第19話 久瀬由香はモテるっぽい(その5)
わずかな街灯が照らすアスファルトの地面に、ぽつりぽつりと黒点が浮かび上がる。
次第にそれは数を増やし、生ぬるい風と共に体にもまとわりつく。雨だ。
「……まじかぁ」
高校の正門を数歩踏み出したところで唐突に降ってきた。天気予報は雨だったので傘なんて持ってきていない。もとい、天気予報なんて現代の高校生は見ない。
天気予報見る時間あるんだったら一分でも長く布団とランデブーする方が良い。
まぁ、たまには濡れて帰るのも楽しいよな。そう思ってミササギたちに背を向けて歩き出そうとしたとき、背中に声が掛けられた。
「東山、これ……よかったら」
そう言ってミササギが差し出したのは折り畳み傘だった。見れば、彼女は普通のビニール傘を別に用意してあったらしく、大丈夫とこちらに見せてくる。
「返すのは適当な時でいい。気を付けて帰れよ」
「ああ、サンキュー」
一瞬相合傘のお誘いかと思ったがそれはどうでもいい。
「じゃ、ミササギも気を付けて」
あぁ、と手を振って別れる。どうやら久瀬先輩もバスらしく、ミササギと何やら話ながら歩いていく。
そうして、俺は楽しい楽しい一人相合傘をしながら帰ることになった。あー、楽
しい。
しばらく歩いて、果樹園の横を抜けて大通りに出る。ここまで来ると人の往来もかなりあり、その中にはきちんと二人で相合傘をしているカップルも複数組見受けられる。
リア充撲滅同盟的には爆破したいところだが、残念ながら手段がないので今回は見逃すことにするが……まぁ、なんというか。
歩道の幅いっぱいを使って恋愛感情をはぐくむリア充、なかなか蹴り飛ばしたくなる。
現実に不満を抱いている俺のような人間は、えてして現状から逃れようとするため歩くのが早くなる。対照的に、現状に満足しているリア充は歩くのが遅くなるのだ。
さらに今日は雨という気象条件も相まっていつもより遅い。
しかも道幅は二人分占領しているので迷惑極まりないのだ。
けれど、どこかその光景に違和感を覚える。
都合よく、リア充の片方だけが傘を持ってきているものなのだろうか?
普段ならば相合傘ではなく、それぞれが傘を持っている光景が目立つが、なぜか今日はリア充みんな例外なく相合傘である。不思議に思って周りを見渡す。
ふと、視界の端に何やら双眼鏡で街ゆくリア充を見つめている人を捉えた。
双眼鏡を使っている女子生徒と、その奥で女子生徒に傘をさしている男子。その横でドローンをいじくっている男子もいる。
そこまで確認して、ようやく合点がいった。
おそらく、リア充に対して【WLA】が一組につき一本傘を貸していたのだろう。これも彼女らの活動の一環なのかもしれない。
「あれ、東山?」
突然声をかけられて、思わず周囲を見回す。そうして、WLAの一団の中に声の主を見つけた。
「……東寺⁉ お前、何やってんだよ……」
こいつは、俺たちとWLAが敵対関係にあると知っている。だいぶ前に昼飯一緒に食った時に話したのだ。
「え、橋野さんの手伝い」
東寺がさす傘の中で、双眼鏡を握っていたのは橋野だった。雨で濡れた、肩口にかかる毛先が艶めかしい。
「あのなぁ、俺たちと橋野さんたちが敵対してるのは知ってるだろ?」
「でもよ、相合傘しても別れるカップルは別れるぜ?」
ぐうの音も出ない正論だった。……ぐぅ。
ちなみに今のは腹の音だ。
「……前、ラーメン奢る約束したな。この後空いてる?」
「あーっと……」
くい、と東寺の袖をつまむ橋野。 俺の方を一瞥してきっと睨むと、再び街ゆくリア充の方に視線を戻した。どうやら、もうあの甘ったるい態度はとっていないらしい。
「すまん、また今度頼むわ」
「……あいよ」
本来なら爆破するべきなのだろうが、こいつら――というか東寺は、付き合わないと公言しているのでセーフ。俺が悪とするものは子供を作るということなので、別に片思いするのは構わないのだ。
「……腹減ったな」
残念だが今日は親父が遅いので、帰っても飯はない。
どこかで適当に食べてから帰宅。その後親父の飯を作る方針で行こうと、そう歩を進めていくと、足首に張り付くズボンの裾が気になり始める。
ミササギの傘のおかげでブレザーの上着は濡れていないものの、地面に撥ね返った雨粒が裾を濡らして、無性に気持ち悪い張り付き方をするのだ。
こういうとき、女子のスカートっていいよな、冬は寒そうだけど。
視界の中にスカートを穿いた女子を捉え、どうでもいい思考が浮かび上がってくる。
ふと、どうしようもなく視線が動かなくなった。
自身に視線を向けられていると気づいたのか、その女子もこちらに視線を送り。
――瞬間。
視線が交わる。
意識は硬直し、俺と彼女の間を通過する雨粒の一滴一滴を鮮明にとらえられた。
車が水たまりを割りながら通過していき、撥ねた水が歩道に落ちる。
時計の秒針の音がいやに耳に響く。
「お兄……ちゃん?」
「……智咲」
きっと、この瞬間は果てしなく脆い奇跡で編まれている。
どちらかが、これ以上声を発しても。言葉を紡いでも。一歩踏み出しても。何か行動を起こした瞬間に崩壊してしまいそうなほど脆弱な奇跡。
妹を見たのは、あの遊園地以来。会話を交わしたのは、両親が離婚した三年前以来だ。
この瞬間を手放したくないと、心の底からそう思う。
離婚して以来疎遠になってしまった妹と、なんの巡りあわせかこうして会えたのだから。
深い黒髪と憂いを帯びた目。グレーのスカートからはタイツに包まれたしなやかな足が伸び、その表情は不意を突かれたまま固まっている。
そうして、どれくらい経ったか。
きっと、一瞬だったと思う。
その脆弱な時間を砕いたのは、俺の方だった。
タイツの下に隠れるようにして、肌が青紫に滲んでいること。
そして、彼女は何も荷物を持っていないこと。
俺はいつも最悪のケースしか想像しない。
最悪のケースを避けるために、全ての選択を捨ててきた。
恋愛をすれば、結婚して子供が生まれてその子供を不幸にしてしまうかもしれない。
だから恋愛はできない。
消極的に、受動的に、そうして最悪から逃れてきたのだ。
だから、最悪のケースはよくわかる。特に、家庭事情に関しては。
「なぁ、これから、飯行かないか?」
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