ネリとコガネ
ひゐ(宵々屋)
前日
『
――巫女に選ばれた十歳の少女ネリは、夜中であるにもかかわらず、家を飛び出した。明日がまさに『朱山祭』だというのに。
その『朱山祭』が怖かったのだ。巫女に選ばれてから、何度も信仰と祈りの口上を練習したが、本番は恐ろしい。巫女としてちゃんとつとめられるか不安だった。その上、山の神様の前に立たなくてはいけないのだ。
もしも失敗してしまったら――皆はがっかりするだろうし、神様は……怒ってしまうかもしれない。
考えれば考えるほどに怖くて、明日が本番だというのに眠れなかった。逃げ出したくなって、仕方がなかった。
だから、夜の闇に、逃げ出した。
――私じゃなくても、代わりにできる子はいるもん。
占いくじなんかではなく、やりたい子、得意な子がやるべきなのだ――そう思いながら、ネリは村を離れていった。向かうは山、『朱の山』の方。少し歩いたところに山小屋があるから、そこに隠れていようと思ったのだ。
けれども夜中の山道は、想像していたより暗かった。満月の直前の夜だが、山には闇が潜んでいて、慣れ親しんだはずの道はその漆黒に沈み込んでしまっていた。
それでも山小屋を目指そうとするものだから、迷子になってしまって。
「ここ……どこぉ……」
半泣きになってネリは後悔した。とっくに山小屋についているはずなのに、周りには何も見えない。高い空を見上げれば、少し足りない月が輝いているものの、やはり辺りは真っ暗で、風が吹けば木の葉がかさかさと笑うのだ。
しかしその風に乗って聞こえてきた――男の子の声が。
「我こそ――。その祈り、心――」
まるで人前で言うかのように、声を張り上げている。
誰かいる。縋る気持ちでネリが声のする方へ歩いていけば、やがて光が見えてきた。光を放つ、小さな茸がいくつも生えていた。
そしてそこにいたのは、確かに男の子だった。自分と、同じ歳ぐらいの。
その頭には、狐の耳。背にも、狐の尾。そして椀にした両手の上に浮いているのは。
――種?
目を見張って、ネリは息を呑んだ。
その種には見覚えがあった。『朱の恵みの花』の種だ。『朱山祭』では、山の神から『朱の恵みの花』を授けられ、村ではそれを一年守り育てる。そしてとれた種を、次の祭りで神にお返しするのだ。
巫女であるから、ネリは見たことがあった。練習には使わせてもらえなかったが、これが神様にお返しする種だ、と。
狐の男の子は、深呼吸をすれば目を瞑った。とたんに、ぴしりと音がして種が裂け、宙で芽吹いた。根が伸び、茎が伸び、葉を広げ、蕾が生まれ――音が聞こえてきそうなほどの速度で、種は生長していく。しかし、男の子の顔は苦しそうなものになっていき。
「――だめだぁ……!」
蕾は黄色に色づいていくものの、膨らみきらず、ついに男の子は息を乱して両手を膝についてしまった。種はぽとりと地面に落ちる。咲くことのなかった蕾が、男の子を見上げていた。
ネリは気付いた。
「――山の、神様?」
――祭りで山の神が巫女に渡すのは、咲いた『朱の恵みの花』であるはずなのだが。
ネリが木陰から出てくると、狐の男の子はぎょっとした表情を浮かべたのだった。
* * *
「僕はコガネ。この前の代替わりで、精霊から山の神様になったんだ。君は……?」
「ネリ。明日巫女をやるの……山の神様が怖かったけど、男の子だったなんて」
倒木に並んで座って、二人は話していた。
コガネはひどく驚いて、狐の耳をぴんと立てた。
「君が巫女? あーあ、僕がうまく神様としてできていないところ、見られちゃったね」
コガネは『朱の恵みの花』をうまく咲かせられなくて、練習していたのだという。神様として、未熟であるらしいのだ。
「前の神様から教えてもらった口上もちゃんと言えるか不安だし……明日は人間がいっぱい集まる。そうなったら、緊張で余計に……」
神様でも、そう思うことがあるらしい。ネリはきょとんとしてしまったが、やがて空を仰いだ。
「私も……神様はもう怖くないけど、うまくできるかどうか……」
互いに、不安を感じていた。と、コガネは思い出したように。
「そういえば、君はどうしてこんな夜中にここに?」
しばらくの間、ネリは答えられなかった。コガネが頑張っているところを見てしまったから。
逃げようとしていた自分が、恥ずかしくなってしまったのだ。
「明日が怖いから、逃げちゃおって……」
しかし素直に告げれば「ええっ!」とコガネは傷ついたような顔をした。だからネリは慌てて、
「で、でもね! 神様のコガネが頑張ってるの見たから……私も頑張ろうと思って……」
まっすぐに、コガネを見つめた。
「私も、うまくできるか心配なの。失敗したら、みんながっかりしちゃう……ねえ、だから、一緒に練習しようよ」
成功させて、最高のお祭りにしたいのだ。
人々が神を信仰し祈り、神が人に祝福を与える、絆のお祭り。
コガネは、一瞬気が抜けてしまったように耳を垂らしてしまったものの、尾はしゅるりと動いて、頷いてくれた。
「僕も、ちゃんとした神様であるところをみんなにに見せなくちゃいけない……僕がしっかりできれば、山の精霊達も安心するはずだし、人間達も……! 一緒に練習しよう! 人も精霊も喜べる、最高のお祭りにしよう!」
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