第33話 佐山あかねはギャルっぽい(その9)
熱狂を尻目に、校舎裏を歩く。ハート型花火を巡る戦線は校内に移行したらしく、人気は少ない。グランドから聞こえる熱狂的な感性を尻目に、倉庫の横まで歩く。さっきの第三倉庫とは違って、掃除用具が詰め込んであるだけなので警備はいない。
「…………もうすぐ、か」
小型コンピューターのディスプレイに映るのはメッセージアプリのトーク画面だ。自分が使用しているわけではなく、見知らぬ人のスクリーンショット。
ぱたりと閉じて、ポケットにしまう。
ミササギは久瀬先輩に任せた。ならば佐山は俺が引き受けよう。
顔を上げると、ちょうど校舎裏に男子生徒が侵入してきたところだった。長身の痩躯と、短い髪の毛はスポーツマン的な爽やかな印象を抱かせる。あどけない顔も相まって、かっこかわいい系とかいう昨今の謎トレンドにピッタリだ。
「……おいテメェ、何してんだよ。あぁ?」
その声の主が自分である事実に、少しだけ驚く。どすの利いた声は喉を想像以上に震わせ、口腔に振動が伝わる。
「な、なんすか急に……」
怯え、というより戸惑いの色が浮かぶ視線が下ろされる。こう至近距離によると
身長差が明確になって、なんかちょっと悲しい。けれど、もはやここで引き下がれない。
「あぁん? 馬鹿かテメーは……ざけんじゃねぇ!」
なんの返答でもなければ、特に意味を成すでもない言葉。しまった、恐喝するという所までしか考えておらず、この先のセリフが何も浮かんでこない。とりあえず不良っぽいの。
「テメェ、俺の兄貴は北関東最速の暴走族なんだぞオラぁ!」
何一つ関係ねぇ。
「そ、そうっすか、すいません?」
ついに戸惑いの色が消え、哀れなものを見るような目になった。そりゃそうだよな、女の子からの呼び出し通りにここに来たら、こんな人間に絡まれるんだから。
「ふざけんなオラぁ! 金出せ!」
壁際へ詰め寄って、右足で壁を蹴りつける。これでもかと俺の眼力を総動員して彼を睨みつけ、ようやく彼は数歩後ずさるも、背後の壁がそれを阻む。その時。
「――――センセー! こっちです!」
声の方に視線を送ると、二人組のギャルが叫んでいる様子が見て取れた。思惑からは少しだけ逸れたものの、概ねシナリオ通りの展開だ。
作戦名、【実はそこまでダメージくらってなかったんじゃないの青鬼】
俺が長谷部君とやらを恐喝し、それをギャルたちが助ける。童話の『ないたあかおに』になぞらえた極めてシンプルな作戦だ。
けれど、シンプルだからと馬鹿にはできない。
ロミオとジュリエットのように、障害が大きければ大きいほど恋が燃え上がるという事実。
つり橋効果のように、身の危険を感じた時に一時的に性欲が増加するという事実。
そして、恋愛感情は脆弱なのだという事実。
この要点さえ押さえていれば、恋愛感情の方向をいじるのなんて簡単だ。
「……ちっ! 覚えてろよ!」
けれど、恋愛感情の方向を変えるには、まだ恐怖が足りない。
長谷部とやらは佐山あかねに恋愛感情を抱いている。昨日受取ったUSBメモリの中には、長谷部の会話を三日間盗聴したデータが入っていて、その中には花火大会の時に告白するという旨の発言もあった。
恋愛感情は、性欲の延長線上にある。
ならば、少しだけ相手の印象をいじってしまえば、心なんてすぐに変わってしまう。
さきほどの位置からちょうど死角、コの字型校舎の東部に隠れる。ここら辺は植え込みもあって、隠れるのにはうってつけだ。
『長谷部くん大丈夫⁉』
『あぁ、宮島さんも、矢部さんもありがとう』
どうやら、会話の様子を聞くに宮島というギャルが長谷部に思いを寄せているらしい。さっき先生を呼んだのも彼女だった。
『じゃ、じゃあ、ウチそろそろ応援戻るね! ガンバ!』
