Part.2 Monday Morning Robots(2)
2
「そんなに笑わなくたっていいじゃない」
「ああ、ごめん」
ラグとの話しを終え、二人で部屋に帰る間も、ミッキーはくすくす笑い続けていた。滑らかなテノールを小鳥のように喉の奥で転がせる。
わたしはエレベーター・ホールを出て廊下を歩きながら、唇を尖らせた。
「だって、あのラグが『先生』よ? ミッキーだって、びっくりしていたじゃない」
「ああ、驚いたよ。でも、考えてみれば不思議じゃないんだよな。あいつなら――科学者なんだし」
「どうしよう。わたし、物理が一番苦手なのに」
「そうなのかい?」
ミッキーは笑うけれど、わたしにとっては死活問題に等しかった。両手で頬を覆うわたしを、彼は微笑んで見下ろした。
「おれは物理が一番好きだけどね」
「信じられないわ」
111号室の前で立ち止まり、わたしは彼をねめつけた。
「あんなものが好きだなんて、人間じゃないわ。選りによってラグが『先生』だなんて」
「まあ、避けるわけにはいかないから。仕方がないよ」
なんて慰める口調でいいながら、ミッキーの目は笑っているのよね。
「いいんじゃないかな。ラグなら判らないことがあれば気軽に質問出来るだろう。おれは少し安心したよ」
「どうして?」
「あいつが学校にいるなら、きみも無茶はしないだろう?」
わたしは一瞬、言葉に詰まった。
「フィーンはあんな調子だし。今日のラグの話を聴いたら、きみがまた飛び出して行くんじゃないかと心配していたんだ。そう考えていたんだろう? どうせ」
あ、あは、あはははは……。
「笑ってごまかそうとしたって無駄だよ。何度も言うけれど、駄目だからね、今回は。大人しく学生していなさい」
「だって」
「だってじゃない」
「でも、ミッキー。ラグは、わたし達に依頼したのよ? 連合軍のAI がわたし達を選んだって。ミッキーだけでも、わたしだけでも駄目。二人揃っているのがBESTってことでしょう?」
「……リサ」
ミッキーは困って綺麗な眉を曇らせた。ここでのけ者にされては堪らないので、わたしは続けた。
「これはわたしへの依頼でもあるはずだわ。わたしとフィーンさんも無関係ではないのだもの。知らん振りをしていろなんて、ないわ」
ミッキーは黙った。晴れた夜空色の瞳を見上げて、わたしは続けた。
「これはわたしの問題よ――わたしとパパの。ねえ、ミッキー。本当に、クラーク・ドウエル教授がパパを殺したと考えている?」
「それは分からないな」
わたしが小声で訊ねたので、ミッキーも澄んだテノールをひそめた。
「考えてみたことはあるけれど、それにしては堂々と動きすぎている。真っ先に疑われる立場の人だろう? 地球連邦だって馬鹿じゃないから、教授の死因に疑いを持てば、調べるはずだ」
「そうか……そうよね」
わたしは、左手の親指の爪を噛んで頷いた。
ドウエル教授は、わたしがラグに会うのを妨害しようとした。もしかして、と思ったのだけど。
そうよね。ラグより地球連邦の方が、先に動いているはず。――と考えて、何かがひっかかった。
「ラグにはカマを賭けてみたけれど……。おれは、ドウエル教授がそれほど悪い人物だとは、実は思っていないんだ」
わたしの思考は、落ち着いたミッキーの言葉に遮られた。わたしは瞬きをくりかえした。
「え?」
「今回も。ラグが言うように、行き違いが――誤解があって、追い詰められた教授たちが思い余ってしたことかもしれない。だから、あいつは気を遣っているんじゃないかな」
「気を遣う?」
ミッキーは静かに頷いた。
「わざわざ自分でここまでやって来て、おれに依頼しただろう?」
あ。と思った。――そうよね。ラグなら、命令ひとつで宇宙軍を動かせる。
ミッキーは淡々と続けた。
「『表だって動けば、戦争になる』とラグは言った。そうしたくない事情があるから動けないんだろう……。おれは生憎きみほどあいつを信用していないし、お人好しだとも思っていないから、ドウエル教授を追い詰めるようなことを、実はラグが仕掛けたんじゃないかと考えている」
「ミッキー」
驚いた……。
ミッキーは神妙に頷いた。
「あいつは、こうなることを予測していたと思うんだ。倫道教授と《VENA》 が原因なのか――おれ達が関わったせいなのかは、判らないけれど。おれもフィーンも……もしかしたら、きみも、あいつの計画に最初から組み入れられているのかもしれない」
「考えすぎよ」
言いながら、背筋が寒くなるのを感じた。ミッキーがラグを信用していないなんて。……でも。
もし、本当に、彼が全てを承知しているのだとしたら――。
ミッキーは淡く苦笑した。
「だと、いいけどね」
……黒い瞳は
わたしは部屋の扉にもたれて考えた。ラグ・ド・グレーヴスという人のことを。
銀河連合宇宙軍のパイロット。コロニーの爆発事故から二万人の命を救った、『タイタンの英雄』。パパが信頼して《VENA》 を託した人だから――わたしを。悪い人だとは思いたくないし、今まで疑う理由もなかったのだけれど……。
考えてみれば、ミッキーよりもルネよりも、わたしは彼のことを知らない。どんな人で、普段は何をしているのか。パパがどうして《VENA》 を任せたのか。わたしもミッキーも、全然知らない。
わたしより遙かに慎重なミッキーが『信用出来ない』と言うのは、無理もないと思えた。
「判った……わ、ミッキー」
わたしは声に出して呟いた。ミッキーは怪訝そうに首を傾げた。
「何がだい?」
「ラグよ。彼が何を考えているか判らないから、ミッキーは信用出来ないんでしょ? なら、こうしましょう。ミッキーがドウエル教授とその盗まれた物を探す間に、わたしは学校でラグのことを調べるわ」
