Part.6 最後の一秒

Part.6 最後の一秒(1)

*暴力の描写があります。苦手な方はご注意下さい。


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 陽焼けした肌の大柄な男が、わたしの前に現れた。手にはルネの銃と、もう一つ黒い銃が握られている。きっとこれが、スティーヴン・グレーヴスの心臓に穴を開けたレイ・ガンだ。

 女は男の肩越しにわたしを睨んだ。場の主導権が男に移ったとたん、彼女はどこか怯えたような表情に変わっていた。ルネのサイコ・ガンを珍しそうに眺めている男の肩をつつく。


「コイツをどうするのさ?」

「決まっているだろう?」


 男は、わたしの方へ四角い顎をしゃくった。それは実にさりげなくて、わたしは背筋がぞっとした。

 女はさっと青ざめた。


「ここじゃダメ、ゲディ。すぐ足がつく」

「判っている。考えろ。どうしてこいつに、ここが判った?」


 女は黙った。女の水色の瞳と男の灰色の瞳が、わたしを射るように睨みつけた。

 わたしは二人を睨み返した。

 数秒間そうして睨み合った後、男はルネの銃を女に手渡した。


「訊いてみろ。声を立てさせるんじゃないぞ」


 女がわたしの口に巻かれたタオルを緩め、わたしは、ふうっと息を吐いた。胸に突きつけられたルネの銃を見下ろし、唇を結ぶ。


「変なコトしたら、コイツをぶっ放すからね」


 そんなことが出来るはずがない。銃声が近所に聞こえれば、この二人もただでは済まないのだから。でも、試す気にはなれなかった。撃たれた後でルネが来てくれても、彼を悲しませるだけだろう。


「アンタ、どうしてここが判った?」


 わたしは何と答えようかと考えた。男が銃口で突っついてくる――レイ・ガンの方で。


「死体のそばに、メモリー・カードが落ちていたのよ。それにここの住所が残っていたわ」


 わたしが言い終わるか終わらないかのうちに、ぱあんと派手な音がして、女は頬を張られてよろめいた。

 怒声が飛んだ。


「この馬鹿野郎!」

「嘘ヨ!」


 女は叩かれた頬を押さえ、睨み殺しそうな瞳でわたしを見た。金切り声で叫ぶ。


「アレは使い捨てで、電池はもう残っていなかった。住所なんか記録してない!」

「わたしも最初はそう思ったわ。でも、つついてみたら、残っていたメモリーがあったのだもの」

「嘘を言うんじゃないヨ!」


「もう、いい」


 わたしの反論と女の抗議を、男はどすの効いた声で遮った。思わず、二人とも黙りこむ。

 男は、わたしを舐めるように観て、ゆっくり訊いた。


「お前は、それをどうした? ここへ持ってきたのか?」

「置いてきたわ。そのままにしておいた方がいいと思ったから」

「…………」


「コイツの話、信じちゃダメだヨ。ゲディ」


 女が赤くなった頬を押さえて、考えている男の肩を揺さぶる。


「カードが使えたなんて、嘘ダ。そんなこと――」

「お前は黙ってろ」


 男の声は恐ろしかった。地の底からジャリジャリと土壁を掻いて登って来るように耳障りだ。背筋がぞわぞわするのを、わたしは歯を喰いしばって耐えた。


「顔を見られた以上、生かしておくわけにはいかない。こいつがここへ来た手がかりが屋敷に残っているなら、警察もやって来るだろう。すると――」


 口の中でぶつぶつ呟く男を、わたしと女は、はらはらしながら見ていた。わたしは出来るだけ表情に出さないようにしていたけれど、女の不安は手に取るように判った。もっとも、わたしは殺される不安で、女は、せいぜい平手打ちだったろうけれど。

