高校生、高橋
日曜日。
うららかな春の昼下がり。駅前のカフェの、ひろびろとしたテラス席。六人がけの大きなテーブル。座っているのは、わたしだけ。風が柔らかくも生ぬるく、全身を撫でていく。
時刻は、昼の十二時二十五分だ。
わたしは、甘くて凍った飲みものを飲んでいる。
朝、白い部屋で目覚めて。ぼんやりした頭で。行かなければすべて夢になる、と思った。夢、妄想、あるいは舞台で観た幻想、とでも。
でも、そういうわけにはいかなかった。
来ないわけには、いかなかった。
……もしかしてもしかしたら世界が滅亡すると、思っただけで。
ドリンク片手に、スマホで時刻を確認する。……十二時半。
さすがにこんな時間には来ないか、と思って空を仰ごうとしたら、わたしの背後に、だれか、いた。
男子だ。高校生っぽい。学ランを着ている。片手にはオレンジジュース。
わたしは振り向き、斜めの角度で言う。
「……びっくりしましたよ?」
「ああ……はい」
視線をさまよわせている。居心地の悪そうな顔。笑顔のひとつくらいつくればいいのに。……元気はつらつ、というわけでもないようだ。
ブレザーの黒に対してあまりにも白いその球体を、認める。
――現実、か。
わたしは隣の椅子を引いた。
微笑みかける。
「――わたしとあなたは仲間のようです。運命共同体ってやつですか」
「はあぁ」
ずいぶん気の抜けた声だ。
「そういうことです。……天使になんか世界を任しちゃいられませんね…とりあえず、ここ、席。取っといたんで。どうぞ」
「あー、あっち座りますわ」
彼がもたもたと座っているあいだ、わたしは頬杖をついて、そのすがたや行動を眺める。
高校生、であることは間違いなさそうだ。たぶん、隣駅の高校の制服。わたしの学校と違って公立で共学で、わたしの学校よりもいくぶん学力のレベルは落ちる高校だったと記憶している。
見ためは……なんというか、冴えない。清潔感があるとも言いがたい。髪の毛は耳のあたりまでの黒髪で、くしゃくしゃで、パーマではなくて寝癖を気にしていないんだろうな、とすぐにわかる。長すぎる前髪と縁なしの眼鏡のせいでわかりづらいが、よく見ると、顔立ちはそう悪いわけではない。
動作はぎこちなく不器用そう。椅子を引くという単純な行為をするときにすら数秒間固まっていたし、ゆっくりと椅子を引いて座ると、背負いっぱなしのかばんが椅子に押し潰されそうになり、顔をしかめ、片手でかばんを取り除こうとする。まあ当然、取り除けない。……無茶だ。
わたしは、ぴん、と彼を指差した。
「それ、いっかい立ち上がって」
「……はぁ?」
「たぶん、そのままだと、かばんどかせないから。立って、外して、座って」
すると彼は、面倒そうにわたしを睨んだ。
「……はぁ」
わざとらしいため息をつくと、ばっと勢いよく立ち上がりかばんを下ろし、というか落とし、スニーカーを履いた足で、椅子の下に押し込んだ。
――なんでだろう。
なんでこのひとは、わたしの好意を蹴り飛ばし、荷物を地面に置いて足で蹴ったり、するんだろう。
彼は、どすんと椅子に座った。
はじめて表情を変える。笑っている――だが、笑顔とは呼びたくない表情。薄ら笑い、とでもいうべきか。ひとを馬鹿にしているかのよう。
斜め下を見ながら、切り出した。
「……めんどくさいと思いませんか?」
ぼそぼそと通りの悪い声、そのうえ早口。役者経験はないな、と思った。
わたしは両手を顎の下に置いて、訊き返す。
「めんどくさい?」
「こういうの。めんどくさいです。滅びる世界なら滅びたほうがよくないですか? っていうか。こんな世界、滅びたほうがいいかもしれませんね。まぁ俺なにげに戦争肯定論者だったりしますが。戦争なんかしたほうが世のなか面白くなると個人的には思いますがね。まぁ。めんどいんで。そのことだけ言おうと思って来ました。っていうか。このこと伝えといてもらえませんか? 早く帰りたいんで」
わたしは空を仰いだ。――青い。
すぐに、視線を戻す。
「……まずは自己紹介しない? わたしは、王子姫子。おうじひめこ、って読むんだけれど、変わった名前よね。母がね、どうしてもそうしたかったみたいで。高校三年生。いのち女子学園って知ってる? 中学から、そこで」
はぁ、とまたしてもため息を吐かれる。
「そんなもんでいいんじゃないですか? 効率的にいきましょうよ。高橋、名前は秘密です、プライベートなので。高二。以上」
「そっか、じゃあわたしの後輩だ」
「学校おなじじゃない場合、後輩っていうんですかね?」
そう言いながら、かばんからなにかを取り出した。……携帯型のゲーム機だ。ヘッドホンもいっしょに取り出し、装着した。妙にしっくり来るが、いまはそういうことではない。
「……ゲームをするの?」
「ああ、はい。待ち時間だるいんで。揃ったら適当に決めましょうや」
そう言うと、あっというまにゲームの世界に入っていってしまった。
指が動く。アクションゲームだろうか。その顔には表情がないのに指は楽しそうに動く。わたしはしばらく、その指を見ていた。嫌がられるかなと思ったが、気づいてもいないみたいで。
ちょっと、小石を投げてみたくなった。
「ねえ」
聴こえないのか聴こえないふりをしているのか、指は止まることがない。
「ねえ。ねえねえ。ねえってば」
ちらり、とこちらを睨むが、すぐに画面に視線を戻す。
「高橋くん?」
「……なんすか、さっきから」
声はあきらかに苛立っていて、配慮などという気配はみじんも感じられない。
ゲームはしたまま。きっと、こころもゲームの世界にあるまま。
だから、だからこそ、わたしは言った。
「高橋くんって、ゲームが好きなんだね」
返事は返ってこなかった。顔をしかめたが、ゲームがうまくいっていないだけかもしれない。
わたしは高橋くんがゲームをするのを眺めつつ、スマホをいじったり英単語帳をめくったりしていた。
あまりにもふつうの高校生らしい空間。
――十二時三十六分。
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