幸福への第一歩
『それで、どうなったの?』
『弟子をとることにした』
『はあっ!?』
黄緑の吹き出しは続き、夏美から詳しい説明を要求される。
案の定遅れた俺は公開処刑でクラス全員の前で教師に叱られた。
中々にへこむが、今日の出来事と比べればどうってことはない。
窓越しに見える青空が、本当に遠く広く感じられる。
机の下にスマホを隠しながら、こそこそと液晶画面の表面に指を滑らせ、密談を続ける。
『先輩だったのね。にしても、一年間お昼休みにトースト焼いてるなんて、変わった人ね』
『まあな』
初老の数学教師は、白髪混じりの頭を掻きながら公式の説明を行っていた。
鈍感なのか、こうしてこっそりメッセージのやり取りを繰り返しても叱ってくる様子はない。
それとも一度叱ったから反省してると思ってるのか。
どっちにしても、都合が良かった。
『だけど、気合いは十分だし、何より一年以上トーストに情熱を注いでるっていう実績があるからな。ちょっと厳しく教えても、簡単には折れないだろう』
『あんた、嬉しそうに笑うじゃない』
「え?」
右前方を見ると、夏美が嫌な笑みを浮かべていた。
すぐさま顔を伏せ、怒りのこもった指でメッセージを打つ。
『別に笑ってねぇーよ』
『はいはい』
軽くあしらわれた。何かイラッとするな。
『で、その麦野先輩への修行はいつから始めるの?』
『それは明日からだ』
『毎日昼休みに修行するの?』
『うん、いやタンマ……』
そうだ、肝心なことを忘れていた。
麦野先輩は毎日昼休みに料理準備室に通ってトーストを焼いてる。それってつまり、昼休みの時間内で終わるから問題なかったんだ。
だけど、トーストを焼くだけじゃなく、サンドイッチのような少し凝ったものを作らせるなら昼休みの時間じゃあ心もとない。
はて、どうしよう。
『お困りかしら』
見ると、夏美が得意気な顔をしていた。
もしかして何か考えがあるのか。
夏美は頭も良く、中学の頃、夏休みの宿題が学校の始まる前日にもなって終わらずに困っていた俺を助けてくれたことがある。
その際日記と数札の宿題を共にやり、手付かずの宿題は紐で縛っていた。
何をする気か様子を窺っていると、『あんたは日記とこの宿題だけ持っていきなさい』と言われ、トイレの芯とお菓子の箱で作った人形と共に持たされ、翌日学校に向かった。
案の定当時の担任に叱られるが、すかさず夏美が間に入り『決め付けは、まず中身を見てからにしてちょうだい』と、勝ち気な表情を浮かべながら進言した。成績も良く授業態度も良かった夏美の言葉に従った担任は俺の宿題を見て、疑ってすまなかったと謝ってきたのだ。
そう、俺は危機的状況を夏美の機転に助けられた。
縛った宿題がどうなったって? ゴミに出したよ。なくしたことになってるし、見つかったら困る。
結局手をつけなかった宿題の半分は渡されたけどね。
悪友で親友である夏美のメッセージを待った。
そして来た! 何々――。
『あんたのお父さんがやってるカフェに行きましょう』
「なにッ!?」
「おい、どうした南條」
「あ、いや、すんません」
頭を水平に下げて教師とクラスのみんなに謝り、席についた。
『そこまで驚く必要あるの?』
『あるよ! あの親父がやってる店だぞ!』
『面白いお父さんじゃない』
『だから問題なんだよ!』
他人事だと思って……。
俺の親父は、カフェの経営をしている。小さなカフェだがちゃんと利益を上げてるし、そこだけ見れば問題はない。
うん、そこだけならな。
『調理場だって整ってるし、好条件だと俺は思うわよ』
『それは、そうだけど……』
あの親父のいるところで料理のレクチャーとか嫌だな。
このままだと夏美に言いくるめられる、どうすれば。
あ、そうだ!
『俺の家に招待するよ、それなら問題あるだろ』
『これだから気の利かない男は』
なんだよ、何か文句あるのか、ってか今だけ女子サイドにいるのずるいな。
『あんたらまだ初対面みたいなものよ、なのにいきなり家に招待されたら麦野先輩だって警戒して修行どころじゃないでしょ』
そうなのか?
そんなもんなのかととりあえず相槌を打つ。
『良いかしら? まずはカフェに連れていくの、そしてコーヒーでも飲みながら少し話しをして、リラックスしてから料理を始める。そうすれば修行にだって身が入るわよ』
『リラックスは良いとして、何でコーヒー飲みながら話すんだ』
『あらごめんなさい。あんたはオレンジジュースを頼んで』
『そこじゃねぇーよ!』
確かにあんまりコーヒー飲まないけど、お子ちゃまみたいに扱うな。
それなりに弄ってくる悪友にツッコミを入れつつ、夏美のプランと狙いを聞いた。
まとめるとこうだ。
カフェに麦野先輩を連れていき店内の雰囲気を見せつつ、リラックスと共にトースト作りへのモチベーションを強く意識させる。
その際、軽い世間話をしたあといくつか用意した質問を聞きつつ、麦野先輩のトースト作りへの目的を確認して、それを元に指導内容を決める、というものだ。
そう、これは……。
『ただの面接じゃん』
『そう、ただの面接』
真剣に聞いて損した。なんで面接なんか。
『損させないわよ、面接するメリットはね』
テレパシーか!?
不意にきたメッセージにドキッとしつつ、夏美の言うメリットを聞いてみた。
『コミュニケーション能力の確認、目標に対する明確な意思確認、サポート能力、空気を読めるかどうかの確認の三つ』
なるほど、その三つか。
ん? 待てよ。
『コミュニケーション能力と、空気読めるかどうかって一緒じゃん』
『あんた、バカなの?』
大災害が起きた後の世界でロボットに乗る勝ち気な少女みたいな台詞が飛んだ。
てか、露骨にため息が聞こえた。
『いい? コミュニケーションは自分の意思や伝えたい言葉を言えるかどうかよ。それに対して空気が読めるかどうかはその場の雰囲気を汲み取って状況を理解する力よ。
あんたなら、それがどれほど重要か分かるでしょ』
確かに、料理において重要な要素だな。
俺が感心してると、再びメッセージが届く。
『もう分かるでしょ、あんたのやること』
『ああ、よーく分かった』
面接は大事だってことだな。
『その顔、完全には分かってなさそうね』
右前方の席で、ハァーとため息を吐きながらこめかみを押さえてる夏美。
『とにかく、夏美の計画にのるよ。親父のカフェに連れてくのはめっちゃ嫌だけど、これも弟子のためだ!』
『そう、まあ頑張ってね』
夏美はまだこめかみ辺りを押さえてるが、こっちに向けて微笑を送ってくれた。
キンコーン。
授業が終わり、俺は早足で学校を後にした。
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