第2話 『ピアノ3重奏曲第7番作品97『大公』』 ベートーヴェン

 やり始めたのに、一曲でおしまいか?


 と、思われますと、いかに、残り少ないやましんでも、ちょっと恥ずかしいです。


 ふと、思い付いたら、やはり、べー先生。


 しかし、それは、ある意味、べー先生の音楽が持つ性格を反映しているのである。


 と、申し上げまして、間違いはなかろうな、と、思います。


 じっさい、この、出だし‼️


 なんという、わくわくな😃💕音楽が溢れだすことか。


 『大公トリオ』、と、言われる、まごうことなき、傑作。


 ルドルフ大公に献呈された作品。


 初演は1814年4月11日。


 ピアノは、べー先生だったそうです。


 すでに、聴力は悪くなっていて、あまり、うまく行かなかったと、言われるらしいです。


 べー先生の聴力の問題は、なかなか、難しいようであります。


 40歳の時期(1770年生まれです。)には、人の話し声は聴こえなくなっていたとされますが、骨伝導で、ピアノの音は聴こえていたとも、されます。


 耳硬化症ならば、まったく聴こえなくなることは、希らしいです。


 じつは、聴こえていたが、共和主義者のべー先生は、政府からすると、反体制の危険分子でありまして、常に、スパイが張り付いていた、とするお話しもあります。


 家政婦さんに、生たまご、投げつけたのは、べー先生の、異常行動と見る向きもありますが、じつは、政府の、スパイだと、見抜いたから、とも、言われます。


 政府は(とくに、メッテルニヒ政権。宰相だったのは、1821年から。かなり、怖かったらしい。)、一度、逮捕もしたかったが、それこそ、有力者のパトロンがいましたし、英国や、フランスなど、各国からの批判も想定され、政府も、やりにくかった、とも、言われたりもするようなお話しを、ごほんで読んだことがあります。


 実際、シューベルト先生は、一回、自由主義者の友人に連座して、危険分子容疑で逮捕されたとのこと。(シューベ先生は、すぐ、釈放された。)


 そこで、ある程度は、聴こえてはいたが、政府対策のため、謀をしていたいたのでは? というお話しも、ちらほらと。


 ただ、実物の補聴器がいろいろ残されておりますから、実際、きっと、ご苦労は、なさったようには思います。


 やましんも、年のせいで、年々、聴力が低下しております。


 たしかに、手でお耳を適度にカヴァーいたしますと、相手の声が、聞こえやすいことがありますから、完全アナログの補聴器が、またく、役にはたたないとは、言えないでしょう。


 ダイナミクスの幅が大きいCDだと、小さい音は、聴こえなくなります。


 かわりに、内声部の音ばかり聞こえたりも、します。


 なんか、変です。


 役に立ったならば、やはり、高度難聴ではなかったのかも、と、しろとが思ったりも、いたします。はい。


 1823年に、リスト先生の演奏を聴き、褒め称えた、というおはなしがありますが、なら、大きな音は、聴こえていたんじゃない?


 とも、思うわけです。


 たしかに、指を見て、判断することは、名人ならできるのかも、しれないですが。


 やましんも、フルートのレッスンで、ちょっと指使いごまかしたりすると、先生は騙せないですから。


 四楽章形式。


 第三楽章は、かなり、じゅわじゅわでありまして、そこは、癒し効果あります。(個人差あります。)


 ま、ここは、『わくわく』なので、それは、そのていどで。


 終楽章は、まさに、『うきうき』❗


 しかし、もし、ほんとに、常日頃、そんな確執が政府とあって、それでも、こうした音楽が書けるなんて、やはり、べー先生は、すごい人。



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