第2話 青春は叛乱の狼煙と共に
床って、こんなに柔らかかったっけ。
意識が戻って最初に考えたのがそれだった。見知らぬ天井を見つめてしばらくしてから、そこが埃っぽい教材準備室で、自分はベッドで寝ていたのだとようやく理解した。
そういえば、俺は額のど真ん中を撃たれて……
「……気絶って、初めてしたな……」
マジでどうでもいい思考しか出てこねぇな……。
とりあえず体を起こしてみると、額の上から何かがずり落ちた。
触れてみるとかすかに湿っている程度だが、冷たさは健在だった。濡れタオルだ。
「……起きたか?」
声の主は、さっきの美人だった。先ほどと印象はだいぶ異なっている。
さっきは凛々しい印象が強かったが、現在はどこか憂いの帯びた瞳が、どことなく弱弱しい印象を与えてくる。
「…………あ、うん」
「……さっきは、なんか、ごめん……体が強張って……」
撃つつもりはなかったのだと、そう彼女は言う。
「いや、大丈――」
「あれ、本当なのか?」
言いかけた言葉を遮って、食い気味に彼女は聞いてきた。ベッドに体を乗り出す形になって、自然と彼女の顔が近くなる。うわ、なんかいい匂いする。
「あ、あれ?」
寝起きで脳内処理が追い付いていないのか、指示語だと何を指すのか分からない。
「恋愛ができないって……」
「あぁ、あれ」
ようやく合点がいった。……って、緊急事態だったとはいえ、初対面の人間に何を口走ってんだ、恥ずかしすぎる……。
「ほ、本当なのか!?」
「ま、マジっす」
恋愛ができないことと、美人耐性パラメーターは全くの別物だ。というか恋愛ができないので女子と接近することもない分、美人耐性は普通の人より低め。つまり語尾がめちゃくちゃになっても仕方ないということでご了承いただきたい。
「……ついに……ついに見つけた……」
「な、なんです」
おい、主人公騙して財宝に辿り着いた悪役みたいになってんぞこの美人。
「……君、名前は?」
「東山亮です。ファミリーネームはそのまんま東の山で、ファーストネームは説明がムズイんで覚えなくて大丈夫です」
「学年は?」
「二年」
「なんだ、同い年か」
「あ、マジか」
彼女、少し大人びていたから三年かと思ってた。
「私は御陵凪。書き方とか説明が割とめんどいのでミササギでオッケーだ」
ミササギ……マジで字が想像できねぇ。
「さて、さっきは撃って悪かった……あと、下駄箱誤爆して悪かった……」
あんたかよ。とかそんなのは薄々気づいていたので今更言わない。
どれくらい薄々かというと0.02mmくらい。これを忘れるととんでもない事態に発展しかねないので注意が必要だ。というか忘れなくてもそれを使っている人間に対して殺意を抱く人間も一定数いるので注意が必要だ。
「いや、別に……」
こうして話していると、割とフランクな話し方するんだな。
「――それはそうと」
「………………へ?」
「…………」
なんか、もじもじしてる。
両手の人差し指を、別に豊かとも貧相とも言えない胸の前で合わせている。
遠く山の稜線に沈んだ日の、わずかな残照だけがその部屋を満たしていた。次第にそれも窓の外へと引いていき、舞っていた埃が最後ばかりはと光を反射して輝いている。
「――――私と」
転瞬。
それすら惜しいほど、その一瞬には多くのものが詰まっていた。
期待。不安。興奮。諦観。希望。相反するはずの無数の感情が、その時ばかりは自然と同居していた。きっと、次の言葉が発せられた瞬間、俺の人生は大きく動き出すだろう、と――。
「一緒に、リア充を滅ぼさないか⁉」
「………………」
リア充。それは昨今において「カップル」の呼称として用いられる。
原義的には「リアル充実組」の略称なので、カップルに限らず男女混合で遊ぶ大学生などの呼称だが、転じて彼氏・彼女がいる人間の呼称になった。
古くは「アベック」、近年において「カップル」と呼ばれてきた人間の新世代の呼称であり、そこには計り知れぬほどの「非リア」と呼ばれる人々の呪詛と怨念と侮蔑諸々が詰め込まれている。
先ほどの興奮を顕わにした彼女とは打って変わって、窓の外、もう見えなくなった夕焼けを脳裏に思い出すかのように遠くを見る。その表情はとても穏やかだけれど、どこか少し、諦観の念を含んでいるように見えた。
「――気づいたか。東山。
この世の理不尽がなぜ生まれているのかを。
己の未熟さを棚上げし、愚かにも自らの欲望に身を任せる人間が子供を作り、その子供が他人を傷つける。そうして子供は大人になり、他人を傷つけた己の未熟さを棚上げし、欲望に任せて子供を作る。そうして、未熟さが受け継がれていく。
それだけではない、傷つけられた人間は、一生その傷を忘れることはないだろう。
そうして、傷つけられた人間は子供を産むのが億劫になる。
すると、何が起こるか――」
ごくり、とのどが鳴った。その音さえ煩わしく思えるほど、空間は静寂で満ち溢れていて、その上を滑るように伝う彼女の声音に、聞き惚れていた。
「――未熟な人間が、溢れかえるだろう?」
きっと、俺たちは今、とても反社会的なことを語り合っている。
だけれど、彼女の言うことを決して否定はできなかった。
世界の真理――現実を考えれば、子供は産めなくなる。
つまり、現実を考えなかったもの――思考放棄した人間からしか、子供は生まれない。
彼女の言う「溢れかえる」とは比率の問題だろう。現実を考えてきた人間から生まれた人間に対して、思考放棄をした人間から生まれた人間が圧倒的大多数を占める。
少数派は、きっと、生きづらい。
――胸が、高鳴っていた。
初めての感情に自分でも戸惑う。中学生の時から、ずっと考えていたこと。それと同じことを思っていた人間がいたなんて。
込み上げてくるものが大きすぎて、息が詰まりそうだ。
筆舌に尽くし難い感情に、成す術を失ったからか、少しだけ涙が滲んだ。
「――東山」
彼女は、俺に向き直る。
その瞳には縋るような、されど確固たる意志が宿っていた。
「私と、リア充に――この世すべてに、立ち向かってくれないか?」
そんなの、決まってる。
俺も、ずっとこんな存在を渇望していたんだ。
「あぁ――もちろん」
一度、俺はその思考を唾棄したはずだった。
けれど、どうしても頭から離れなくて。それは『生きづらさ』といってもいいのかもしれない。
そんなものを、引きずって、引きずられて、日々を過ごしてきた。
なら、抱えて突っ走ればいい。
――『生きづらさ』そのものが俺の生き方なのだと、そう胸を張って宣言しよう。
「来世は大賢者になって、この世界からリア充を消滅させますッ‼」
気分の高まりに身を任せて、窓を開けて叫んだ。
「……ふふっ」
その様子を見たミササギが、小さく笑う。
こいつ、こんなふうに笑うのか――。
「…………これから、頑張っていこうな」
そう言って、右手を差し出した彼女の口元には笑みが浮かんでいた。
遠く、すっかり夜の帳に包まれた世界の中に、一つ、また一つと光が浮かんでいく。
それが涙の残滓と混ざって、どこか幻想的に、滲んでいく。
「あぁ……一緒に、リア充を倒そう」
――こうして、俺の青春叛乱ライフが始まったのだった。
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