Part.3 十人目の尋ね人(2)
2
「いってらっしゃい」
ホテルの裏口にて。ネクタイを締めなおすミッキーに、例のごとくイリスさんが言った。ご出勤の図。
ミッキーは、わたしとルネに苦笑を向けた。
「行って来ます、リサちゃん」
「早く帰ってきてね」
と、これもイリスさん。ミッキーの首に腕を回し、素早く頬に口付けた。
あからさまに顔をそむけて溜息をつくルネ。確かに気恥ずかしいものではあったけれど、ミッキー同様、慣れてしまえばどうってことなかった。それに、イリスさんはこの挨拶を、洋二さんとアニーさんにもするのだ。
「なあに? ルネちゃん。文句でも?」
「いや。別に」
イリスさんは両手を腰に当てる。エプロンが似合っていて、ちょっぴり拗ねた表情はとても可愛らしい。ミッキーが出かけた後、ルネを軽く睨んだ。
「なによう。居候なんだから、少しは手伝いなさいよね。毎日毎日、喰っちゃ寝しかしないんだから!」
「オレが料理なんてしたらかえって邪魔だと思うから、遠慮してるんだぜ」
「フロントでもエレベーター・ボーイでも、することは沢山あるでしょう? ミックの手伝いもしないんだから!」
イリスさんはぶつぶつ言い続けたけれど、ルネは肩をすくめただけだった。わたし達はフロントの裏から控え室を通り抜け、ロビーへ戻った。
ルネは、イリスさんがエレベーターに乗るのを見送り、苦虫を噛み潰した。
「あいつは苦手だ」
「どうして?」
「妹を思い出す」
わたしとイリスさんは結構仲良くなっていた。彼女がミッキーに憧れていると知っているわたしから見ると、とっても素直で微笑ましいのだけど。
「ルネ、妹がいるの?」
「七人」
わたしは耳を疑った。
「七人?」
「全員、女。全員、オレと同じ歳。二卵性の八つ子だ」
わたしの顎の筋肉は伸びきってしまった。開いた口がふさがらない。
ルネはわたしの反応をつまらなそうに一瞥して、ウサギ達のガラス・ケージへ向かった。
わたしは急いで息を吸って口を閉じ、彼の後を追いかけた。
「や、やつごって……本当?」
ルネはウサギ達の前にしゃがむと、面倒そうに説明した。
「言ったろ。オレ達
わたしは、こくこくと頷いた。ルネは白いウサギを撫でて続けた。
「ラウルでは、子どもを作れることは一種の特権なんだ。
「あの。訊いてもいい?」
ちょっぴり恥ずかしさを感じながら、わたしは訊ねた。ルネはウサギの耳をつまんでひろげ、頷いた。
「人工授精って、地球人と同じ形式?」
「同じも同じ」
逃げた白ウサギの代わりに黒白まだらのウサギを捕まえようとしながら、ルネは答えた。唇の端で煙草の火先が上下する。
「ラウル、地球、クスピア、ダボー、タスキナ星人は、生殖方法が同じだ。そうでなきゃ、イリスやマーサみたいな混血が産まれるわけなかろ」
「……納得」
ルネはわたしの膝にウサギを乗せた。わたしが黒白ウサギの頭をなでてやると、ウサギは気持ち良さそうに眼を細めた。
「妹なんて、たくさんだ。人工授精で男三人女八人の二卵性児が出来た。人工子宮の中で男が二人死に、女が一人死んで、男はオレ一人だ。この意味、わかるな?」
ルネは褐色の毛のウサギを捕まえて耳を引っ張り、舌打ちした。
判った……故に、わたしは吹き出すのを必死にこらえなければならなかった。ウサギを撫でながら相槌を打つ。
「想像、出来るわ」
「かなわんぜぇ、実際」
ルネは片手で自分の膝を抱え、栗毛のウサギの背中を撫でていた。ウサギはぴょんと跳ねて、五匹ほどの群れの中へ戻った。彼に絞め殺されるのではないかと心配していたわたしは、少しホッとした。
