第17話 久瀬由香はモテるっぽい(その3)

第十六話


「私のメンツ、潰してほしいんだ」


…………はい?


 優し気でありながら、どこか寂しそうに視線を逸らすその表情には一片の偽りもない。間違いなく、彼女の口からその言葉は放たれた。

 地学準備室の窓から差し込む光が再び強まり、久瀬先輩の首から下を鮮やかに照らし出した。埃の粒子がキラキラと光を反射して、それはある種幻想的といっていいのかもしれない。

 けれど。


「……メンツ、というと?」


 この問いに大した意味はない。彼女に本当にその気があるのか、あるいは聞き返されれば踏み止まる程度のものなのか、その確認だ。


「ええ、私に対するみんなからの評価、という扱いで差し支えないわ」

「……なぜそれを? そして、何故私たちに?」


 ミササギの問いに、久瀬先輩は顎に手をやってしばし黙考する。


「うーんと、みんな、幻想って抱くじゃない?」


 ぶち壊すやつだろうか。違いますね。


 幻想、それはある種「イメージ」と言っていい。

 例えば金髪ツインテールならツンデレ、巨乳先輩ならおっとり、黒髪ポニーテール後輩なら元気などなど、イメージ付けされたもので、こういう要素がある場合、こうでなければならない、というテンプレートだ。幼馴染ヒロインは負ける確率が高い。


「その幻想にね、疲れちゃったのよ」


 ふと、昨日の告白が思い出される。

 交際とは、突き詰めると幻想と現実のすり合わせだ。ってか人生全般そうである。

 相手に対して抱いている幻想を押し付け合い、現実が許容しきれなくなれば破局。「なんかイメージと違った」とはよくあるセリフだが、このイメージが幻想の正体だ。


「何かあった……んですか?」

「んー、あったといえばあったし。全部被害妄想かもしれないし、って感じかな」

「……あぁ、それで」


 ミササギの問いに、あくまでも柔らかな物腰で答える久瀬先輩。その二人の横で、俺は一人納得していた。

 適当に喉が渇いたので紅茶を啜る。いくらかぬるくなっていて飲みやすい。

 爽やかな渋みが思考をクリアにしたのか、久瀬先輩の過去について大方予想がつき始めていた。


 きっと、彼女はモテるのだ。

 モテる、というのは単に多数の人から告白されることだけではない。

 気に入られる、話の話題の中に出る、好意を持たれる、嫌われる、性的な目で見られることだって「モテる」の範疇に含まれる。

 モテる、とはその人に対して向けられた精神活動の総称だと俺は思う。よって嫌悪感もモテる、という枠組みの中に取り込まれるのだ。


 だが、問題はここで生じる。


 モテている対象が、幻想――イメージとしての自身なのか、はたまた本当の自分なのか。

 本当の自分に対してなら、まだ理解をすることが出来る。

 いいことも悪いことも、全て自分に返ってくるのだ。それに対しては自身で責任を取ることが出来る。

 けれど、幻想としての自身の場合、それは不可能に近い。

 幻想は独り歩きするのだ。人から人へ、クラスからクラスへ、学年から学年へ、そうして幻想は輪郭を帯びていく。

 わかるさ、経験あるから。

 地味で、大人しい子は彼氏なんていない。不良となんて付き合わない。教室で行為をしない。

 そういうのは幻想だと、現実ではないのだと痛いほど味わったのだ。

 自身の思う「自分」と、他人に見えている「自分」は得てして違うのだ。

 紅茶の残り香が口腔を満たしているのをふぅ、と吐き出す。

 彼女の依頼は「メンツを潰す」ということ。

 この「メンツ」というものが、独り歩きした幻想を指すなら話は簡単だ。


「んじゃあ……悪評を流布してほしい、ですか?」

「…………うーん、惜しいかな」


 違うのかい。

 まぁ、確かに極端ではあるか。幻想とは先ほど言ったように良い面も悪い面も勝手に作り出されていくものだ。悪評を流布したところでどうなるわけでもない。

 では、どうすればいいのだろう?

