第23話 幕間その2
家に帰ると、妹が泣いていた。
「あんたなんて、生むんじゃなかった……!」
母親の前で、立ち尽くすように泣いていた。
その姿を尻目に、制服を脱いでジャージに着替える。ここで仲裁に入ったところで、母親のヒステリーは加速してややこしくなるだけだ。
しばらくすると、親父が出てきて母親をなだめる。
「まぁ、母さん。智咲も悪気があったわけじゃないんだろ? ほら、謝って」
「……ごめんなさい」
「ね、智咲も謝ってるから」
親父は智咲を連れて二階に行くように視線だけで指示すると、泣き崩れる母親の両肩に手を添える。俺は母親が喚く言葉を耳に入れないよう、智咲の背中を押して部屋まで連れて部屋に行く。
最近、もはや日課となったその一連の行動。
俺のベッドに腰掛ける智咲に、麦茶を入れたマグカップを差し出す。彼女は礼を言って受け取ると、しばらく黙り込んでしまった。
まぁ、無理もないだろう。
赤く腫れている右頬から察するに、今日はぶたれる所まで行ってしまったらしい。ここ最近は手を上げる所まで至ってはいなかったから、油断していた。
俺は椅子に座ると、わざと智咲に視線を合わせないように部屋の隅を見やる。
ごく普通の四畳程度の部屋に、ベッド、勉強机に本棚があるので、体感的にはかなり狭い。
ふと目の止まった本棚の一番下の段から、黒ひげ危機一髪のちっちゃいやつを取り出してベッドの上に広げて黙々とセッティングする。
「智咲、先行どうぞ」
「……このゲーム、後攻の方が有利だよね」
「え、そうなの?」
「……まあいいや」
ぶすり。
「ぐえっ」
「……」
何故か智咲はむっとした表情になり、続けざまに数本の剣を刺した。
ぶすりぶすりでゅくし。
「ぐふぅ……ざく……どむっ!」
「……お兄ちゃん、何それ」
「痛がった後のリカバリー戦術~ジ●ン驚異のテクノロジーを添えて~」
ダメ押しにともう一本。心なしか強めの一撃が黒ひげの腹部に突き刺さる。これそういうゲームじゃなくね?
まぁ、智咲が楽しければそれでいっか。
はぁ、とため息を一つ漏らして彼女は小さく口を開いた。
「………………生んだの、あんたの方じゃん」
うつむきがちに発したそのささやかな言葉に、一瞬、剣を握る指が硬直する。
その言葉に答える術を持たないし、何より、俺は智咲の考えに同感だった。
子供は、自分で望んで生まれてきたわけじゃない。
両親の愛の証明か、あるいは快楽の副産物。もしくは社会的な地位のためなのかもしれない。なんにせよ、子供を作るということは身勝手極まりない行為なのだ。
ぶすり。
重い空気を払拭しようと、樽に剣を刺す。黒ひげは飛ばなかった。
「……なんで生まれたんだろ」
「……なんで、だろうな。俺にもわからん」
分かる人間なんて、いるのだろうか。
ぶすり。
まだ、母親の嗚咽が聞こえる。
なんで親父はあんな人と結婚したのだろう。
なんで母親はあんな風になってしまったんだろう。
答えなんて出ないまま、ただひたすらに問いは浮かんでくる。
「…………生まれたくなかったな」
死にたい、と言わないのは、きっと彼女が死のうとした事があるからなのだろう。
死のうとして、ようやく気付くこともある。
屋上の淵に立って、世界を見た時の底知れぬ恐怖。
海に胸元まで使って、波を感じた時の底冷えする恐怖。
ロープを首にかけて、椅子の上に上った時の息が詰まるような恐怖。
森の奥に足を踏み入れて、先を見つめた時の吸い込まれそうな恐怖。
それは、生物の本能。リミッターが働くことによって恐怖が引き出されている。
いわば「否定形の生存願望」というべきものだ。
死にたくない、だから生きなきゃいけない。