「普通の兄妹ならいざ知らず、同じ顔と似たような性格の、同い歳の女が七人だ。今度の帰省までに何人弟や妹が増えているか、考えるだけでぞっとする」
「ルネのご両親って――」
「ラウルで子作りやってるよ、今も」
ルネは煙草を重力調節ブーツにこすりつけて消しながら、一ダースの苦虫を噛み潰したような表情で言った。失礼だとは思ったけれど、わたしはこらえ切れずに吹き出した。
「笑うなよ。そりゃ、
「ごめなさい、ルネ。よく判ったわ」
ダメ、苦しい。
ルネが彼とそっくり同じ顔をした七人の妹たちと赤ちゃんたちに囲まれている状況を想像して、わたしの笑いは止まらなかった。涙ぐんで喘ぐわたしから、ルネは顔をそむけた。いじけた横顔が可愛い。
その時、電話のベルが鳴った。
フロントのカウンターの向こうで、受付け係の麻美さんが応対する。ややあって、当惑した顔が覗いた。
「ルネちゃん」
この呼び方にも、かなり問題があると思うな。
立ちあがるルネに、麻美さんは困り顔で言った。
「幹ちゃんに 《
「え?」
わたしも立ちあがる。ルネの眼がすうっと細くなった。
「誰からだ?」
メモを片手に、麻美さんは、はっきりと答えた。
「『地球連邦、第9528科学局、シンク・タンク No.55 の、ドウエル教授』……だって。幹ちゃんと話がしたいって言っているんだけど。もう出かけちゃったわよね」
「まだつながっているのか?」
パパの研究所だ。わたしは息を呑んだ。
ルネの声も、普段とはうってかわって鋭くなった。圧倒されて、麻美さんは眼を丸くした。
「う、うん。ルネちゃん、出る?」
「いや、そのまま待たせてろ!」
ルネは玄関に向かって走り出した。わたし、慌てて呼びかける。
「追いかけるの? わたしが話そうか?」
「ダメだ! リサは出るな。
言いかけたと思ったら、突然、かき消すように消えてしまった。予想はしていたものの、わたしは目を瞠った。
麻美さんも硬直した。
「ル、ルネちゃん?」
「麻美さん!」
……ルネに驚いている場合じゃない。わたしは麻美さんの肩をゆさぶった。
「麻美さん、電話はどこ? まだつながっている?」
「あ、あっち」
放心しながら彼女が指した控え室の奥に、大きめのスクリーンがあった。
五十歳くらいだろうか。ネクタイに背広を着た男の人が映っている。あれが、ドウエル教授? 白髪交じりの栗色の髪をした、品の有る理知的な紳士だった。椅子か何かに腰掛けているらしく、落ち着いた様子だ。
わたしは、ヴィジュアル・ホーン(TV電話)の受像範囲に入ろうとした。
「ストップ! リサ」
鋭い声がして、腕を引き止められた。振りかえると、ミッキー。いつになく厳しい表情で、早口にささやいた。
「きみが出てはダメだ。ここで観ていて下さい」
「でも、ミッキー」
彼はわたしの肩を押さえて留まらせると、ゆっくりスクリーンに近づいて行った。わたしと麻美さんは、息を殺して見守った。気配に振り向くと、ルネが入り口の柱にもたれて呼吸を鎮めていた。
「ルネちゃん」
「まいったぜ」
ルネは苦笑した。ごくんと唾を飲み、片方の眼を閉じる。
「しばらく飛んでいなかったから、カンが狂っちまって、二度ほど追い越した。おまけに、ミッキーは重い」
「ルネちゃん。さっきの、ESP?」
麻美さんはこの年頃の女の子らしく、きらきらと瞳を輝かせた。ルネは、にやりと歯をむき出した。
「見られたのがお前で良かったよ。センターに知られたら減俸ものだ」
明るい笑声を聞きながら、わたしはミッキーに視線を戻した。こちらは、スクリーンの教授と睨み合っている。
十秒ほど経って、ようやくドウエル教授が口を開いた。ルネ達も口を噤む。
『君が、安藤幹男君かね?』