 残念ながら俺にその答えは出せず、ミササギに視線を向ける。彼女も同じように紅茶を口に含み、じっくりと時間をかけて飲み込むと、久瀬先輩に向き直った。


「……久瀬先輩。残念ながら、我々はリア充を撲滅する組織です。あなたのメンツ

を潰すことで、我々にもたらされるメリットがない」


 言外に、断ろうとしているのが分かる。けれど、久瀬先輩は余裕の笑顔を崩さずに続ける。まるで断られるのを予想していたかのようなその表情に、どことなく不気味さを覚える。


「諜報員の獲得、でどうかしら?」

「…………ふむ」


 ミササギは形式だけ悩む様子を見せながら、しばし時間を取った。

 諜報員、つまりリア充の情報を与えてくれる存在である。

 どのカップルがどこでデートをする。誰と誰が付き合い始めた。あのカップルが別れた。

 今やネットワーク社会。それは学内においても言える。その為にリア充撲滅同盟もサイトを作ったのだ。

 しかし情報の発信はサイトで行うとして、情報の獲得にはまだ手を付けていなかった。

 魅力的な提案に、ミササギは断るつもりはないらしい。


「一つ確認だ、諜報員の仕事に、情報操作は含まれるだろうか?」

「ええ、もちろんよ。私だって、リア充、嫌いだもの」

「そうか、ならば私たちも安易に断れまい」


 一つため息をつくと、ミササギは話を進める。


「では、リア充撲滅同盟は何をすればいいだろうか? 先輩のメンツを潰すために」

「うーんとね、悩んでるんだけど……あ、先に見せた方がいいかな」


 彼女は何やらごそごそとカバンを漁る。ひみつ道具だろうか。毎回思うんだが、あれってもしもボックスあったら全て解決じゃね? もしも、このドアの向こうがハワイだったら。これでどこでもドアの存在意義は消える。


 そんなしょうもないことを考えていると、彼女は机の上に何やら規則性のない多数の物体を置いていく。マグネットにモバイルバッテリー、ペンケース、置き型消臭剤、箱ティッシュにクマの人形型キーホルダー。さらに無駄にデカいクマのぬいぐるみ……え、なんすかそれ、そんなもん学校に持ってきてんのかよ。

 なかなかメルヘンチックというか、幼女趣味がおありのようで。

 