 やがて、男はわたしの腕を掴み、立ちあがらせようとした。女が訊いた。


「どうするの?」

「カードがあの屋敷に残っているなら、処分しなきゃならん。ついでに、こいつをあの男と心中させる」

「罠だったら? この女は囮で、もう警察が来ていたら?」

「その時はその時だ。なに、こっちには人質がいる」

「……判ったわ」


 女は、男の計画の可否をすばやく計算して頷いた。わたしの足を縛っていた紐――細い女物のベルトだった。――を解き、背中にサイコ・ガンを突きつける。わたしの腕は後ろ手に縛られたままだ。


「お前はそいつを連れて、車に乗って待っていろ。いいか? くれぐれも、悲鳴なんてあげさせるなよ」


 そう言うと、男は女の荷物を集め始めた。

 女がわたしの背中を銃で小突く。わたしの腕に自分の腕を通し、仲良くぴったり寄り添うようなふりをして、囁いた。


「チョットでも変なコトしようとしたら、背中に穴を開けるからね」


 わたしは黙って頷いた。

 ルネの銃が恐かったわけではない。二秒で彼が駆けつけてくれるのなら、撃たれてみようかと思ったほどだ。それより、ルネとミッキーに助けてもらうのなら、この二人をグレーヴスの屋敷まで連れて行った方が有利だと考えた。

 被害者のいる部屋で犯人を捕まえられれば、話は簡単になる。


 女は、わたしを連れて部屋から出た。廊下に人がいないことを確認し、くっついたままエレベーターに乗る。マンションの玄関に下りた時も、銃はわたしの背中に押しつけられていた。


「行くよ。判っているだろうけど、声を立てるんじゃないヨ!」


 小声で囁くと、女は地下駐車場にわたしを引っ立てていった。突き飛ばされるようにしてエア・カーに乗りこむ。男が走って来て運転席に腰を下ろし、エンジン・キーを回すのを、わたしは後部座席で女に銃を突きつけられたまま見守っていた。

 車は、夜を切って走り出した。



 ドーム都市の人工の夜は、あちらこちらで綻び始めていた。そびえるビルの角で、交差点で、紫がかった光の帯が裂け目を作っている。車はその間を縫うように飛んでいく。70丁目の角を曲がる時、女が言った。


「気をつけて。すぐに車を停めない方がいいわ」


 男は無言で車を走らせ、スピードを緩めることなく例の屋敷の前を通り過ぎた。

 屋敷は変わりなかった。相変わらずくらく静まり返っていた。今夜も、昨夜も、その前も、ずっとそうだったように。


 わたしは、今更のように恐ろしくなってきた。ミッキーは帰っているだろうか? ルネは屋敷の中にいるのだろうか? かたく噛み締めた奥歯のさらに奥で、悲鳴を呑んだ。

 パパ、《VENA》、どうか助けて……。


 車は70丁目を数ブロック過ぎたところで向きを変え、後戻りした。男はスティーヴンの屋敷から三軒手前に車を停めた。車内から様子を伺い、異常なしと判断した男は、地底から響くような声を出した。


「警察はまだ来ていないようだな。行くぜ」


 わたしは車から引きずり出され、二人に挟まれて歩きながら、胸の中で踊る心臓の音を聞いていた。

 どうしよう、どうしよう、どうしよう……?

 二人は辺りを見回して人のいないことを確認すると、わたしを引っぱって門の階段を上らせた。

 ミッキーとルネと一緒にここを上ったのが、何年も前のことのように思える。玄関に押し込まれると、冷たい闇がわたしを迎えた。


「二階に着くまでは、明かりをつけない方がいいわ」


 女があの時のミッキーと同じことを囁いた。


 わたしの気持ちは、希望と絶望の間を振り子のごとく揺れ動いた。――これが結末なのだ。ルネがせっかく駆けつけてくれても、変わり果てたわたしを見つけることになる。

 ミッキーが戻って来てくれても、助けにはなりそうになかった。こちらは銃を二挺も持っているのに、彼は丸腰なのだ。

 自分のサイコ・ガンで撃たれたら、ルネはどうなるのだろう?