ならば、生まれなければ全て解決だ。
ぶすり。
ぶすり。
黙々と、二人で剣を刺していく。
次第に穴は埋まっていき、残りの穴が四個になったところで俺のターンになった。ここらへんで黒ひげ飛ばして、智咲に笑顔になってもらうか。
そう思って、慎重にアタリの穴を探る。
「ねぇ、お兄ちゃん」
「ん、どうした?」
「お兄ちゃんって、自殺しようとしたことある?」
ぶすり。
カシュッと射出音がして、俺と智咲の間に黒ひげが落ちる。ベッドの反発で二、三回バウンドしてから動きを止めた。
「あるよ」
「そっか」
「うん」
智咲は樽に刺さった剣を引き抜くと、再び黒ひげをセットした。
・・・
学ランが妙に重く感じる。
昨夜は母親が寝静まるまで智咲と黒ひげ危機一髪をやり、そこから飯と風呂だったので寝るのは深夜の二時になってしまった。学ランだけでなく頭まで重い。
六時限目まである授業を半分以上爆睡してやり過ごし、家に帰りかけたところでふと忘れモノを思い出した。
進路希望調査票だ。
中学二年の冬ともなると、受験の存在をひしひしと感じる。そこそこの学校を狙う人は、もう塾に通って受験対策を始めていてもいい時期だ。
受験となると、当然両親と話し合わないといけない。ぶっちゃけ受験より両親と話し合う方がストレスになりそうな予感がする。
もう日は沈みかけていて、僅かな残照が学校のガラスに反射して輝いている。ポケットに突っ込んだ手はかじかんで、教室のドアに手をかけるとひんやりとした冷たさが骨にまで伝わってくるかのようだった。
教室の前のドアを開けると、女子生徒と目が合った。
ついでに、それに覆いかぶさるようにして腰を振る男子生徒とも。
西の空に残った夕焼けの残滓が、静かに藍に覆われるようにして隠れていく。窓で切り取られた空の端に一条の飛行機雲がかかり、鳴り響く吹奏楽の音はどこか遥か遠くで起こっていることのように感じられる。
呆然とすること、数秒。ようやく室内の状況を理解し始める。
女子生徒の名前は思い出せないが、物静かで大人しい生徒だった気がする。休み時間も教室の隅で本を読んでいるような子だ。
男子生徒の方は、簡単に言うと「不良」というヤツだった。
昨日も後輩がカツアゲされていたのを見た。カツアゲとか昭和かよ。
不良が再び彼女の方に視線をやると、断続的に教室に喘ぎ声が響く。どうやら俺は見なかったことにされたらしい。
人って、対応に困ったときって案外冷静になるんだな。
俺は何事もなかったように自分の席に行くと、机の中においてある教科書群の中から進路希望調査票を掘り当てて、バッグに突っ込む。
残照が次第に引いていき、星が次第に空の低いところで見えるようになってきた。このまま教室の後ろのドアから出ていこうとして、ふと振り返った。
セックスの現場を見るのなんて初めてだったから、もう一度見たかったのかもしれないし、もしレイプだったら、とか変な正義感が働いたのかもしれない。
結局、確認できたのは女子生徒の恍惚とした顔だけ。
踵を返して、後ろ手でドアを閉める。まぁ、中学生にでもなれば、性行為ぐらいするわな。
どこか現実味はなかったが、自分の目で見た以上は信じるしかない。
きっと、ああいうやつらがクソみたいな大人になるんだろうな、と漠然と思った。
家に帰ると、妹は泣いていて、何故だか親父は妹をなだめていた。いつもなら、母親の方をなだめるのに。
不思議に思って眺めていると、母親が妙にまじめな面持ちでダイニングテーブルに座っているのに気づく。
その日、両親が離婚することを告げられた。
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