理論よりもまず、相手を知ることから
「いらっしゃい、お?」
店主が気さくな挨拶をする。だが、こちらを見てそうそうに気づいたらしく、太い腕を上げて微笑みながら顔の横で手を振っている。
「ユウト。お前、来たのか」
「よう、親父」
親父は驚き、一瞬だけ目を大きく見開くことで表現した。後ろにいる先輩に気付いて、お? と視線をそちらに送った。
「あ、あの初めまして、おし……、じゃなくて、南條君と同じ学校で、二年の麦野 香穂って言います。本日はお世話になります!」
礼儀正しくお辞儀し、ますます親父が口の端を嫌な意味で吊り上げる。
親父が働くカフェ『カルド』は、店内の壁もレンガの壁紙を貼っている。
天井には三枚の羽を回すプロペラと、入り口に入ってすぐ横に巨大な黒板、もとい黒板スプレーを吹き掛けまくったベニヤ板がぶら下がり、今話題の市松模様の羽織りを着たキャラクターの絵が書いてある。
カウンター席は四席あり、テーブル席は三つ程ある。
客はすでにいるが、隅っこのカウンター席に座るお客同様にコーヒーを飲みに来た訳ではなさそう。
「これ可愛い」
「私はこれにしようかな」
カウンター席やテーブル席とは別の卓上に集まっていた女子高生が、各々好きな物を持って会計へと移動する。それに反応して親父も向かいレジを打ち始めた。
「買ってくれてありがとうね。はいよ、割引券」
満足げに店を出ていくお客の背中を見送る親父。
ここ、『カルド』は小物販売を兼ねたカフェだ。なのでこの店に来るお客はコーヒーを飲みに来るか、手作りの小物を買いに来たかのどちらかに別れる。
そしてその小物というのが、洗濯ばさみに綿を布で被せた猫だったり、ジオラマに活かせそうな程こだわった食器の類い等が基本的に並んでいる。
親父は、見た目こそ何十年もコーヒーと軽食だけでこのカフェを継続し続けた強者みたいな風貌だが、実際は可愛らしい小物を作るのが趣味な変なおっさんだ。
ゴツゴツした手の平一杯のフェルト人形の猫を常連に見せつけてた時は頭が痛くなった。
さてと、といって俺達の前に親父が移動して立つ。
「何の用事か分からんが、あっちのテーブル席使え」
顔を歪ませる親父。いや、ウインクのつもりか、良く見ると歪み方が右側に寄ってる。
慣れないことすんなよ恥ずかしい。
そうして、親父に言われるがままテーブル席に腰かける。俺の対面で先輩も座る。
そして、それをカウンター奥にある厨房から覗くごつい顔。
腹を空かせた体育系の男子部が一気にやってこないかな。
「お師匠、顔色悪いですよ?」
「そうっすか、きっと気のせいっすよ」
弟子の鋭い勘が、ここにきて発揮されるのか。
親父のせいで調子が悪いことに気付かれまいと、俺はメニュー表を取り、それをパラリと広げる。
手書きで書かれたメニューは、店内同様に暖かさを感じる。ドリンクの一覧から、先輩はアイスコーヒー、俺はオレンジジュースを選んで店主を呼ぶ。
何か変な勘違いでもしてるのだろう、変な笑みを浮かべながら、普段の接待モードで注文を書き取り、それを持って厨房へと消える。
これで少しは大丈夫だな。
「先輩。早速ですが面接させていただきます」
「え? 飲み物が来てからじゃないんですか」
「そうしようと思ってましたが、ちょっと変更させてもらいます」
このままだと俺のハートが持たないからな。
そうして、姿勢を整い直して向かい合うと、先輩も何かを感じて姿勢を真っ直ぐに正す。
コホン、と咳払いを一つし、翔の時同様に指を組んで真っ直ぐ麦野 香穂を見つめた。
「では、これから面接を始めさせていただきます」
「はい……」
こちらが肘杖の先で組んだ指を少し動かすと、先輩も小刻みに左右に揺れる。
「では最初に、俺……私の弟子になりたい動機を聞かせてもらえますか?」
緊張で震えてると思った俺は、まず先輩へ簡単な質問を投げてみた。