 ひょっとしたら、ミッキーもどこかで同じような目に遭っているのかもしれない。ルネも……。


 男が小さなライトを点けた。その明かりを頼りに階段を上りながら、わたしは崩れそうになる気持ちを懸命に支えていた。


 もし、ミッキーが戻って来ていたら――わたし達の足音を聞きつけて、『リサかい?』なんて、声をかけてきたら……!

 神様、お願い。彼を守って。


 とうとう、書斎の前に辿り着いた。男がライトを消し、部屋の明かりを点けた。女がわたしの背中を押し、わたしは死者の待つ室内へ突きとばされた。

 男は、わたしの胸にレイ・ガンの銃口を突きつけた。


「カードはどこだ?」


 わたしはソファーを眼で示した。女が駆け寄り、背もたれと腰掛の隙間から例のカードを引っぱり出す。夢中で表面のキーを押し、血走った目でわたしを睨みつけた。


「動かないじゃない!」

「そこに残っているって言ったのよ」


 わたしは毒気をこめて吐き捨てた。


「そうしたら、あなたが信じただけよ!」


 ばしっという音がして、左の耳が熱くなった。男の平手打ちを喰らって、わたしはよろめいたけれど、なんとか踏みとどまった。

 男はわたしの服の胸倉をつかみ、どすの効いた声で迫った。


「きさま、どうやって俺達のことを突き止めた?」


 ぎりぎりと歯を噛み鳴らし憤怒で紅潮した男の顔は、近くで観て決して気持ちのいいものではなかった。ミッキーやルネなんていう美形を見慣れたせいだ。きっとそう!

 わたしは耳の痛みを無視して嗤った。思い切り、軽蔑をこめて言葉を叩きつけた。


「自分で考えたら?」


 灰色の瞳が怒りで燃え上がるのが判った。男の片手が伸びて、女からルネの銃を奪った。


「離れていろ。俺がる」


 呟いて、男はレイ・ガンからルネの銃に持ち替えた。わたしが自分の銃で自殺したように見せかけるつもりなのだろう。一メートルほど離れて銃を構え、わたしの胸に銃口を突きつけた。女が側を離れる。

 わたしは黙って立っていた。逃げる気はなかった。――どうせもう、ラグ・ド・グレーヴスの船には間に合わない。眼を閉じながら、机の上の時計を見遣った。


 AM 6:00



 わたしは目を閉じ、死刑囚のように立っていた。

 銃の轟音に驚いて瞼を開ける。人生で一番大きな音に思われた。しかし、痛くもかゆくもない。

 目の前に、紺色の背広をきた背中があった。長身ですらりとしているけれど、肩幅はわたしを覆い隠している。その腕が高く伸びて銃を掴んだ手首をねじ上げ、天井へ向けていた。力をこめたために白い指が血の気を失い、さらに白くなっている。その肩越しに、怒りと痛みで真っ赤に鬱血したゲディの顔が見えた。

 男のもう片方の手が挙がり、彼を殴ろうとした。

 わたしは眼を閉じて叫んだ。


「ミッキー!」


 返事は無く、代わりに何か硬いものが床に落ちた音と、にぶく柔らかい音と、男の呻き声がした。にぶい音は繰り返し聞こえた。

 わたしは恐るおそる眼を開け、ミッキーが銃を落とした男の腹を蹴り上げているのをみつけた。

 ミッキーは男の反撃をかいくぐり、恐ろしいスピードで相手の腹を蹴っていた。手加減なしだ。男がよろめきながら彼に掴みかかろうとする。ミッキーはその手をかいくぐり、顎を殴った。男の大柄な体が後方へ飛び、机にぶつかって派手な音とともにくずおれる。