言って、応援系ギャルの矢部は去る。これで長谷部と宮島だけが校舎裏に取り残された。
宮島は、何とか言葉を発しようとするも言い出せず、しばらくの沈黙状態に陥る。長谷部も告白の雰囲気を感じ取ったのだろう、静かに継がれる言葉を待つ。
「……こちら久瀬よ。聞こえる?」
「バッチリです」
「そう……では、本当にやるわね?」
「いいですよ。俺は――」
俺と同じ、生きづらさを抱える人間を、少しでも助けたいので。
その言葉が継がれるより早く、ザッと無線にノイズが混ざる。あわただしい衣擦れの音に、悲鳴じみた叫び、時折ピリオドを打つようにゴム弾の発射音。
小さく息を吸って、イヤホンと一体になったマイクに言葉を放つ。
「――――校舎裏側にて、新たなるカップル誕生の兆候あり。作戦通りプランGで状況を開始する!」
GはギャルのG。
了解、と数名の声が続いて、しばらくして校舎裏口――つまり俺の後ろから五名の男子生徒が現れる。もちろん、リア充撲滅同盟の人間ではない。
「……ワールド・ラブ・アライアンスの皆さん。協力ありがとう」
リア充を潰すプロが俺たちだとしたら、リア充を作るプロが彼らだ。
今回で重要になるのは「長谷部の佐山に対する恋愛感情を無くし、佐山を友人たちと仲直りさせる」ということ。
その最重要目標が達成されるならば、佐山の友人が長谷部と付き合う程度なら許容しよう。苦渋の決断だが、背に腹は、というヤツだ。
「……いいのか、東山」
「なんだ、誰かと思ったら東寺か」
世代を感じるタイガーマスクをかぶり、なぜか深刻そうな声音で東寺は問う。その見た目だと話の内容が入ってこないな、うん。
「いいんだよ。今日の百円より明日の千円ってな」
もしも株でやったら大惨事を招きそうな思考だが、別に今回はそれでいい。リア充一つが生み出されるのと引き換えに、佐山の現状を打開できるのなら十分だ。
それに、今回の願いは、久瀬先輩が直接依頼してきたことでもある。
彼女は「あなたたちがいるから大丈夫」と無上の信頼を置いてくれている。その期待にどうにか報いたい。
「にしても、お前……なんでWLAなんだよ……」
東寺くん、君は恋愛できなかったんじゃないのかね。
「いや、別に入ってるわけじゃない」
「というと?」
あー、そうだなー、なんというかー、などと歯切れの悪い言葉をいくつか並べた挙句、頬をぽりぽりと掻きながらこぼした。
「お前には恩があるからな……個人的に手伝うだけだ」
「東寺……!」
そういうの素で言えるお前を、俺は尊敬するよ。しかしその気持ちはありがたい。少なくとも、俺は東寺の役に立っていたのかもしれないと考えるだけで、少し気が楽になる。
「じゃあ、行きますか、作戦通りにお願いします!」
「「「ウス!」」」
俺の呼びかけに応じて、屈強な集団は前進を開始。作戦は彼らに依頼をしたときに相談済みだ。なお、今回はあくまで「東山亮」個人としての依頼であり、リア充撲滅同盟の活動とは一切関係がない。校内ではいまだハート型花火を巡る攻防が続いているのかもしれないが、残念ながらそれを知る術はない。
固いアスファルトが太陽に焦がされて陽炎が浮かぶ。体育着のシャツがにじんだ汗で張り付いて、筆舌に尽くしがたい不快感。
「……あぁん? テメェらまだいんのかぁん?」
どすの利いた声に、長谷部がこちらを向く。俺の後ろに続く屈強な男たちを目にして、ようやく状況を察してたじろいだ。
ごめん、東寺。マスクの上からでも笑ってるの分かるよ。
長谷部と宮島を包囲するようにして、屈強な男どもがだんだんと距離を詰めていく。そのがっしりとした体躯は長身痩躯な長谷部にも引けを取らず、じりじりと恐怖心を植え付けていく。
「あぁん? はッ……女かよ。色恋沙汰とはなぁ一年坊主のクセに!」