 とか思ってたら、久瀬先輩はクマの首をもいだ。クマァァアァアァァ⁉

 なんだよ……そのクマちょっと可愛いと思ってたのに……。

 ひとりでにショックを受けた俺とは違って、ミササギの視線はクマの頭部をもいだ久瀬先輩の右手に注がれている。


 久瀬先輩はクマの首を自分の傍らに置くと、断面に手をねじ込んでいく。ちょっとしたホラーである。


「あ、あったわ」


 そう言って彼女が取り出したのは銀色の、細長い物体。ペンを三本束ねた程度の大きさのそれは、ICレコーダーだった。


「……なんでそんなもん持ってきてるんですか」


 ふふふ、と意味ありげな笑みを浮かべるだけで、答えは口にしない。

 なんで、と問うたところで使い道は限られているか。 

 先輩は机の上に広げた物たちを眺めると、満足げに吐息を漏らす。彼女は再びカバンに手を突っ込むと、何やら電子辞書のようなものを取り出した。

 おもむろにマグネットを手に取り、二つに折る。すると断面からUSB端子が出てきた。

 それを電子辞書らしきものに差し込んでこちらに向けたので、ミササギと共に覗き込む。小さな画面なので必然的にミササギの顔が近くなり、少し身じろぎした。


『俺さー、久瀬さん好きなんだよね』


 電子辞書のようなもの、その正体は小型コンピューターなのだろう。

 読み込んだUSBに記録されていた音声が流れてくる。会話の内容は、とりとめのない男子高校生の日常会話。


『あー。人気あるよなーあの人。エロいし。ニーソいいよね』

『わかる。スカートの中に頭突っ込んでふはふはしたいわー』

『え、絶対領域は絶対領域だからこそ絶対領域なんだぞ? 頭突っ込むなたわけ』

『な、なんかごめん……』


 絶句。

 杜甫先生でも描き切れないであろう非常に微妙な空気が地学準備室に流れる。目の前に座る久瀬先輩は笑顔を崩さず、隣のミササギはドン引きしながら俺を睨んでいる。俺、関係ないよ?


「ミササギ、これはあくまで特殊ケースだ。男子高校生の普段の会話はもっとマイルドだ」


『久瀬さんのニーソになりたい人生だった』


……男子の俺でも引くほどの発言に、久瀬先輩の胸中が気になる。いや別にいやらしい意味ではなく。


「ねぇ、東山君。男の子のキンタマ袋には脳みそが詰まってるのかな?」

「言葉攻めを楽しめる境地までたどり着いてないので勘弁してください……」


 ミササギは何故か俺の座っている場所から距離を取った。何故か。

 久瀬先輩は流麗な動作でカップを口元までもっていき、残りの紅茶を飲み干すとにこやかに口を開く。


「メンツを潰す――まぁ、男の子が私に発情しないようにしてくれればいいのかな」


 笑みは揺れなかったが、確かにその奥におぞましいものを垣間見た。張り付いた笑顔に底冷えするような恐怖を抱く。

 ごくり、とのどが鳴ったが、それが果てしない騒音に思えるほどこの空間は静寂に包まれていた。俺とミササギの視線が、その笑みに向けられたまま硬直する。


「……だめ?」


 こてん、と首を傾げながら加えられた言葉で、ようやく拘束が解ける。

 緊張を悟らせまいと紅茶を口に運ぼうとするも、カップにはすでに紅茶はなかった。

 ミササギを一瞥して、回答を促す。


「……分かった。あの写真データの全消去と、久瀬先輩のリア充撲滅同盟参加で手を打ちます」


「あら、ありがとう」


 しかしここまで話されなかったことにふと疑問を覚える。言うべきか、言わないべきかと悩んでいたら、視線に気づいたのか久瀬先輩が目だけで促してくる。


「そういや、久瀬先輩。なんで俺たちにそんなこと頼むんですか?」

「聞く?」

「……はい?」


 そう言って、久瀬先輩は置き型消臭剤の背面からUSB端子を引っ張り出す。それも盗聴器なのかよ……。

 かちりとはめ込まれた小型PCから、何やらノイズのようなものが鳴り響く。不規則だが、何かが強く打ち付ける鈍い音。時々金属音が混じり、何やら壮絶なバトルが繰り広げられているらしい。

 ふと、


『俺は、恋愛が出来ないんだぁぁぁぁあっ‼』


「あ、」

「なるほど」

「ね?」


 悲しいほどの絶叫が耳をつんざく。

 つまり、俺の叫びがたまたま彼女の盗聴器に録音されて、その縁をたどってこうなったわけだ。奇妙な縁である。

 それに加えてポッキーゲーム狙撃作戦での干渉。

 恋愛感情は性欲などの欲が引き起こす気の迷いである、という思想に当てはめれば、恋愛に対抗するリア充撲滅同盟に頼るのも道理だ。

 謎も一つ解けたところで、作戦を立てなければいけない。


――いかにして久瀬先輩に対する性欲を抑制するか。

 

 見れば、外はまだ明るい。日を追うごとに日照時間は伸びているらしく、次第に春の面影も薄くなり始めている。小さく開けられた窓からはささやかな風が吹き込んできて、木々のにおいが鼻腔を掠めた。


 もうすぐ春が終わる。

 それが、少しだけ哀しい。 


 

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る