 わたしの視界の片隅で、女がレイ・ガンを構えた。わたしは腕を縛られていたけれど、ミッキーは素手で戦ってくれているのだ。わたしは女に体当たりでぶつかっていった。


「リサ! 大丈夫か?」


 青白い光が部屋に満ち、しわがれた、でも良く響く声とともに、ルネが姿を現した。蒼銀髪と蒼眼に戻っていたラウル星人は、この光景に目をむいた。


「ミッキー!」


 ミッキーは再び男に跳びかかっていた。反撃を受けながらも乗りかかり、殴りつける。彼の無言の剣幕に、さすがのルネも絶句した。

 ミッキーはルネの銃を拾い、その台尻で男の頭を殴った。何度も、何度も。男が反撃する力を無くし、抵抗する意識も無くしてしまうまで。わたしとルネは、彼がかなり本気で怒っていることを知った。

 わたしは女の上に乗りかかり、全体重をかけて押さえこんだ。女がもがくたびに、お尻から、どすん、と乗りかかる。そうしながら男たちの方を見ると、倒れた男の傍にミッキーが立っていた。唇の端から流れる血をぬぐい、片手にルネの銃をぶら下げて、床に伸びた男が本当にもう動かないか警戒していた。


「……もう大丈夫だよ、リサ」

「何をやっているんだよ、お前ら」

「手伝って。わたし、この女をおさえきれないわ……」


 それで、わたし達の感動の再会は、こんな会話になってしまった。

 息を弾ませていたミッキーは、呆れ顔のルネと顔を見合わせ、苦笑した。寝室の方に声を投げかける。


「ロジャー、出て来てくれ」


 すると、寝室のドアが開き、長身の痩せた銀髪の青年が出てきたので、わたしとルネは驚いた。

 でも、もっと驚いたのは、わたしが下敷きにしている女だった。彼を見た途端、ぎゃっと叫んで逃げ出そうとしたので、わたしとルネは彼女を捕まえなければならなかった。

 ミッキーは落ち着いた口調で言った。


「ロジャー、この連中だね? 君が言っていたのは」

「ああ。間違いない」


 ルネはわたしの腕を縛っていた紐を切り、それを結びなおして女の腕を背中で縛った。その作業を、ロジャーと呼ばれた青年は、睨み殺したそうな目つきで眺めていた。精悍な顔立ちが、亡くなったスティーヴン・グレーヴスに似ている。

 ミッキーは、わたしの腕を掴んで立たせてくれた。


「ミッキー、この二人がスティーヴン・グレーヴスを殺したのよ」

「ああ。よくやったね、リサ」

「あの男も縛って、ルネ」

「判った」


 ルネは寝室に行くと、シーツを引っ張り出してきた。それを細かく引き裂いて即席の紐をつくり、伸びている男の手足を縛る。ロジャーという青年も手伝った。女はわたしの足元に坐り込み、怯えた様子でその作業を見守っていた。

 ルネの仕事が終わると、ミッキーはロジャーに言った。


「あとは君の好きなようにしてくれ」

「警察を呼ぶよ」


 ロジャーは軽く肩をすくめて答えた。


「ありがとう。早く行くといい。叔父貴に会ったら、宜しく伝えてくれ(注*)」

「判った」

「ミッキー、もう遅いわ」


 ルネが立ち上がり、怪訝そうにミッキーとロジャーを見比べた。わたしは泣き出しそうになりながら、ミッキーの腕を引っぱった。机の上を指さす。


「六時十五分よ」

「オレの船の方が足は速い。スイング・バイの前に追いつけば、大丈夫だ」


 ルネが力強く応える。ミッキーからサイコ・ガンを受け取り、にやりと笑った。

 ミッキーはわたしの腕を握り返し、揺さぶった。


「やってみよう、リサ。ぐずぐずしていたら、本当に駄目になる。行こう!」


 ミッキーはわたしの背中を押し、ルネが右手を引っ張って、玄関のところまで連れて行った。ルネがわたしのボストン・バッグを拾い上げる。

 振り向くと、ロジャーは階段の上に立って、わたし達を見送ってくれていた。







―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

(注*): ロジャー・グレーヴスは、ラグ・ド・グレーヴスのことを『叔父貴』と呼んでいますが、従兄弟です。これには理由があります(第二部へ)。


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