女子高生は、天使の胸ぐらを掴んで

「……おやおや」

「……いますぐ。そんな悪趣味なことをやめて」

「――人間の子もずいぶんと不信心になったものですねえ」



 天使は、唇の両端をゆっくり釣り上げる。

 つくり上げた表情を見ることはできなかった。


 衝撃。光。吹き飛ばされる。体勢を崩し、尻もちをついてしまう。背中にひらひらとした感触。緞帳だ。なにが起こったのかわからない。眩しい。光のなかに天使を見る。ゆらゆらと大げさに揺れながら、天使はこちらに向かってくる。

 ――その手には剣。金属ではない。一定のかたちではない。光、か。光でできた大剣だ。


 わたしは即座に立ち上がり、嗤った。



「天使っていうのは人間を傷つけるの? それでも天使?」

「天使は人間のためにいるのではないのですよ。神のためにいるのです」



 目の前にまで接近した天使はそう言いながら、わたしに――思いっきり、光でできた大剣を叩きつけた。肩のあたりを滑り、腹部へ。避ける間もない。

 当然の結果として、痛い。……肩もお腹も、殴られたら、そんなの痛い。


 またしても、尻もちをつく。両手を後ろに突く。いまはたぶんだいじょうぶだけれど、捻ってもおかしくなさそうな体勢だ。



 わたしは天使を見上げる。



「……痛いよ」

「――いいですねえその目、ぞくぞくしますよそういうの!」



 大剣を振り下ろす。

 わたしは両手を頭のうえにかざした。――無理だよこんなの。

 迫る。

 思わず、目をつむる。


 だが、いつまで経っても痛くはならなかった。

 おそるおそる目を開けると、天使は――。



 浮いていた。

 舞台の上で。翼をはためかせ。悠々と。



「いえいえ。あなたがあまりにも無邪気なもので、すこしばかり教育をして差し上げたのですよ」

「……天使。ほんとうに、天使なんだね」

「次にわたくしに不遜なことをしたらその瞬間、世界滅亡すると思ってくださいね?」

「――うつくしくないな。そんなの」


 天使は哄笑した。


「それがあなたの美学、ですかね。あるいは。そんな大層なものでもないですか。……われわれのこと、信じていただけましたね? いえいえあなたが信じても信じなくても、よいのです、どうせ運命の日は不動なのですし」

「……運命の日って、いつなの」

「運命の日は運命の日です。人間の子がはかり知るところではございません」



 ――いつ来るかもわからない、運命の日。



 天使はすいっと降りてきて、舞台に両足をつけた。


「さて。わたくしはそろそろ行かねばですね。しかし、おいとまする前に。あなたもどうすればよいのかわからないことでしょう。情報を差し上げましょう、さながらチュートリアルみたいに」

「ゲームみたいに言わないでよ」

「われわれにとってはゲームですが? ……おやおや、そんな顔をしないでくださいよ。考えようによっては、あなたにとってはチャンスですよ? 救世主になれるなんてそんなの」

「……救世主になるとか、どうでもいいけど。救うことに理由なんてないんだしさ」

「ふむ」


 天使はひとさし指を立てた。


「では申し上げますよ。……今回選択された人間の子は、あなたのほかに四人。すべてで五人。互いに面識のない人間ですが、それぞれの居住地および活動範囲を考慮して、定期的に無理なく集まれる距離にしました。……まあ、あなたがたが一回集ってこの結論だ、と決めれば、もう集まる必要もないかもしれませんがねえ。……初回の集まりはもう決めてあります。われわれのほうから五人全員に伝えますのでね」


 天使は言う。


「繰り返し申し上げますが。いいですか? 運命の日、それまでに明確な結論を出しておいてください。ひとりの結論じゃ駄目ですよ。五人合意のうえでね」

「……ほんとうに、来るの? それ」

「それは彼ら次第ですが。だいぶ脅して……じゃなくて。説明をしたので。来るんじゃないですか?」


 適当な言いようだった。


「……もしも。わたしたちの意見が一致しなかったら?」


 りん、と声の余韻。講堂は、声が空気を震わせる。


「おお、役者」

「いいから答えて」

「簡単なことですよ。世界が滅亡するだけのこと。失敗ですねえ、やり直しですかねえ」



 思わず、奥歯を噛み締めた。

 両手を振った。感情が、止まらなかった。



「おかしい。誓ってわたしは――」

「用件はすべて申し上げました。まあ、そういうわけで。がんばってくださいね。王子姫子さん。……わたくし脚本家として楽しく観ておりますので。……ちなみにドラマチックに演出してみましたよ?」



 天使はひらりと片手を振る。



「世界救済なら、イエス。世界滅亡なら、ノーと。……ありきたりだけれど小粋な演出でございますことでしょう?」




 そう言いながら、光に包み込まれて――その光がなくなるときにはいなくなっていた。




 わたしは、立ち尽くす。

 なにをすればいいのかわからず、とりあえず頬をつねった。……ただ痛いだけだ。






 ばん、と大きな音がした。講堂の扉が開いたらしい。

 見慣れた顔がなだれ込んでくる。たくさんの言葉とともに。



「王子ぃ! あんたが犯人か! なんで鍵閉めてんのよ、入れなかったでしょ!」

「自主練してたのー? やる気あるねー」

「っていうか王子先輩、なんで頬つねってるんですか? 自撮りでもするんですか? そういうタイプに見えなかったけど……」




 ――とても、カラフルで。

 いつも通り。あまりに、いつも通りで。

 泣きたくって。

 でも、そんなわけにはいかなくって。


 わたしは両方の頬に顔を当てると、立ち上がった。

 左手を、高く上げる。

 なによりも大きい笑顔で。



「――おはよう諸君!」




 光を背負う。

 だいじょうぶ、きっとだいじょうぶだ。

 わたしは、王子なのだから。

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