ミッキーは頷いた。整った横顔が妙につくりものめいて見えた。
「そうです」
ゆっくり彼は答えた。自分の声の調子を確かめているような口調だ。
「安藤幹男です。あなたは……?」
『地球連邦、第9528科学局。シンク・タンク No.55 の、クラーク・ドウエルという者だ』
すらすらと答え、それから、いきなり訊いてきた。
『君はなぜ、グレーヴス氏を探しているのだね?』
ミッキーの表情は変わらなかったけれど、わたしはルネを見上げた。煙草に火を点けようとしていたルネは、動作を止めてスクリーンを見た。
教授はミッキーの答えを待たずに畳み掛けた。
『君はダフィエル・グレーヴス氏に会ったろう? 銀河連合軍の人間が、何故《レッド・ムーン》でグレーヴス氏を探しているのだ?』
相手はミッキーのことを調べたらしい。ダフィエル・グレーヴス氏が教えたのだろうか、と、わたしは考えた。
ミッキーが眼を細める。滅多にみかけない鋭い眼差しを教授に当て、問い返した。
「僕がグレーヴス氏を探していると、貴方にどういう関係があるのですか?」
『私がグレーヴス氏の関係者だからだ』
教授の答えはよどみがなく、明瞭だった。わたしは両手をかたく握りしめた。
ミッキーは慎重で、譲らなかった。
「僕の探しているグレーヴス氏が、貴方のご存知の人に関係があると、何故言えるのですか?」
『……これは失礼した』
教授は急に口調を和らげた。警戒しているミッキーに、感心したような視線を向けた。
『どうやら私が性急過ぎたようだ。なにしろ、ことは連邦の機密に関することなので、部外者の介入を警戒しているのだよ』
「…………」
『しかし、君は信頼に値する人物らしい。……安藤君。君がグレーヴス氏を探しているのは、当研究所の所長で先日亡くなった倫道教授の、依頼を受けてのことではないかね?』
かかったぞ……息だけで、ルネが囁いた。わたしはラウル星人の横顔を見た。火の点いていない煙草をくわえている。
ミッキーの表情は変わらない。その沈黙をどう受け取ったのか、ドウエル教授は淡々と続けた。
『先日、倫道教授は地球で事故に遭い、亡くなられた。我われが手がけている研究の成果を、学会で発表する予定だった。――大変な問題を見つけ、グレーヴス氏に相談したいと仰っていたのだが、肝心のデータが、教授の死と同時に行方不明になってしまった』
「…………」
『グレーヴス氏も我われも、データを探している。誰かに託されたらしいのだ。教授の令嬢も行方不明になっているため、ことは急を要する』
ミッキーは黙っている。ルネの瞳は深い海の色に変わっている。わたしは、電話に出たい衝動を我慢していた。
教授は真剣に続けた。
『君がグレーヴス氏を探していると知り――もしや、教授からデータを託されたのではないかと思い、非礼を承知で電話させて頂いた次第だ。心当たりがあるなら教えて欲しい』
「心当たりは……あります」
ゆっくり……ほんとうに、ゆっくりと、ミッキーは応えた。相手を見据えたまま。
教授は明らかにほっとした。
『本当かね? 倫道嬢の行方は?』
「そちらは、残念ながら、知りません」
どうして? わたしは意外だったけれど、ルネは何も言わなかった。
ミッキーは首を横に振り、静かに続けた。
「教授がグレーヴス氏に渡すよう僕に託した書類は、ここにあります。貴方は彼をご存知なわけですね? ダフィエル・グレーヴス氏が、そうだったのですか?」
『いや、違う。ラグだ。ラグ・ド・グレーヴスという。銀河連合宇宙軍のAクラス・パイロットで、科学者でもある。君が彼を探しているのと同様、彼も教授のデータと令嬢を探している』