ここで距離感を測り損ねると、待っているのは引くに引けない悲しい状況だ。わざわざ二回目出てきたのに、言うこと言って帰ったらダサすぎる。
この場で必要なのは、宮島が長谷部を助けるために行動を起こすことだ。
恋の障害を俺たち不良役が務め、同時にこのシチュエーションそのものが吊り橋の役割を果たす。あとは、宮島が叫ぶなり、長谷部を頼るなりこの状況に対するアクションがあれば、それがトリガーとなって長谷部の感情は宮島に傾くだろう。
しかし、そこまでうまく行くはずもない。
「何、やってんすか先輩……」
向けば、佐山あかねが立っていた。驚愕に目は見開かれる。
そりゃそうか、傍から見たら集団で長谷部を襲ってる奴らだもんな。
しかし、マズいな。
「おい、東山……」
「分かってるよ」
この状況において、佐山あかねは存在してはいけない要素だ。
本来の作戦なら、花火の運搬をしてもらう予定だった。それが途中で脱落してフリーになり、この場面に立ち会ってしまったわけだ。こうなると打つ手がない。
佐山が長谷部たちを助ければ、長谷部の恋心は加速するだろう。佐山が見て見ぬふりをすればギャルたちとの友情回復が不可能になる。どちらに転がっても詰み。
「あぁん? 何見てんだゴラァ⁉」
頭が真っ白になって、特に意味を成すわけでもない言葉を放つ。せめて少しでもドスを効かせようとするも、声が裏返ってうまく行かなかった。
瞬間。
校舎裏を薄く覆っていた陰が色づく。一瞬の思考停止。けれど、その直後に鳴り響いた轟音にその正体を悟る。
校舎を挟んだ向こう側、グランドからは戸惑いを顕わにしたざわめきが聞こえる。
見上げれば、屋上から空に向かって一条の煙が伸びていて、その先にいくつかの光の粒が
散っているのが分かる。消えつつある光は、ハートを描いていた。
「――――長谷部くん。こっち!」
俺たちの意識が上に割かれているのを好機と見たか、宮島が長谷部の手を引いて駆け出す。わざと開けておいた包囲の隙間から脱して、校舎の角を曲がって見えなくなった。
彼女がこれからどうするのか、それは分からない。告白するのかもしれないし、しないのかもしれない。
作戦通りではなかったものの、そこそこの手ごたえはある。宮島は長谷部のためにアクションを起こし、長谷部の心境にも少なからず変化が生じたはずだ。
そして、残る問題は一つ。
「…………先輩」
呆然と立ち尽くす、佐山の姿。
手伝ってくれた男子生徒たちに礼を言うと、東寺が察したらしくぞろぞろと引き連れて校内に戻っていく。校舎裏には俺と佐山だけが取り残された。
ロクな言い訳が浮かばなくて、佐山からの言葉を待つ。
彼女の瞳にはどこか侮蔑にも似た色が浮かんでいる。そりゃそうか。
「先輩も、そっち側の人間なんじゃないですか」
言われて、されど言葉の真意はつかめない。
「…………」
問う言葉は浮かばない。そっち、とは何のことか。その両の瞳に浮かぶ侮蔑――いや、あれは失望や、諦観のような気もする――なんにせよ、それらを払拭できるだけの言葉はない。
「……あの時、助けてくれたのもそういうことなんですか」
「……あの時?」
ようやく自分の口から言葉が出る。「あの時」も「そういう」も心当たりが何一つなくて、ましてや彼女を助けた覚えなんてない。
彼女は少し下唇を噛むと、瞳の端に涙を滲ませながら言う。
「入学してすぐのころに、不良から助けてくれたでしょう⁉ なのになんで不良と同じようなことをやってるんですか⁉」
「はぁ⁉」
そんな覚えはない。後半に関しては否定しきれないが、前半は確実に否定できる。俺は誰かを助けることが出来るような大層な人間ではないのだ。
「……まさか……覚えて、ないんですか」
「…………ごめん」
縋るべきものを失ったように、彼女の瞳は力なく伏せられる。握られていたはずの拳は解かれて、桜色の爪が静かにズボンの布に食い込む。