まあ、聞かなくたって分かるが、あえて簡単な質問をして緊張を少しでもほぐす方が良いと判断した。
「えっと、お……お師匠の料理センスに憧れて、お師匠とならわたしが想い描いている『幸福トースト論』へ近づけると思って、弟子になりたいと思いました」
「そうですか、なるほど」
素っ気ない反応に対して、あれ? と首を傾げる先輩。
内心は小躍りしてもっと褒め言葉を要求したい衝動があるけれど、これは麦野先輩のための面接。ここで俺が浮かれては意味が無い。
「では、なぜ『幸福トースト論』を目指すようになったか、経緯を聞いても良いですか?」
「はい」
その後、少しの沈黙が俺達を包んだ。
ずっと聞いてみたかった、『幸福トースト論』という謎理論を追求しだしたその訳を。
この面接は麦野のやる気を確認すると共に、会話にもなっている。だから、今聞くことでトーストへの熱意を知りたい。
麦野先輩が、スッとこちらを見据える。
「わたしが『幸福トースト論』を目指したのは、小さい頃に食べた一枚のトーストに、家族の暖かみを感じたらなんです」
「ほう……」
「わたしの両親は二人とも共働きで、家にいるときの方が珍しいくらいで、家族三人で過ごすとなると、それこそ、宝くじにでも当たったくらい幸運な日になります。
ですが、わたしの小さい頃はそうでもなく、家族三人で過ごす時間が度々ありました。その時です、物心ついた後ぐらいに初めてトーストを焼いたんです。初めての料理、って言うと大袈裟かもですね。でも、こんがりキツネ色のトーストにクリーム色のバターを塗って、キラキラ光るジャムをスプーンで掬って塗った時の記憶は、今もあるんです。小さいわたしを心配しつつ微笑みながら見てくれたパパとママの顔は、今と違って本当に幸福そうで……って、お師匠?」
「た、大変だったんだね! ズズッ、俺、こんな盛大なエピソードが出てくるとは思わなかったからさ!」
何をとは言わないが、パン屋の出来立て食パン食べて目指したとかそこら辺かと思ってた。
「え~と、続けますか?」
「どうぞ! むしろお願いします」
「ええと、ですから、わたしはわたしのために働く両親のため、『幸福トースト論』を目指そうと思ったんです。トースト一枚で包まれる幸福があるなら、それを極めて、毎日疲れがぶっ飛ぶぐらいのトーストを完成させたいです!」
後半はやや口調が強まり、最後に願うようなたくましくも健気な夢を告げた。
というか、麦野先輩めっちゃ健気。
働いてる両親のために『幸福トースト論』を完成させようとしてたのか。
一年間も昼休みにトーストを焼いてた根気にも納得だ。
「ズズッ。じゃあ先輩、次の質問を――」
「おまだぜぢまじた、アイズゴーヒーですッ」
汚い声がすると思ったら、親父だった。大人げなく袖で両目を拭きながらアイスコーヒーを乗せたお盆を持って歩み寄ってくる。
危ないから泣くの止めてくれ。
何とかテーブルに到着し、透明なカップと白い陶器のミルクピッチャーが置かれていく。
「あれ? あの、すいません」
「ん?」
「これ、注文してません」
先輩が指差すのは、このカフェでも人気な一切れのレアチーズケーキ。
親父はスッと目を細めて俺を見た。
「これはあんたさんの師匠の奢りだ。味わって食ってくれ」
そういって、親父は鍛えられた背中を見せつつ厨房へと消えていった。
ってちょっと待て。
「俺のジュースは!? あと勝手に奢らせるな! いや、奢りたい気分だったけどさ!」
というか話しを聞いてたな!
文句を言うため席を立ち上がる。対する親父は明後日の方向を見ていた。
「お、お師匠?」
そんな声を背に受けながら、厨房へと踏み込み、親子の言い争いが勃発する。
「あ! このケーキ凄く美味しい」
そんな声がちらほら耳を通過した。
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