ショートショート劇場 エビフライの憂鬱

山脇正太郎

未来が見えるボクサー

 なかなか勝てないボクサーがいた。練習は誰よりも熱心にするのだが、勝てないのだ。トレーナーは、もう引退したらどうかと言う。ボクサーは、もう一試合だけさせてくれと懇願した。次の試合で負けたら、諦めるからと。

 彼は、試合に向けて普段よりも熱心に練習をした。それは鬼気迫る迫力であった。

 ある夜、遅くまで一人でジムに残って練習に励んでいたボクサーは練習していた。彼以外には人はいない。みんな帰ってしまっていた。

 彼は、シャドーボクシングに励んでいたのだが、後方で突然拍手が聞こえてきた。誰だ。トレーナーが戻ってきたのだろうか。ボクサーは振り返った。

 そこには、黒いスーツの男が立っていた。男は、名刺を差し出しながら、

「世界一になりませんか」と言った。

 ボクサーが訝しげにしていると、男は自分は悪魔だと名乗った。名刺には、悪魔の力で願いを叶えますと書いてあった。

 悪魔は、1秒先の未来を予想できる力を与えると言った。確かに一瞬先の未来が分かれば、ボクサーとしては有利になる。パンチの種類も分かるし、落ち着いて避けることができる。ただし、使った分だけの寿命をもらうと言う。

 ボクサーは悩んだが、結局のところ力をもらうことにした。多少なりとも寿命が短くなるとしても、試合に勝つことの方が大切だと考えたのだった。

 運命の試合の日、ボクサーは対戦相手に身体を触れさせることもなく圧勝した。なんたって1秒前に相手の動きが分かるので、それに合わせて避けたり、パンチを打ったりするだけなのだから、勝つ事は造作ない。トレーナーは、覚醒したと喜んでいた。

 そこから、ボクサーは破竹の勢いで勝ち進んだ。どの対戦相手も彼の身体に触れることすらできなかった。彼は、あっと言う間に世界チャンピオンになった。

 世界チャンピオンの防衛も先が見える彼には簡単なことだった。相手の未来の動きに合わせて、パンチを打ち込むだけだった。

 彼が久しぶりに相手からのパンチをもらったのは、8回目の防衛戦であった。未来は見えていたが、身体がついていかなかったのだ。なんとか試合には勝ったが、マスコミは以前のキレを無くしたボクサーの限界説を週刊誌に面白おかしく書いた。

 ボクサーは、焦った。もう終わりなのか。確かに身体の衰えは感じているが、もう少しだけ早く未来が見えたら勝てるはずだ。彼はそう思った。

 夜のジムで一人居残り練習をしていると、あの拍手が聞こえた。悪魔だ。ボクサーは、悪魔を待っていたのだった。

 ボクサーは、10秒後の未来が見えるように悪魔に頼んだ。黒いスーツの悪魔は、もちろんと微笑んだ。

 次の防衛戦。ボクサーは、勝ちを確信していた。10秒後の相手の姿が見えるのだから、負けることはない。

 試合開始30秒後、間合いを測っているたボクサーが相手との距離を詰めた瞬間。相手が両手を挙げる姿がみえた。バカめ。ボディがガラ空きだ。ボクサーが、パンチを打とうとした瞬間、相手のアッパーが彼の顎を打ち抜いた。

 何故だ。遠のく意識の中、彼は相手がガッツポーズをするのを見た。

 10秒の中にいくつの手数を繰り出せるだろうか、彼は考えていなかったのだ。

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