「え?」
思いがけないことを言われたように、彼は、ぱちくりと瞬きをくりかえした。
「わたしも、パパがラグに《VENA》 を任せた理由を知りたいわ。彼が月にいる間が、いい機会だと思う。《VENA》 とわたし達をどうするつもりなのか、調べてみる」
ミッキーの口が、ぽかんと開いた。呆れたように囁く。
「リサ。何も、そうと決まったわけじゃあないんだよ?」
「でも、ミッキーの言うことも全部が間違いじゃあないと思う。……ラグはきっと、パパを殺した犯人を知っているわ。パパが殺された理由を」
「…………」
「それをわたし達に教えるわけにいかないと言っていたわ。引き返せなくなるからって……。だけど、こんな風に次々事件が起こったら、引き返すも何もないでしょう。殺された人も、引き返せないんだから」
「…………」
「ミッキーはドウエル教授のことを調べて、ラグの依頼を果たして。わたしは、彼の考えを調べるわ。いいでしょう?」
ミッキーはしばらくの間、わたしを見詰めた。驚いたような、呆れたような、感心したような……それらが複雑に入り混じった表情で。やがて視線をそらし、小さく溜め息をついた。
「
「え?」
「何でもないよ。止めても無駄なんだろう?」
「ええ」
わたしが胸を張ると、彼は苦笑した。仕様がない、と言うように肩をすくめる。深い眼差しをわたしに当てて、
「約束だよ。危険なことはしないでくれ」
「勿論よ」
「それと、《
「え?」
驚いて、わたしはミッキーを見上げた。それは思ってもみなかったことなので。
彼は至って真面目だった。
「約束してくれ、リサ。何があっても、絶対に《レッド・ムーン》 へは行かないと」
「判った……わ」
穏やかだけど有無を言わせない口調に茫然としながら、わたしは頷いた。
「でも、どうして?」
「……ひとりで行ってみようなんて、考えていないだろうね?」
「思いつきもしなかったわ」
わたしが正直に言うと、ミッキーは明らかにほっとして溜め息をついた。黒い瞳にいつもの微笑が戻る。
「良かった。きみが《VENA》 に会いたがっているのは知っているし、全てのコトの中心はあそこだから……。直接調べたい気持ちはあるけれど、おれも躊躇している。安全と判るまでは近づいて欲しくないんだ」
「それは判るけれど……。危険なことが、あるかしら?」
おずおず訊き返すと、ミッキーは真顔で頷いた。
「倫道教授が殺されたと考えているのなら。あそこは、きみにとって敵地だ」
「…………」
「それに……フィーンがこの件に関わっているのなら、あそこには、
「……判ったわ」
わたしは頷いた。彼を安心させるように。
「約束するわ。決して危険なことはしないし、《レッド・ムーン》 にも行かない。これでいい?」
「ああ。とにかく、何か起きた時に、おれやラグが駆けつけられないような所へは行かないで欲しいんだ。『何か』が起きても困るんだけどね」
「判っているわ。でも、結局ミッキーもラグを当てにしているのね」
からかうと、彼は苦虫を噛み潰したような表情になった。
「今のところ頼れるのはあいつだけだから、そうあって欲しいと願うだけだよ……。ルネがいればいいんだけど。あいつなら、《VENA》 ときみを守ることに関しては無条件だからね」
「本当にね」
クリスマス・イヴの騒動を思い出し、わたしは微笑んだ。
《VENA》 の幼馴染で恋人のルネ。その縁で、パパを亡くしたわたしを助けてくれた。
《VENA》 のことになると一生懸命で、本当に彼女を大切に思っている人だけど、今は太陽系の外へ行っている。こればかりは、どうしようもない。
「ルネの分も頼りにしているから。よろしくね、ミッキー」
そっと囁くと、わたしは急に恥ずかしくなった。
ミッキーは、ふわりと微笑んだ。
「こちらこそ」
「…………」
あ。駄目だ。会話が途切れた途端、ミッキーも照れ臭くなってしまったらしい。言葉を探して視線を宙に漂わせた。
わたしは彼の顔をまともに見られなくなって、ドアの電子キーを探した。
「ええと、リサ。その――」
「あ、わたし、もう寝るね」
わたしは踵を返した。一瞬、驚いた顔になる、ミッキー。それから、ほっと哂った。
「ああ。そうだね」
「あした、早いから」
「うん。それがいいよ。……おやすみ」
「おやすみなさい」
わたし達は、何だか白々しい笑顔を交し、各々の部屋に入った。
はあ~。
わたしは部屋に入るなり緊張が解け、そのままベッドに倒れこんだ。うつ伏せて枕がわりの くじらのぬいぐるみ(注*)を抱きかかえる。
……駄目だ。ミッキーは優しくて紳士で、距離の詰めようがない。クリスマス・イヴのような事件が起これば別だけど、あれは、どう考えても例外よね。
『ミッキーは切り札なんだ。倫道教授にとってもそうだった。――君が守ってやってくれ』
皆川さんの言葉を想い出し、わたしはベッドの上に坐り直した。そういえば、あれはどういう意味だったのだろう? まるで、死んだパパがミッキーを知っていたような口ぶりだった。潜在エネルギーのことといい、大切な話だったのに、
ラグもだけれど、また皆川さんに会わないといけない。教えてくれるか、分からないけれど……。
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(注*)くじらのぬいぐるみ: 第一部 ENDINGで、ラグに貰ったぬいぐるみです。
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