「……初恋だったのに、クソじゃないですか先輩」
「……………………は、」
初恋、と彼女は言った。会話の文脈から推測するに、対象は俺だろう。彼女の寂し気な表情に、驚愕の叫びをしそうになる自分を律する。彼女の震える肩を見ていると、俺に言葉を発する資格はないと、そんな気がした。
彼女は伏せていた目を開き、毅然として訴える。
「わざわざ、屋上から飛び降りてまで助けてくれたのに!」
「……………………ん?」
なんか、マヌケな声出た。
屋上から飛び降りたのは憶えている。あれほど強烈な体験、そうそう忘れられない。だが、それでもまだ心当たりはない。あの日は屋上から飛び降りて、そのまま地学準備室に戻ったはずだ。助けるタイミングなんてない。
「飛び降りながらの狙撃とか、ちょっとカッコイイと思ったのに!」
「……………………………………んん?」
口調の軽い俺の返答に、佐山の瞳が再び伏せられる。
そこまで言われて、ようやく察した。
あの日、屋上から飛び降りた時に起こったこと。
暴発だ。
「……好きでしたよ、先輩。あの日、私と宮島ちゃんを囲んでいた不良を倒して、助けてくれた時から」
そして、その暴発で発射されたゴム弾は彼女らを助けた、と。
彼女が俺を好きになった理由が、「不良に囲まれている所を助けられた」ならば、先ほどまでの俺の行動は嫌悪に値するものだろう。不良から助けてくれた人が、他人に対して不良と同じような行動をとっていたのだから。
幻滅。
そんな言葉がふと浮かんで、言い得て妙だと小さく笑う。
佐山が好きになったのは俺の幻だ。久瀬先輩の言葉を借りるなら、「幻想」と表現してもいい。
人間関係は、第一印象で九割弱が決まるのだという。
それが顕著になったのが「一目ぼれ」というものだ。イケメンだったり、匂いだったり、あるいはピンチを救う行為だったり、そういうものが一瞬で幻想を形作っただけ。
その「幻」想が「滅」ぶから幻滅。もとより、佐山は俺なんて好きではなかったわけだ。
一瞬で形作られた幻想は、急造品ゆえに脆弱。些細なことで瓦解するのは自明の理。
どこか他人事のように、そう考える。
不意に夏のにおいを風が運んできた。独特な火薬のにおいに、焼けるアスファルト、芝は風になびいて波のようだった。吹き抜ける風に、佐山の金髪が揺れて彼女の顔を隠す。
「…………………………………………………………ごめんな」
何に対しての謝罪か、自分でも分からない。
俺を好きになってくれた彼女に。彼女が好きになってくれた俺の幻想に。あるいは、恐らく同盟を離れていく彼女と仲のいい久瀬先輩に。メンバーが増えて喜んでいたミササギに。彼女が、俺の幻想を追いかけていてくれた時間に。
夏の暑さに、頭が回らない。もう、どうでもいいか。
彼女の返答はなく、校舎の角を曲がって視界から消える。
俺は、そこにいたはずの彼女の面影を見出そうと校舎の角を見つめる。結局何も見えなくて、ただそこに立ち尽くした。
ミササギと久瀬先輩は、作戦を成功させたのだろう。
先程上がった一発の花火。ハート型のそれは、本来ならこの後の花火大会で打ち上げられる予定のものだった。不意に打ち上げられたそれに、この後告白しようとしていた人間は準備が追い付かず、告白をし損ねたはずだ。
ふと、どうしようもない虚脱感に襲われて、思考が遠くに感じる。
筋繊維一つ一つにまとわりつくような倦怠感。疲れてんのかな。
転瞬。
頬に何か固いものを感じる。左半身が痛んで、右半身の感覚がない。痛覚だけが俺の輪郭を描いていた。
それがアスファルトの地面だと気が付くのに、数秒。
もっとも、それを意識する前に、俺の意識は途絶えた。
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