「ラグ・ド・グレーヴス」
呟くミッキー。
ルネはカウンターのパソコンに向かい、猛然とデータを打ちこみはじめた。火の点いていない煙草を噛み潰している。
ミッキーは、思案するように名前を繰り返してから教授に訊ねた。
「それで。僕は、その人にどうやって逢えばいいのですか?」
『いや。君は、彼に会う必要はない』
「…………?」
この教授の台詞は、わたしにも『?』だった。ミッキーの眼が再び細くなる。
教授はひとりで頷き、声をひそめた。
『君が倫道教授のデータを持っているのなら、むしろ、決してラグ・ド・グレーヴスに接触して欲しくない。……実は、我われは、教授が殺されたと考えているのだ』
わたしは呼吸を止めた。ルネはキーを叩き続けている。
『教授が殺され、令嬢が行方不明ということは、何者かが令嬢を人質にしている可能性がある。判るね? 君が教授から託された物が彼の手に渡ると、令嬢の身が危険だ』
「判りました」
わたしは、ここにいるのよ! 言いたかった。よっぽど会話に割り込んでしまおうかと思ったけれど、凛としたミッキーの口調に言い出せなかった。
ミッキーは、電話の向こうの教授に頷いた。
「気をつけます……。それで、『グレーヴス』氏に逢わずに、僕はどうしたらいいのですか?」
『安藤君。君がいるのは 《
「ええ。そうです」
メモか何かを読んでいるのだろう。俯いて言う教授に、ミッキーは頷いた。
「間違いありません」
『そうか。では、指図して悪いが、今日中に東70丁目の6―13番を訪ねてくれないか?』
「東70丁目……」
ミッキーは、かすかに眉根を寄せた。
「住宅街ですね。そこに、何が?」
『うむ。君には、スティーヴン・グレーヴス氏に会ってもらいたい』
「スティーヴン?」
ミッキーの眉が、ますます強く寄せられた。低く訊ねる。
「誰ですか? その人は」
『地球連邦政府のダイアナ・シティ
ミッキーは困惑したように黙りこんだ。教授は、彼を諭すように続けた。
『ラグ・ド・グレーヴスは、連合宇宙軍の一軍に所属するパイロットだ。現在、恒星間航行の移民船に乗っている。船は明日、わずかな時間だけ燃料補給の為に 《レッド・ムーン》 に寄港する。君が彼に会うならその時しかないが、先程説明したように、そうすると倫道嬢の身が危ない』
「…………」
『我われも直接会わない方が良いだろう。君は、教授のデータをスティーヴン・グレーヴス氏に託してくれないか。私から話をしておく。その間に、我われは、倫道嬢の行方をつきとめよう』
ルネはキーを打つ手を止めて聴き入っている。ミッキーは慎重に繰り返した。
「東70丁目……スティーヴン・グレーヴス執政官ですね。承知しました」
『くれぐれも、よろしく頼む』
教授の姿は画面から消えた。通信が切れる。
ミッキーは、立ったまま、しばらく考え込んでいた。
「我われ、か」
「ミッキー」
どうして嘘をついたの? 声をかけたけれど、彼はわたしを振り向かなかった。ブラック・アウトしたスクリーンを見つめ、呟く。
「我われ……ね」
「ミッキー。あの、」
「ルネ」
突然かれは振り返り、声をかけた。ルネはうなずき、立ちあがった。
「ああ、ミッキー。考えられることは一つだ」
「何なの? 二人とも……」
訳がわからずにいるわたしと麻美さんを残して、走り出す。わたしは、二人の後を追いかけた。エレベーターのところで、イリスさんとすれ違う。若草色の髪の少女は、目を丸くして叫んだ。
「ミック! もう帰って来たの?」
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