二度目の挑戦は幸福でありますように

 それはパッと見ると分からない微かな変化で、一時期カフェの手伝いをしていたからこそ分かる変化でもあった。


 いや、焦らすのは止めよう、何が変わってるというと、


 誰も、厨房を見ていない。


 一人残らず、みんな夏美の絵や翔が遊んでるカードゲームに釘付けだった。


「どういうことだ、これ……」


 まるで変死体を見つけた第一発見者か探偵小説の主人公みたいな台詞だけど、喉を通った言葉は視線の先の光景を強調させる。


 いや、結局は談笑や遊んで盛り上がってる訳だし、それそのものはたいしたことじゃない。フェルト人形等の小物も売ってるため、商品の話で笑い声が店内にこだまするのはしょっちゅうだ。


 だが、オープンキッチンといえ特性上、カウンター席のみならず、奥のテーブル席から料理の風景を見ようとするお客さんは少なからずいる。

 だが、今こうして先輩と料理の特訓をしていて覗こうとする者はやはりいなかった。


 何でだ?


 ピーピーピー。


「お師匠、茹で玉子が出来ました!」


 振り返って嬉しそうに報告する先輩、特に指示を仰ぐこともなく熱湯の入った鍋を流し台に持っていき、そこに冷水を投入する。


 流石にここで助言する場面はないか、まあ茹で玉子だしな。

 殻を剥き出した真剣な弟子を、師匠らしく暖かく見守ることにした。


 とにかく、俺は俺で仕上げるか。


 トースターに食パン二枚を入れ、蓋をしてタイマーを回す、みじん切りの玉ねぎにマヨネーズ、塩、胡椒を適量加えつつ、手早く混ぜ合わせる。


「お師匠、殻を剥き終わりました」


 つやつやの茹で玉子が差し出される。受け取り、まな板の上に置いて、そっと慎重に包丁の刃を通す。


 その光景を後ろから先輩が覗いているようで、耳を澄ますと、緊張気味の吐息がふと漏れてることに気付く。


「先輩的には完熟までいったと思いますか」


「もちろんですよ!」


 勢い良くそう答えるが、口調にも影響が出ているようで何となく固く聞こえる。

 弟子の憂いを晴らす意味も加えて、さっと切った。


「これは……」


「え、どうしたですかどうなったんですかどうなってしまいましたか!」


 どうしたの三段活用が機関銃の如く背中に浴びせられる。


「先輩、茹で玉子……」


「え? また失敗しちゃいましたか?」


 困り顔でおろおろしているだろう先輩に、俺は、にいっと微笑んで見せ付けた。


「完熟でしたよ!」


「ふぇ……?」


 すっとんきょうな声。鳩が豆鉄砲を食らったみたいに目が点になっている。

 その後、その鳩が豆鉄砲を打った者に向けて暴れだした。


「ひ、酷いです! そうやって意地悪するなんて酷いです! わたしの頑張りをお師匠はそうやって意地悪して嘲笑っているんですね! お師匠のバカ!」


 肩をわなわなと震わせ、きつく眼を尖らせて睨み付けてくる。


「ごめんごめん、俺が悪かったです。ほら、見てください」


 片方の茹で玉子を片手に乗せてそっと前に出す。

 怒り顔から驚き顔に変わった。


「これが、ちゃんと火の通った、完熟……」


 まるで赤子でも見るかのように、おっかなびっくりでまじまじと見つめる。

 壊れる訳でも、ましてや噛みついてくるわけでもないのに、先輩は、そっと口を両手で覆って、自分で作った茹で玉子を嬉しそうに見つめていた。


「……ちゃんと出来るものなんですね」


「そうっすね、できるものっすよ」


 トースターを焼いて一年、腕利きの達人みたいな肩書きが付くほどトーストを作ってきた先輩のトースト以外の料理。


 昨日は失敗して、今日で取り戻した。


「はぁ……」


 宝物でも見るような顔付きだ。この後刻むけど泣き叫んだりしないよね。


「先輩、トーストの方任せます。焼き上がったら追加で二枚お願いします」


「はい、分かりました!」


