――俺達が呼ばれたのは連合軍の仕事だが、こいつは俺の個人的な依頼だ」

「回りくどい奴だな」


 ミッキーは珍しく苛立っていた。腕組みをして言い返す。


倫道りんどう教授と《VENA》 に関することでなく、どうしておれとリサに関わりがあるんだ。盗まれたものって、何なんだよ?」


 ラグは答えず、新しい煙草を口に咥えた。

 芳美ちゃんがやって来て、コーヒーのおかわりを注いでくれる。彼女がテーブルのそばを離れるのを待って、わたしは小声で問うた。


機密シークレット……なんですか?」


 ラグは表情を変えなかったけれど、それは肯定しているように思えた。サングラスを外している彼の切れ長の黒い眸を見詰め、わたしはさらに訊いた。


「父が貴方に《VENA》 を託したことと、関係が?」

「……俺がここへ来たのは、」


 ラグは正面からは答えなかった。唇の端で煙草を揺らし、皮肉っぽく哂った。


「ミッキー。連合軍の中央AI が、お前を選んだからだ。――お前達を。この件を解決するのに最も適した人物として、な」

「え?」


 わたしとミッキーは、お互いの顔を見た。どういうこと?

 ラグは、火を点けていない煙草を指先に挟んでテーブルの上に置き、弄んだ。どう説明しようかと考えている風情だ。ミッキーが改めて訊ねた。


「どういう意味だ?」

「コトが大きくなれば、軍はこの問題を片付ける為に、お前に召集をかけるだろう。ミッキー。そうなれば、俺達は手を出すわけにいかなくなる」

「…………」

「今ならば――大事に至る前に手を打てば。危険は伴うが、俺とタカヒロも支援できる。そういう意味だ」


 ラグの声は、いつか地を這うような低さにひそめられていた。わたしは不安になり、息を呑んでミッキーの横顔を顧みた。ミッキーは眉根に皺を寄せている。

 わたしは、おずおずと訊ねた。


「貴方が動くわけにはいかないんですか? ラグ」

「……戦争を起こしたいのなら」


 ラグは煙草を弄んでいた指を止めた。瞳はわらっておらず、暗い光を宿していた。


「俺とタカヒロが表立って動けば、連中を追い詰める。そうなれば、連中はトリガーを引きかねない。……倫道教授のような犠牲者が、また出るだろう」


 わたしは息を呑んだ。ミッキーの表情は、ぴくとも動かない。ラグは彼に向き直り、静かに続けた。


「今も、俺達が戻って来たことを連中は知っているはずだ。俺とタカヒロは、《VENA》 を守らなければならない。事情を知っていて、なおかつ自由に動ける人間は、お前だけなんだよ、ミッキー」

「……さっぱり判らないがな」


 ミッキーは肩をすくめ、諦めたふうに呟いた。

 ラグはふっとわらって椅子の背にもたれた。緊張した場の雰囲気が少し和らぐ。

 ミッキーは溜息をついた。


「I see. 引き受けるか、強制的に引っぱり出されるか、どちらかなんだな」

「そうだ」

「なら、お前が言う『事態』がややこしくなる前に手を付けた方がいい……。だが、本当に何が起こっているのか、見当もつかない。手がかりの一つももらえないのか?」


 ラグはにやりと嗤った。


「首謀者は、クラーク・ドウエル教授だ」

「…………」

「そう、推測している。お前達は二人とも、顔を知っているだろう?」

「ああ」


 わたし達がラグを探していた時、彼に会わせまいとしていた教授だわ。わたしとミッキーは顔を見合わせ、記憶を確認した。ミッキーの瞳には、怜悧な眼差しが戻っている。

 ラグはそんなわたし達を頼もしげに眺めた。


「年末、俺がお前達と会った直後、教授は仲間とともに姿を消している。地球連邦から離れ、自分達で手を打つつもりらしい」

「何をするつもりだ?」


 ラグはミッキーの問いには答えなかった。


「お前達は二人とも相手に顔を知られているが、仕方がない。……気をつけろよ。今度は連中は、邪魔者を排除することを躊躇わないだろう」

「…………」

「俺は、連合軍のセンターに、しばらく居座る予定だ」


 緊張しているわたしに、ラグは軽く微笑みかけた。


「タカヒロも、時々こっちへ顔を出させよう。困ったことがあれば連絡しろ。出来るだけ援助する」

「判った」


 ミッキーの返事を聞くと、ラグは満足したように頷き、冷めたコーヒーに口をつけた。

 ミッキーはもの言いたげに彼を見詰めている。その視線に気づいて、ラグは首を傾げた。


「何だ?」

「まだ、何を探すのか聴いていない」


 ラグは苦笑して、カップをソーサーに戻した。

 ミッキーは真剣に続けた。


「ラグ、教えてくれないか。《VENA》 が無事なら、ドウエル教授が盗んだものとは何だ? 銀河連合軍が探すほどの。教授はそれで何をしようとしている? 倫道教授を――」


 ちら、と、わたしを顧みて、ミッキーは声を潜めた。


「倫道教授を殺したのは、やはり、ドウエル教授なのか?」


 問題の核心を突くミッキーの問いに、ラグはすぐには答えなかった。椅子の背にもたれ、わたし達に横顔を向けて考える。やがて、根負けしたように肩をすくめた。


「まだ、ドウエル教授が盗んだかどうか、本当はわかっていないんだ。その可能性が高いので、教授とその一党を探している。地球連邦政府も、銀河連合も、俺達も……。危惧しているのは、連中が自暴自棄になって、盗んだ『それ』で『とんでもないこと』をしでかさないか、ということだ」

「…………」

「お前に探して欲しいものは、《VENA》 と同等かそれ以上の価値を持っている。俺達にとって。……これ以上は、今は言えない」

「判ったよ」


 ミッキーは頷いた。肩をすくめる。


「多少の不満は残るが、仕様がないな。やってみよう。で? お前や鷹弘と、どうやって連絡をとればいいんだ?」

「居場所が決まり次第、こちらから連絡するが――。お姫様が判るだろう」

「えっ?」


 ラグがいきなりこう言ったので、わたしは驚いた。


「わたしが?」


 彼は悪戯っぽいにやにや嗤いを浮かべた。


「明日から新学期なんだろ? あんたは」

「え、ええ。そうですけど」


 改めて訊かなくたって、わたしの編入手続きをしてくれたのは、ラグとミッキーなのだけど。

 ラグはからかうように言った。


「月基地にいる間、俺が七回講義することになったんだ。面倒なことこの上ないが……。宇宙物理学の総論だ。頼むから、赤点(落第点)なんぞ取ってくれるなよ」

「……ええ!?」


 ラグが。このラグが、先生!?


 ラグは何食わぬ顔でコーヒーを口に運んだ。わたしは口をぱくぱくさせてしまう。ミッキーが、くっくっ笑い出した。

 ラグが、先生。しかも、わたしの大嫌いな、物理の――。あ。駄目。

 なんか、急に頭痛がしてきた……。







―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

(注*)ラグの瞳の色が黒かったり緑だったりするのは、彼の目の色が変化しているからで、間違いではありません。


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