 元気良く頷き返して足早にトースターの前へ移動。俺は手に持っていた玉子をまな板の上に置いて包丁でリズム良く刻む。


 細かくなった、玉子をボウルに入れると、ピーピーとキッチンタイマーが鳴って茹で玉子の完成を知らせた。


 手を簡単に洗ってから鍋の柄を掴んで流し台に持っていき、そっと鍋を傾けて湯気が昇る熱湯をギリギリまで流し、そこに冷水を加える。


 そうして、熱々の玉子を一つ持って台に軽くぶつけてヒビを入れ、そこに流れる冷水を当てながら殻を剥いた。


 殻と身の間に水を入れる目的もあるけど、玉子を急激に冷やすことで身が縮まって隙間が多くなり、殻が剥きやすくなったりする。理科はあまり得意じゃないけど、確か熱変性とかそんな名前だ。多分。


 全ての玉子の殻を剥き終わり、キッチンペーパーで水気を拭いてまとめてまな板の上に置いて、刻む。

 それをボウルに加えたら再び混ぜて全体をなじませる、玉子サラダの出来上がり。


「おし、出来た」


「こっちも出来ました」


 こんがりきつね色のトーストが二枚運ばれる。快くそれを受け取る。褐色の大地に粒マスタードを少しだけ落とし、そこへ、黄金に輝く玉子サラダを垂らして塗り広げる。程よくトーストからはみ出るのがポイントだ。


 後は、前回同様、英新聞柄のキッチンシートで包んで三角になるように切り分け、さらに皿に乗せる。


「完成」


 昨日も見たばかりなのに、同じ料理には見えない。

 ふっくらしたパン生地に玉子の濃厚で上品な香り。昨日と違うのは完熟に仕上がった玉子ぐらいなのに、それら以外の何かを、眼を通して感じられる。

 何て言うか、情熱や喜びを。


「さて、先輩、後は俺一人で出来ますし、先に召し上がってても良いですよ」


「いえ、このまま手伝います。それに何だか今日は料理しやすいせいか調子が良いんですよ」


 先輩も気付いてるのか、自覚は無さそうだけど。

 手伝い、もしかしたら、そういうことなのか……。


「お師匠、トーストが焼き上がりましたよ」


「えっ? あ、はい、受け取ります」


 そうしてこれを二回繰り返して、四人分のエッグサンドが出来上がった。



「おーい、夏美、翔、お前らの分出来上がったぞ」


 先頭でエッグサンドを高々と見せ付けるようにして空いてるテーブル席に運ぶ。夏美は話していたおばさんと親父に軽い会釈をして抜け出し、翔は――、


「うち、お腹ペコペコ」


「うおっ!?」


 っと、危ないあぶない、危うく両手に持ったエッグサンドを落とすところだった。

 こいつの神出鬼没っぷりは相変わらずだな。


 得体の知れない猫だなと思いつつ、ほらよ、と目の前に置くと「ありがとにゃ~」と全身が気怠げになるような返事が返ってきた。


「二人ともお疲れ様」


「おう。どうぞ」


「ありがとう。あら、こうしてみると結構綺麗ね」


 手前側に先輩が俺と自分の分を置く。俺達が座ると、待ってましたと言わんばかりに翔が突っ伏した状態で「頂きます」といって、一足先に食べ初めた。


 本当、美味そうに食べるよな。


 ぐぅ~、突然奇妙な音が発せられる。何事かとキョロキョロ辺りを見回すと、なぜか、お腹を手で押さえながら顔を真っ赤にした先輩がうつ向きながら「あの」といってそーっと挙手する。


「私達も、頂きませんか?」


「ぷっ、あっははは」


 その様子が何故か面白くて、堪えきれるずについ吹いてしまった。


「麦野さん、あいつはほっといて良いわよ。無駄にデリカシーが不足した男だから。後で俺から言って聞かせるわ」


「あ、ありがとう、ございます……」


「いや、ごめん。何か面白くて、すんません先輩、じゃあ、頂きましょう」


 夏美の言うお手伝いは、食後にゆっくり聞けば良い。そう開き直って手を合わせた。



「「「頂きます」」」

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